■ 15

「ぎっ……ぎりぎり間に合った」
 息切れしながらも、なんとか喫茶店『KATHAEN』に到着すると急いでセーラー服に着替える。バイト当初は、仕事とはいえ女性モノの服に袖を通すことに違和感があったが、何度も繰り返せば慣れてくるものでさっさと衣装を身につけて顔を洗い、粉をたたく。さいごにヨザックに以前つけてもらった小物、カチューシャを装着しかるく前髪をよこにながせば完成。
 タイムカードを切りホールへ向かうとキッチンにオーダーを告げようとしていたヨザックに出くわした。
「おはよう、ヨザックおつかれさま」
「おっはよう! ユウコちゃん。いまホールの人手が足りないのよ。オーダー待ちのお客さんがいるからとってきてくれる?」
「はーい!」
 よかった。もしかしたら、ヨザックになにかウェラーさんのことでなにか言われるのかと不安があったが彼にこれといってかわった様子はない。
 ウェラーさん、ヨザックになにも言わなかったのかな。
 ウェラーさんは、だれかに相談するタイプにはみえないし……。
 わるいことをしたわけではないとおもうけど、どうして後ろめたい気持ちになるんだろう。
「ユウコちゃん、ぼぅっとしてないでさっさとオーダーをとってきて!」
「あっ、はい! すみませんっ」
 キッチンスタッフの宮本さんから注意をされ、おれはあわててホールに向かう。ホールはめずらしくお客さんがおおく、スタッフがせわしなく動いている。
 いま仕事に集中しないと。
 ぱんっと気合いを入れるように頬を叩いておれはオーダーを受けにお客さんのもとへと向かった。

 ――それから目がまわるくらいに忙しかったが、一時間ほどするお客さんの出入りも落ち着いてきた。たぶん今日は仕事から帰宅帰りのより道に予約をしていたお客さんが多かったのだろう。十八時近くなると店内は常連さんがぽつぽつといるだけとなった。
「吉田先生、おまたせいたしました。メロメロオムライスです」
「ありがとう、ユウコちゃん」
「先生、今日はケチャップでなにを書きましょう?」
 いまおれが接客している吉田さんというひとも常連さんのひとり。先生というのは、今月の制服がセーラー服なのでそれに沿ったテーマの愛称をお客様につけるのだ。先生や先輩、それからコーチ。この三種類の呼び名から選ぶことができる。
 女装喫茶店『KATHAEN』のシステムは、店の系列にあるメイド喫茶とほぼ同じものを取り入れている。
 喫茶店は予約せずとも入店は可能だが、店が空いているときに限り、空いていたとしてもひとり席などが限られている。また、入店すると必ずポイントカードがひとり一枚配布され、そのポイントに応じて特典やサービスがつく。例を挙げると入店する際、入店料(メイド月間はご帰宅料ともいう。お客様を御主人さまとしてお迎えするためこのような言い方をする)が『KATHAEN』ではその入場料が五百円と設定されているが、十ポイント(入店回数が十回)になると四百円になったり、三十ポイントたまるとその日いるスタッフを指定してオーダーをとることが可能になるのだ。そのポイントがたまるとカード質や色も変わる。
 吉田さんはそのなかでもかなりの常連さんでポイントはとうに五十ポイントを越えているゴールドカードの持ち主。あと数十ポイントでプラチナカードというもうワンランク高いものに更新されるとスタッフに聞いたことがある。
 ここで系列のメイド喫茶とシステムが異なるところは五十ポイントを貯めた常連さんが予約を入れる際は、当日のスタッフを指定して入店時間六十分制いっぱい指定されたスタッフが予約をしたお客様を優先的に接客をすることが可能になるのとこれまた系列店にある執事喫茶のシステムが取り入れられ、プラチナカードに更新されると誕生日を店で祝ってもらうことができ、また、お客さんの任意で名前や呼び方でおもてなしをして執事喫茶と同様そのお客さんのみ担当として入店された際は接客や話し相手になることができるのだ。
