■ 16

ヨザックのことばにあわてて反論しようとしたが、自分と同じく勤務時間を終えたスタッフがつぎつぎとスタッフルームに戻ってきた。
 なんとなくおれとヨザックの雰囲気がぎくしゃくしているのを察したスタッフの不安と好奇な目が注がれる。
「みんなおつかれさま! それじゃあ、オレらはおさきに失礼するわー」
 するとヨザックはさきほどまで、しかめていた顔を笑顔へと変化させ有無も言わさずおれの肩を掴んでいく。「こいよ」とおれの耳元で囁いて。

 店から出ると、ヨザックはなにもいわずにずんずんと街中を進んでいく。「どこに行くの?」と尋ねても彼はなにも答えてくれず電車で移動し、そうして連れてこられたのはグウェンダルさんが運営しているオーガニックハーブ専門である『Charlotte』だった。
 入口には『clause』と書かれたプレートが掛かれてあったが店内にはあかりがついている。ヨザックはためらうことなくドアを開けると適当にテーブル席に腰を掛けた。
「……どうかしたのか?」
 店内の清掃をしていたのであろうグウェンダルさんが怪訝そうにおれたちふたりに尋ねる。
「もう、営業時間は過ぎているから注文されてもなにも作らんぞ。これから仕事もあるんだ。さっさと帰れ」
「すみませぇん、旦那。ちょっとこの坊ちゃんとはなしがあるんでここ貸してくれませんかね。掃除はオレがちゃーんとやっときますんで。よろしくお願いしますよ」
「……ここは私の店であり私の所有物であって、お前のモノじゃないぞ」とグウェンダルさんは、額にしわを増やしたがヨザックが席から立ち上がらない様子をみるとため息を吐き「わかった」とレジのわきに掃除用具を置く。
「ありがとーグウェンダルの旦那。あとでどんな仕事を承りますぅ」
「そのことば、忘れるなよ。……それから、あまり小僧をいじめるな」
 グウェンダルさんは言うと店奥へとはいっていった。それをヨザックさんは見送ると「さて」とはなしを切り出すようにテーブルに肘をつき指を組んだ。さきほど見せたねこの表情をみせて。しかしその瞳には怒りに滲んでいて、おれは自然とつばを飲み込んだ。
「あの、おれウェラーさんにヨザックがいうようなことしてないから」
「オレがいうようなことやってる自覚はオマエにはねえのか。ひとつも?」
 疑うようにヨザックが目をあわせてくる。
「……ウェラーさんになにを言われたの?」
 彼の誘導尋問のようなはなしかたになんだかイライラしてしまう。遠まわしの言い方をされるより、ストレートに言われたほうがいくらか気持ち的にはいい。
 おれは若干トゲのある口調で返すと「いやあ、アイツはなにも言ってねえよ」とヨザックは口端を歪める。
「まえにも言っただろう。オレとコンラートは幼馴染なんだよ。だからアイツのことはよく知ってるつもりだ。アイツがだれかに好意を持つってのはすごく珍しい。いままでひとりくらいしかいなかったんじゃねえかな。そんなコンラートがここ最近はなすことって言ったらユーリのことばっかりだったんだよ。なのに、いきなりユーリのはなしはしない。むしろその話題を避けようとしてりゃなにかあるんじゃねえのかって思うだろ」
 ウェラーさんがヨザックにマンションでのことをはなしていなくても普段からおれのことを話題に出していたとして、突然はなさなくなったらヨザックが言うようになにかあったと思うのは不思議なことではないのかもしれない。
 それにヨザックは村田と同様、聡く友人想いのひとだ。こうして批難されるのはしかたがないのかもしれない。
「っていうか、ユーリはほんと隠し事がへただよな。『ウェラーさんになにか言われたの?』ってオレに聞く時点でコンラートとなにかありましたって言っているようなもんだろ」
「……っ」
 返すことばもない。
