■ 14

「それに仕事でぎくしゃくしたって、仕事は仕事で割り切ればいいじゃん。そりゃ仕事内容によっては長期間一緒に仕事しないといけないこともあるけど、そこに私情を挟まなければいいだけ。最初はつらいかもしれないけどいずれは慣れるよ。大人なんだし」
 言われてみればそのとおりだ。
 ウェラーさんにおれは、自分の感情がコントロールできないから仕事に支障が出るなんて言っちゃったけど、そんなのただの八つ当たりだ。自分の感情がコントールができないのはおれ自身の責任。
 なのにおれは『仕事をいいわけに答えを聞こうとしたこと』で怒っていて『演技と言って私情込みでキスをしたこと』などには村田に言われるまで考えたこともなかった。しかもキスは村田には言えないけど気持ちわるいどころか気持ちよかったし、同性からの告白ということにも驚いたけどそれ以前の告白に戸惑ってたし……。
 なんでおれはウェラーさんに仕事に影響、と言われたことであたまが血がのぼってしまったんだろう。
「……もうしわけないんだけど、渋谷。思ったことがくちにでてるよ」
「え、あ、ごめんっ」
「いや、べつにあやまることじゃないけどさ。まずはぐるぐる悩むのをやめて、ひとつひとつ出来事を整理してみたほうがいいかもしれないよ。一度に考えちゃうからあたまがパンクしちゃってるのかもしれないし。はなしたことでちょっとは気持ちに余裕がうまれたんじゃないかな?」
 悩むことでいっぱいいっぱいだったけど、いまならちゃんと自分の気持ちと向き合うことができるかもしれない。あとすこしのところで止まっていた食べかけのチーズバーガーを一気にくちのなかに放りこみ、ジュースで流し込むと村田がカバンのなかからルーズリーフとボールペンを取り出してなにか書きだした。どうやらおれとウェラーさんとの出来事を時系列に並べているらしい。
 書き込み終わると、村田は紙とペンをこちらに差し出した。
「あたまのなかで考えるよりも、思いつくままそのときに思ったことを並べてみたら? きみがどんなことを書いたってひいたりしないから安心してどうぞ」
「うん、ありがと……」
 おれはナプキンで手についた油を拭い、差し出されたペンを手にとった。
 ひとつひとつ出来事を回想をするたびに、なんともいえない感情がふつふつと胸のあたりを撫でていくような感覚を味わいながらそのとき感じたこと、いま冷静に考えて思ったを断片的ではあるが、書き込んでいく。

 そうして、書き込み終わったことを村田に告げる。
 村田はおれがルーズリーフに書き込んでいるあいだにレジに行き追加注文したチキンナゲットをもぐもぐと食べながらおれが書いた文字を読んでいく。
「なんか……まじまじと見られるとちょっとはずかしいものがあるな」
「そんなのいまさらでしょ。僕はきみのかわいい喘ぎ声とか聞いてるのに」
「だれかが聞いたら誤解する言い方はヤメテクダサイ」
 あの喘ぎは演技であって、おれ自身は断じて喘いでない。
 おれも仕返しに「村田の喘ぎ声のほうがかわいかったよ」と企画収録でのことを言ったが村田は顔色ひとつ変えず「そりゃ、萌声を研究してるからね。あたり前田のクラッカーってやつだよ」と本当に同世代なのかと思うギャグ付きで切り返されてしまった。
 さすがは村田。だてにおれが買っている声優雑誌のコーナー『萌えるBL受け声、声優ランキングベストテン!』の上位に君臨するだけはある。
 村田が筆箱のなかからもう一本ボールペンをとり出しておれが書いたものにいくつかラインを引いていく。
「いま僕がライン引いたやつ、あとでひとりで考えてみて」
「? わかった。あー……なんか、おれもまだ食い足りないかも。なにか頼んでくるな」
「はーい」
 なんだかんだで村田にたくさんアドバイスもらってしまった。そういえばCMでいまならアップルパイを買うともう一個アップルパイが無料で買える券がもらえるとか言ってた気がする。のちのち村田にはちゃんとお礼をするとして、今日はアップルパイを買って、無料券を村田に渡そう。 
 おれはそう思い立って席をたち、なんとなく視線を窓ガラスから歩くひとびとをみて再び隠れるようにまたイスに座りなおした。
「どうかした? 渋谷」
「……ウェラーさんがいた」
 あいかわらず、変装に見えないほどおしゃれな格好をしてヨザックと談笑しているウェラーさんが歩いている