「うーん……それじゃあ、おつかれさまって書いてもらってもいいかな? ユウコちゃん」
「はい」
 いわれたとおりおれはケチャップでオムライスに『おつかれさま』と書く。お約束である「先生のために丹精こめて作りました」ということばをそえて。
 おれ的には、まだバイトをして日の浅い自分をなぜ吉田さんが予約で指定してくれたのかわからない。週に三回来店する吉田さんに指定をされるのは今回がはじめてのことだ。
「ありがとう。ユウコちゃんは今日もかわいいね。ユウコちゃんのかおをみると仕事の疲れも吹っ飛ぶよ。ほかのお客さんから呼ばれるまでぼくの相手してくれる?」
「……はあ」
 吉田さんはそう言って向いの席を手で仰ぐ。
 おれは店内を見渡し、周囲を確認する。とくに忙しそうではなさそうだ。一応ホールを巡回する先輩スタッフにアイコンタクトをとってみれば了承するようにちいさくうなずいてくれたのでおれは向い席に腰をかけた。
 吉田さんは二十七歳で大手IT企業に勤めているひとらしい。だいたい帰宅帰りに来店するらしくいつもスーツだ。ブラックのスリムスーツを着こなしていてさりげなく刺繍されているロゴは高級ブランドと称されるもの。垂れ目がちで栗色のややパーマのかかった髪が印象的で全体的に甘い感じがする、イケメン。スタッフにも人気で吉田さん男女問わず恋愛できるバイだそうだ。
「予約するときに今日のメンバーのなかにユウコちゃんがいるって聞いてね。ぜったい指定をいれなきゃって思ったんだ。きみみたいなかわいい子はすぐにほかの常連客に指定されちゃうから」
「そんなことないですよ! 指定されたのだって今日がはじめてですし!」
「はじめてなの?」
 驚いたように声をあげる吉田さんにおれはこくん、とうなずく。
「はい。ここで働くようになってからまだ日も浅いですし、接客もうまくないですから」
 言うと吉田さんはテーブルに肘をのせて「もったいないなあ」とため息まじりで呟いた。
「もったいない?」
「そうだよ。ユウコちゃんこんなにかわいいのに指定しないなんてもったいない。ホールで一生けん命働いているすがたとかくるくる変わる表情とか見たときぼく、きゅんとしたんだよ」
「あ、ありがとうございます?」
 きゅんってなに? そうおもうもののたぶん褒められているんだろう。おれは疑問形で礼を述べると「周りもきみの魅力に気づいてないけど、ユウコちゃん自身も気がついてないんだね」と宮本さんお手製のオムライスを食べながら吉田さんは言う。
「みりょく?」
「気づいていないからこそ、美点なのかもしれないね。まあ、でもそれはそれでいいや。もうすぐゴールドカードからプラチナカードに更新されるし。そうなったら、ぼくはきみをつねに指定するから」
 ほかのひとに、目をつけられるまえにね。と、一言付け足した。
「そんなことしなくても、吉田先生だけですよ。おれ……あ、あたしを指定をするなんて。目をつけられるとかないですから」
「やっぱりユウコちゃんはまだ『私』っていうのが慣れないんだ」
 くすくすと吉田さんは笑いながら言う。ここではみんな男性が使用するような一人称はタブーだ。『私』『あたし』ひとによっては『ボク』それから自分の名前を呼ぶことがルール。それは店長であるコ―ディさんが決める。おれの場合は『あたし』だった。『私』よりくだけた口調が似合うから、らしい。たしかにほかの一人称より自分にしっくりくる感じがするが、それでも意識をしないと無意識に『おれ』と言ってしまうのだ。ときどきそのことで先輩スタッフに注意されてしまう。お客さんが自分たちに本物の『女の子』を求めてはいないが、かと言って『男の子』を必要としているわけでもないからだ。女性でもなく男性でもないほかの中性的なものを求めているのかもしれない。
 なので、お客さんのまえで『おれ』と言ってしまうとかおをしかめられることもある。
「……すみません」
 謝ると「いや、注意をしたわけじゃないから」と吉田さんは眉尻をさげて言う。