 声を詰まらせていると「あーあ」といやそうにヨザックが息をはいた。
「どうせコンラートがオマエに告白でもしたんだろ。吉田さんみたいに。それにいくつくまでの過程なんざ知ったこっちゃねえし、興味もない。でもよ、ああいうのはいけねえよな」
「ああいうの?」
「だから、イエスでもノーでもはっきり言わねえのがよくねえっつーんだよ。あいまいなのが一番傷つくんだってことだ。はっきりしないから相手からしちゃ、まだ期待してもいいのかと思っちまう。そういうのが思わせぶりってんだよ」
 ウェラーさんがどうしておれのことを好きになってくれたのかわからない。だけど、好意を持っていたことはたしかだった。
 おれはヨザックにいわれてやっと、自分がウェラーさんといたなかでもやもやするものが「思わせぶりな態度」だと気づいた。
 一回目のキスは、勉強だったからとおれは戸惑うなかでウェラーさんにキスをされていた。あのときはまだ、混乱していたから自分に非がないといえばうそになるけど、二回目の観覧車はおれは自分の意志でウェラーさんの問いに頷いたのだ。男同士なのに頷いてキスを受け入れている。ウェラーさんをそういう対象とみていないというのなら、おれはあそこでキスを受け入れるべきではなかった。
「やっぱり思い当たる節があるんだ、坊ちゃんよぉ?」
「それは……」
 あるけど、言いたくはない。村田に言うならまだしもヨザックに言うのは抵抗がある。ヨザックも友だちだが友だちにもそれぞれ距離がある。いまおれのなかにあるヨザックとの心の距離は『なんでも言える友だち』という場所にいないのだ。
「それは、あるけど。ヨザックには言えない、言いたくない」
「へえ。そういうことは、はっきり言えるのかよ。めんどくせえなあ、ユーリちゃんは。オマエひとりじゃ解決できないから相談乗ってあげようと親切心で聞いてるのに」
 親切心というのならもっと穏やかな態度で接してほしい。自分以上にイラついているであろう彼のことだ。このままだんまりを決めるのはむずかしい。
 だけどおれははなしたくなくて、だんまりを決めているとしびれを切らしたようにヨザックがテーブルを拳でダンッ! と叩いた。
「さっさと言えよ。言えねぇならアイツの目の届かないところに消えてくれ。正直、お前は声優なんて職業向いてないから」
「なっ……!」
 ウェラーさんとのことは怒られてもしかたのないことをしたと思うが、長年の夢であった声優の職業にまで罵倒される覚えはない。これはさすがにカチン、ときてしまい思わず席を立って言いかえそうとすると入口から聞きなれた声が聞こえた。
「あのさあ、どこのだれだかしらないけど僕の友人をけなさないでくれる? きみが渋谷の仕事に口出すのはおかしいだろう」
「村田?」
 入口に立っていたのは村田だった。仁王立ちで腕を組みヨザックを見据えている。
「アンタ、だれだ」
「相手の名を知りたいのなら、まずは自分が名乗る。これって世界共通の一般常識だと思いますけれど」
 村田はゆっくりとこちらに歩みながら、挑発的口調で返す。
「それとも、あなたの故郷ではケンカ腰に名を尋ねるのがマナーですか?」
「……オレの名はグリエ・ヨザック。コンラートの友人であり、この店の店長をしているフォンヴォルテール・グウェンダルの部下だ」
「そう。僕の名前は村田健。渋谷の友人で、そして渋谷とウェラーさんと同じSINMA事務所に勤めている声優。……フォンヴォルテールさんとはなしや読む本の趣味があってね。借りていた本を返そうと思って店に寄ったんだよ」
 言うと、村田はおれたちと同じテーブルに腰をかけた。
「わるいがあいにく旦那は仕事中でね。店を借りてユーリとはなしてるんだ。本はオレが返しておくから帰ってくんねぇかな」
 不機嫌な顔を隠すこともなくヨザックは村田を追い出そうとするが、村田はそんな彼のことを気にする素振りもなくイスの横にカバンを置く。