「ここ二階だし、気づかれないのになんで隠れるのさ」
 呆れたように村田が言う。まったくだ。隠れる必要なんてないのに、おれなぜ隠れたんだろう。しかも、昨日あんなこと言ったくせに笑っているウェラーさんをみた瞬間、苛立ちをおぼえた。
「こっちにこないよな……」
「来ないんじゃない、たぶん。っていうか、渋谷は一度顔をみたほうがいいかもね」
 おれから視線を移動し、村田もしたを見下ろしウェラーさんとヨザックの目で追う。
「顔? おれ、どんな顔してる?」
 尋ねると村田はこちらをチラ、と一度見て「さあね」とそっけなく答えた。
「ほんと、にぶいっていうかなんていうか……」
 ちいさく村田がぼやいたのでよく聞き取れなかった。
「ごめん。よく聞き取れなかった。にぶいとかなにか言った?」
「なんでもないよ。渋谷がへんてこな顔してるなあって言っただけ。さ、そんなことよりなにか買ってきなよ」
「あ、うん。行ってくる」
 おれは立ち上がりレジに並ぶため村田に背を向けてこっそり顔をさわってみたが、村田がいうような変化がないと思うんだけど……。
 あたまを傾げながら「ご注文は?」と笑顔が全開すぎる店員さんに若干気落とされながらおれはアップルパイを頼んだ。

* * *

 ――帰宅したのは、夜の二十三時をちょっと過ぎたところだった。
 いきつけのファストフード店で昼ご飯を食べてから、おれと村田はファストフード店の向かいにある本屋へ行き村田お目当ての新刊を購入したあと「ストレスは定期的に発散しないとね」ということで買い物にゲームセンター。カラオケと遊び倒した。しかも村田行きつけの穴場を紹介してくれ、どちらも通常の値段の半分という破格の安さでお財布のなかがさびしいおれにはかなりありがたかった。
 ひさびさに思いっきり遊び、気持ちのいい疲労感がからだにじんわりと巡る。帰りはふたりで銭湯に行って汗もさっぱり洗い流してさっぱりしたし、あとは着替えて寝るだけ。
 いい感じに眠気もきているしこのままベッドにダイブしたら気持ちよく眠れそうだ。そう思い、上着を脱ぐとポケットのなかからなにかがぽとりと床に落ちた。
「あー……」
 広いあげたそれはファストフード店で書いたあのルーズリーフ。
『いま僕がライン引いたやつ、あとでひとりで考えてみて』
 村田のことばがよみがえり、ラインを引かれた箇所をベッドに寝そべりながら読みなおす。ほんとうは見て見ぬふりして眠りにつきたいけど、それはそれで気になって寝れそうにない気がする。
「っていうか、おれマジ自分勝手だよなあ」
 ヨザックと談笑してるウェラーさんを見たときあんなことがあったくせになんで笑ってるの、とムっとしたのに今日一日の自分の行動を思い返すとおれもひとのこと言えない。
「……もしかして、ウェラーさんもヨザックに悩みを聞いてもらったりしてたのかな」
 そうなるとヨザックにはいろいろと筒抜けってことになる。……つぎのアルバイトのときに居たたまれないけど、自分も村田にはなした手前、ウェラーさんを責めることはできない。
 ヨザックとなにをはなしたんだろう。気になったが手に持っているルーズリーフのことを思い出して散漫になっていた思考をかき消すようにぶんぶんとあたまを振った。いまはあのふたりのことを考えるんじゃなくてまず自分の想いを整理しないと。
 思いなおして紙を見直し、息をはく。
「もっとよく考えてみろっていわれてもなあ」
 最初にラインが引かれているのは『キスされても気持ち悪いと思わなかった』というところ。おれはノーマルだから村田が言ったように本来なら気持ち悪いと感じるのがあたり前なんだろうけどそう感じなかったのはウェラーさんのキスがかなりうまかったから、というのがおれとしては理由な気がする。いくつか読んだり、聴いたりしたBLモノのなかにはおれと同じようにノンケだった主人公がキスをされてメロメロに……。
「っておい! いやいやキスが気持ちよかったからっておれホモに目覚めたってわけじゃないし!」
 ちょっとだけBLの内容が自分と似てるかもとか、それじゃあ、おれは受け? みたいなバカなこと考えてしまった。
 おれはノンケ。おれはノンケだ。
 自分に言い聞かせてほかにも引かれたラインを自分的に結論を出していく。
 そうして、最後まで答えを出してみたけどよくわからない。
「……けっきょく、ウェラーさんのことどう思ってるって言われても」
 事務所の先輩で、あんなことされても顔もあわせたくないほど嫌いにはなれない。憧れのひとであるのはいまもかわらないのだ。
 やばい、本格的に眠くなってきた。明日は午前中は収録があるし午後はアルバイト。もう寝たほうがいいのかもしれない。
 おれの住むアパートはワンルームしかない。ベッドからいっぱいに手を伸ばせば届く距離にテーブルがある。テーブルにルーズリーフを置く。あとでゆっくり考えてと言われたけど、眠くてあたまがまわらないからちゃんと自分の気持ちを理解ができないんだといない村田に言い訳をし、ふとんをかけなして寝る体制にはいったが失敗したことをすぐに気づいた。
「電気消し忘れた……」
 スイッチは玄関とリビングのあいだにある。これじゃ二度手間だ。
おれはベッドサイドの照明をつけてのろのろと起きあがり、電気を消しにいく。
「あれ?」
 テーブルに置いた裏返しのルーズリーフになにか書かれている。自分が書いた記憶はないから、村田がたぶんおれが追加注文したときに書きこんだのだろう。
 それを目で追っておれは電気を消してベッドにもぐりこんだ。
 書いてあったのは、たった一言。
 それは悩むことなく答えがでた。