「そういうところもかわいいなって言っているんだ、ぼくは。ね、ユウコちゃんはやっぱりノンケ? 男は対象外かな」
 問われて、おれは目をそらした。
 ……にぶいおれでもわかる。おれは吉田さんに好意を持たれている。
「ええと……先生、そういうはなしはダメですよ」
「ダメ?」
 吉田さんが首をかしげる。
「だって、私たちは先生と生徒です。恋愛のはなしはご法度でしょう」
 ここでは、ここの世界がある。現実の世界とはちがう世界が。例えるとするなら以前ウェラーさんと行ったテーマパークがそうだ。そこでは、現実が切り離され、みんなが夢の国へと誘われる。あんな感じだ。
『KATHAEN』では……いやこのような喫茶店には暗黙のルールというのがある。相手のことを必要以上に探らないということ。年齢や仕事、それから恋愛関係。絶対にだめだということではないが、お互いに了承、相手に気があることを前提とし、ほかのひとには隠しておかなければならない。
 吉田さんにはわるいけど、おれにはそういう風には彼をみることができない。
 おれは喫茶店の月間テーマである『セーラー服』を利用してはなしをそらしてみたものの、吉田さんは目を細めて口先をゆるくあげただけだった。
「ふぅん? ユウコちゃん恋愛ごとにはにぶいのかと思ったけど、なかなか冴えてるんだ。ぼくがそう意味できみに接してるってことはわかってるっていうことだよね」
「あ……」
 失敗した。
 笑顔が引きつるのを感じる。もっとほかの話題をだしてはなしをそらせばよかった。いまさら「そういうわけじゃないですよ」なんて言っても察しついている彼には意味がないだろう。
「ま、遅かれ早かれぼくはユウコちゃんを口説くつもりだったんだ。一目ぼれってやつかな」
 ここで「おれはその気持ちに答えることができません」とかはっきり意思表示をすればこのはなしは続くことはないとわかっている。それにまえにヨザックが言ったようにこの喫茶店は『お客様は神様ではありません』精神だからこのことコ―ディさんに告げれば彼は出禁になるかもしれないけど、このような類いは頻繁にあることでおおごとにするものではない。先輩スタッフのアドバイスにも『そういうのはうまくあしらうのがいちばんいい』と聞いた。
 とりあえず、これ以上彼とはなしを続けてもよくない。そっと時計をみればもう二、三十分ほどはなしをしている。
「はなしの途中ですみませんが、そろそろほかの先生のところにも行かないと……」
 言うとおそらく吉田さんには逃げたと勘付かれているが、彼は「そっか」とおれが席を立つことを咎めたりはしなかった。
「しかたないけど、ぼくにはまだきみを独り占めする権利はないからね。くやしいなあ、もっと頻繁に通ってさっさとプラチナカードにしておくべきだったよ」
 あながち冗談で言っているような様子ではない吉田さんにはじめて苦手意識がうまれる。
「……はは」
 乾いた笑いしかでない。
 すると、キッチンにいる宮本さんがこちらに手を振っているのが目にはいった。料理を運ぶスタッフをさがしているのかもしれない。
「あっ。あたし先輩に呼ばれたので行きますね」
 キッチンがあるのは吉田さんのうしろ。おれはお辞儀をし、彼のよこを通りすぎようとすると腕を掴まれ手のひらになにかをのせられ開いていた手をぎゅっと両手で握られる。
「っ!」
「返事、まってるから」
 それ以上吉田さんは何事もなかったように微笑み、まえを向いて再びオムライスを食べはじめた。

 足早にキッチンへ向かうと、心配そうに宮本さんがおれの顔をのぞき込む。
「……ユウコちゃん、もしかして具合よくない? 顔色がわるいよ」
「え、あ……っ、なんでもないです」
 否定して笑顔を浮かべようとするが、さっきのこともあってうまく笑えていないのが自分でもわかった。それから吉田さんに渡されたものを未だに握りしめているのに気がついてセーラー服のポケットにすぐに押し込む。