「そのはなし僕も詳しく聞きたいなあ」
「アンタには関係ないはなしなんだよ」
「ヨザックさんだよね。僕の名前は教えたはずだけど? 僕は『アンタ』って名前じゃなく『村田』って言うんだ」
 もしかしてもう名前、忘れちゃったんですか? と、村田は鼻でヨザックを嗤う。さっきからヨザックはおれとウェラーさんのことで腹を立てていたのだ。村田のヨザックへの態度は火に油状態。緊迫したふたりの空気におれの胸は早鐘をたてる。
「……いまどきの若者はくちが達者だねえ、村田クン。オレが言っている意味がよくわかってないようだからストレートに言うと『さっさと出てけ』っていったんだけど。オニイサンの言っている意味わかった?」
「オニイサンの言っている意味はもちろん理解してますよ。でもあなた……ヨザックさんも渋谷とウェラー
さんの問題にくちを出さないでくれますか?」
「はあ……? あんまり調子に乗ってると殴るぞ」
 わざとなのだろうが、村田のあまりにも挑発的なもの言いにヨザックも我慢ができなくなったらしく、おれが止める間もなくヨザックは立ち上がり村田の胸ぐらを掴んだ。「ヨザック、やめろよ!」と制止のことばを投げるが彼の耳には届いていないようで、至近距離から村田を睨みつけている。
「やれるものならやってみれば?」
「村田もそういう言い方やめろって!」
 すごむヨザックにたいしてもまったく村田は動じないうえさらに怒りを炊きつけるようなもの言いをする。身長差もあることながらあきらかにヨザックと村田じゃ体格がちがいすぎる。
 ほんとうにヨザックに村田が殴られたらどうしようかと焦りながらふたりの仲裁のためにおれも席から立つと村田がまるで地を這うような低い声でヨザックにことばを投げた。
「殴りたければ殴ればいい。そしたら僕はありとあらゆる手を使ってきみを追い詰める。この国には二度と足を踏み入れることができないようにしてやる、絶対に。僕からも言わせてもらおう。――あまり調子に乗るな。……わかったらなら手をはなしてくれます?」
 二十代、大人になったばかりのやつが国外退去させてやるなんて言っても『なにばかなことを言ってるんだ。できるわけないだろ』とふつうならば笑い飛ばされてしまいそうなセリフだが、村田がいうとまったく冗談に聞こえない。村田の目にうそは見えず、ヨザックもそう思ったのか苦々しい顔をしながら村田の胸ぐらから手をはなした。
「……ちっ」
「手をはなしてくれてありがとうございます。まあ、かくゆう僕も渋谷とウェラーさんのことに口出す権利なんてありませんが、ヨザックさんがウェラーさんをかばうように、僕もまた渋谷が大切な存在なんですよ。ヨザックさんの気持ちもわかりますが、僕らは第三者だ。落ち着いて見守ることに専念しましょうよ」
 ほんとうにこいつはおれと同じ年かよ……。冷静すぎるだろ。とりあえず、村田に殴られなくてよかった。
 おれは胸を撫でおろし、イスに腰をおろす。
「第三者が当事者に代わって正式に口を出す、またはサポートする権利はそれこそ法廷であり弁護士ぐらいです。まあふたりのケースはわるいけど、そこまで大きな問題ではないでしょう? 僕はいちおう渋谷側のはなしは聞いています。渋谷の言い分しか知らない。それはヨザックさんがウェラーさんのはなししか知らないのと同じだと思いますが……僕の言ってること間違っていますかね?」
「……いや」
 熱がすこし引いたのか、やや穏やかな口調でヨザックが答える。
「僕とヨザックさんは当事者ではないし、実際にふたりがどう考えているかわからない。僕たちはあくまではなしを聞く立場だ。聞いて、どうしろなんて適格なアドバイスができるほど責任なんてもてやしないんだから、このままでいいじゃないですか。心配なのはわかりますけど、人間っていうのは考えることができる動物なんだしそのうちに答えが出ますよ」