* * *

「……」
 声もでない、というのはこういうことを言うのだろう。
 これが絶句。これぞ絶句というものか。
 いやいやことばを失ってる場合じゃない。おれはゆっくりとあいた口を噤み、つばを飲み込む。そしてながくながく息を吐きながら現状を受け止めた。
「や……って、しまった」
 めくりあげたままのふとん。おれの視線は一点を凝視した。こんな寝覚めのわるい朝は中学、高校時代に数回味わったことがある。
 凝視したさきは寝巻きのズボン。もっと適格な場所をいえば……股間。その部分だけが色が変化している。もちろん、この歳になっておねしょではない。
 男性の生理現象のひとつ――夢精だ。
「おれってほんとどうしようもない」
 まさか夢精をするとは思ってもみなかったけど、こうなってしまった原因は察している。原因は昨晩みた夢だと思う。
 ウェラーさんのことや、今後控えているBLドラマCDのことを無意識に考えていたのか夢のなかでは『今日から王様!』のワンシーンがあらわれた。しかも、なぜか挿絵のかっこかわいいベルとイケメンリヒャルトではなくベルはおれ。リヒャルトにはウェラーさんが投影され、ワンシーンは房事だった。目が覚めてしまうと内容はあいまいというか断片的になってしまったが、それでもかなり濃厚なものだったことはおぼえている。
 房事の一貫だからとだれもいない執務室の椅子に座らされたおれはひじかけにひざをのせ、正しい自慰ができるどうかウェラーさんのまえで自慰を強要されていた。……夢とはいえ、思いだすと顔から火が出そうだ。
「とりあえずシャワー浴びよう」
 いつまでも気持ちわるい感触を浸りたくない。おれはさっさとシャワーを浴びにベッドから降りた。

 シャワーを浴びてあたまもすっきりした気がする。
 朝のこともあって、気分がそのまま仕事に影響しないか心配だったけど今日は怒られることはなかった。(まあ、かと言って褒められたこともなかった。わかってたけど)
 帰りに事務所に寄り、いくつかオーディションの通知をもらった。やっぱりあの企画のおかげか以前よりすこしオーディション量も増えていた。増えたからと言って何十本に一本受かればいいほどという競争率。受からなければ仕事にはつながらない。
 今日のアルバイトは午後十七時から二十時の三時間。早めに収録が終わったこともあって、けっこう時間がある。
 そういえば、近くの劇場で気になっている舞台がやっているのを思い出した。憧れる声優さんが入団しているから街でポスターをみるたびに気になっていたのだ。お金がないからとあきらめていたけどアルバイトをさせてもらっている女装喫茶『KATHAEN』は日給制なので以前よりはちょっと無理をしても懐は痛くない。
 劇団に声優が入団しているというのはめずらしいはなしではない。反対に舞台役者を主として声優業をしているひともいる。通っていた専門学校のカリキュラムのなかにも舞台も取りくまれていた。声だけでキャラクターを演じるだけではなく自分自身がその人物となって自然な演技や表情。それから声量を身につけるのだ。監督のなかには舞台でそれらを積み重ねたひとを好む方もいる。
 基本的に舞台は最前席、一般席とわけられていて事前にチケットを購入するのが一般的だ。人気の高い舞台は販売を開始してから五分も経たずに完売してしまったりする。今回公演される舞台も評判がたかく、当日券があるかはむずかしいところだが、一応行ってみよう。なければないで、ぶらりと街を散策するか家に一端帰ればいい。
 そうと決まれば善は急げ。おれは劇場へと足早に向かうことにした。