「ほんとうに平気? 顔、真っ白だけど……。それとも吉田さんになにかされた?」
「なにもされていません……」
 声がふるえそうになる自分はなんて情けない男なのだろう。毎日、アフレコのときは怒られたり小言を言われてるときはこんな風にはならないのに。心配そうに問う宮本さんの声で泣きそうになってしまうのか。
「……もしかしたらさいきん寝不足だから、からだに疲れがたまってるのかもしれません。そんなことより、料理持ってきますよ。どのテーブルに持っていけばいいですか?」
 キッチンテーブルに並べられた、たくさんのオムライス(メイド喫茶と同様ケチャップでメッセージを書いてもらえるとあって当店いちばんの人気メニュー)をいくつかトレイにのせて宮本さんに尋ねると彼は困った顔をしながらちいさく息をはいてオムライスを運ぶテーブルの番号を教えてくれた。
「二番、五番、六番テーブルですね。それじゃ、行ってきます」
「うん、よろしく。……具合がわるくなったらだれでもいいからスタッフに言うんだよ」
「はい、ありがとうございます。でも、だいじょうぶですから」
 言っておれはそそくさとキッチンをあとにした。宮本さんに心配と詮索をされないように。

* * *
 
 吉田さんは入店六十分制限いっぱい店内にいたが、とくにあれ以降なにもされなかった。(ときおり、吉田さんの視線を感じたけど、おれは彼のほうを見てないからほんとうに視線をおれに送ってるのかはわからない。)
 そのうちにふたたびホールが忙しくなり、おれはセーラー服にいれていた吉田さんに渡された紙のことをすっかり忘れていた。
 気がついたのは、仕事が終わりスタッフルームでセーラー服を脱いだときだ。服は店のものなのでひどい汚れ以外は、店側でクリーニングに出してくれる。なので、服に入れていた私物は必ず確認しておかなければならない。
 そうして、スカートのポケットのなかに手を突っ込んで紙を指先で感じたとき自分の表情がこわばったのがわかった。手のひらにのるほどのちいさな紙をおそるおそる掴む。それは吉田さんの名刺だった。裏をめくるとプライベート用なのか、表に記載されている電話番号とメールアドレスが違い、手書きで書かれていた。
 連絡するつもりはない。吉田さんにはわるいけど、これは処分しよう。
 憂鬱になる気分で名刺をみつめながら決めると、背後からだれかに肩をつかまれた。
「あらーユウコちゃんったらモテモテね。吉田サンのこと狙ってたんだけどなあ」
「……グリエちゃん」
「はあい、グリエちゃんでーす」
 肩を掴んでいたのはヨザックだった。
 おれはあわてて、名刺を隠そうと手を引っ込めようとしたが、それよりもはやくヨザックはおれの手から名刺を奪っていった。
「あ……っ」
「もしかして、吉田サンと付きあうつもりなの?」
 ふだんの人なつっこい笑顔とはちがい、童話の世界にいるねこのような笑みを浮かべてヨザックは言う。
「付きあうつもりなんてない。家に帰ったら捨てようと想ってたんだ」
 答えると「ふぅん」と鼻で笑う。
「それで? 吉田サンにはなんて返事をするつもりなわけ」
「それは……まだ考えてる」
 言うとヨザックは腹を抱えて笑いだした。「さすがはニッポンジンってやつか!」と。
「は?」
「は? じゃねえよ。なんでもかんでも穏便にすませたいっていうのは虫が良すぎるって言ってんだよ、ユーリ。どうせ、相手は好きじゃないから断りたい。でも、相手を傷つけるのはいやだし、仕事にも迷惑がかかるからって思って悩んでんだろ? そういうのはやさしさじゃない」
 あきらかに怒りを含んだ声でヨザックが言い、続くことばにおれはひゅっと息を飲んだ。
「そうやって、アイツも――コンラートもそうやって、思わせぶりな態度で接してたんだろ」
 そんなことをしたつもりはない。
「なあオレに教えてくれよ。どうやってコンラートを誑かしたのか」


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