 村田がそう言うとヨザックは黙りこみ、それから「あー……」とちいさく唸り声をあげた。
「たしかにそうかもしんねぇな。……ユーリ、わるかった。ちょっと言いすぎたわ」
「え、あ、ううん。おれのほうこそ、見ててイライラさせるような行動をしててごめん。つぎからは気をつけるよ」
 ヨザックが言ったことには正しい。おれはあいまいな態度で好意を寄せてくれるひとに接しすぎていたのだ。
 吉田さんのことは、店や相手のことを考えるのをやめてきっぱり振ろう。遠回しのことばでへんに期待させてはいけない。
 きっとそれこそが、相手を傷つけることになってしまう。
 そう決意するとすこしだけ心のもやもやが晴れてきたように感じた。
「……あれ?」
 なにかがおかしい。
「どうかしたのかい、渋谷」
「なんか、ウェラーさんにはっきり自分の気持ちを伝えようと思うとウェラーさんにわるいとかそういうのなしに自分の胸が痛くなるような……気がする」
 吉田さんに伝えようとする『ごめんなさい』とウェラーに伝えようとする『ごめんなさい』どっちもおなじはずなのにどうして胸が痛くなるんだろう。
「どんな風に痛いの?」
「……胸がきゅってなる感じ。言おうとすると喉がふるえるっていうか、自分の意志とは反して泣きたくなるような……よくわかんない。でもすごく痛くなるんだ」
「ユーリ、それってもしかして」
 ヨザックには原因がわかっているのか、訝しげにおれに声をかけようとしたが「だめですよ」と村田がヨザックのことばを遮った。
「言っちゃだめです。渋谷が答えを出さなきゃいけないんですから。……渋谷もウェラーさんのことはすぐに答えを出さなくてもいいんじゃない? 悩むってことは自分のなかにひっかかるものがあるってことだし、すっきり自分のなかで気持ちを整理したほうがいいと思うよ。まずは自分で考えようね。はなしは聞いてあげるから」
「うっ……わかった」
 彼のことばに高校時代の村田式スパルタ勉強会が思い出された。
 村田は問題に躓いていると適格に教えてくれるが、ぜったいに答えは教えてくれないのだ。そのたびにいっそ教えてくれればいいのにと毎回理不尽なことを思うが、でもそうしていっぱい悩んで答えを導きだすと「ああ、これでよかったんだ」と思える。おそらくいまおれが抱えている気持ちが一体なんなのか村田もヨザックもわかってるのだろう。でも、こうして村田がいうということはおれがちゃんと答えを出せるということのなのだろう。
「ま、今日のところは帰ろうよ。ああそういえば、さっき事務所に行ったら明日ユーリくん連れてきてってさ。朝九時だって」
「わかった。……ごめん、ヨザック。おれ帰るね」
「おう。また、喫茶店でな」
 ヨザックは心の切り替えがはやいタイプらしい。さっきまで険悪なムードだったけど、もうすっかりいつもの明るいヨザックに戻っていた。
「では僕も。とつぜん失礼しました」
 おれのあとに続くように村田が立ちあがりヨザックに会釈するとヨザックが「なあ」と声をかけた。おれではなく、村田に。
「なんですか?」
「あのさ、オレ。ケンちゃんに恋しちゃったかも。よかったら連絡先教えてくれない?」
 そう言ってにっこりと笑うヨザック。
 ……おれは、このあとの出来事をきっと生涯忘れるはないだろう。
 村田がゆっくりと引きつった笑顔のまま首をかしげたあと、眼鏡をあげ直すとさらに、笑みを深めてヨザックに一言。
『顔を洗って出直してきなよ』
 極寒零度の嘲笑。もちろん、村田の目は笑っていなかった。
 ……村田、怖すぎる。


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