 ーー劇場に着くと開場を待つひとや劇場でし手に入らないグッズを購入するために物販の列に並んでいるひとがちらほらといた。まだ午後の公演には時間がようで、そんなにひとは並んでいないようだ。
 スタッフに声をかけ「当日券はありますか?」と尋ねるといくつかまだ残っているということでおれは当日券を無事手に入れることができた。このまま、午後の開演時間まで並んで待っていてもいいけど、小腹がすく。
 さきに昼ご飯を食べ、入場ぎりぎりにはいって開場に行き席に座ることにしよう。当日券だし、席はおそらくうしろになるだろうし……。
 おれは一度、劇場から出て近くにファミレスがないか見渡しながら歩くことにしたが、近場のファミレスはおれと同様開演時間まで時間をつぶしているだろうというひとであふれていた。
「うーん……ないなあ」
 どこのファミレスも満席という看板が出ている。
 こうなればしかたがない。コンビニでおにぎりを買って劇場のそとに設置してあるベンチで待つことにしよう、と赴いたファミレスから出ようとしたとき、店内から大きなマスクと帽子をしたあきらかに不審者と認知されそうなカテゴリーに入っている男性が小走りにこちらに向かってーーおれの肩をがっちりと掴んだ。
「ひっ!」
 驚きのあまり短い悲鳴をあげて、男の手を振りはらい店員さんを呼ぼうと大きく息を吸った途端、男が焦ったようにおれの名前を呼んだ。
「ちょっ、まて渋谷! おちつけ! オレだよ、オレ!」
 一瞬、巷で有名な『オレオレ詐欺』かと思い訝しげな視線を男におくり「だれだ?」と疑い深い口調で尋ねれば男
はきょろきょろとあたりを一瞥してから深く被っていた帽子をすこしあげ、わずかにマスクをはずして素顔をみせた。
「あっ」
「オレだっつーの! オレのこと忘れた? 増田、増田亮平。おまえ午後の開演まで時間をつぶすとこ探してたんだろ? オレんとこ空いてるからこいよ」
 小声の早口で言い、不審者もとい増田はおれの手を掴んで席へと案内していく。店から一番奥の入り口から見えにくいソファー席に。
 奥の席にはもうひとり増田と同じくマスクで顔を覆ってるひとがみえた。
「おい、マー。トイレが長いぞ」
 『マー』というのはたぶん増田の愛称だろう。増田は「ちげーよ」とムッとした口調で答える。
「ほら、えんちゃん見てみろ! 渋谷だ、渋谷!」
「え、あ……っ」
 増田に腕を引かれ『えんちゃん』と呼ばれたひとのまえに引っ張りだされて戸惑うおれをよそに『えんちゃん』は「おー!」と声をあげた。
「渋谷じゃん! うっわー顔かわんねぇなあ!」
『えんちゃん』もマスクを外して顔をみせ、おれは声をあげた。
「遠藤!」
「久しぶりだな、渋谷。懐かしいなあ……ほら、座れよ」
 遠藤にぽんとソファーを叩かれ、促されるように叩かれた場所に座る。
「なんでおまえら、マスクしてんの?」
 ずっとさっきから気になっていたことを尋ねるとふたりは一斉に眉を下げて増田と遠藤は顔を見合わせた。
「けっこう最近は出てるほうだと思ったんだけどなあ。オレたちもまだまだね」
「出てる?」
 小首を傾げると増田は、ちょっと照れながら「オレたち劇団員なんだ」と言った。


[ prev / next ]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -