■ 10


 アルバイトをはじめてから、数日が経つ。
 バイト先でのおれの名前は『ユウコ』。周二日から三日ほど『KATHAEN』という女装喫茶で働いている。
 で、今日もおれは『KATHAEN』で働いて絶賛女装中だ。女装喫茶では一か月ごとに衣装テーマが変わる。まあ変わるとは言ってもいくつかのパターンをローテンションしたり、あとは季節のイベントに合わせていくらしい。
 紹介されたのが月末だったので、今日からは新しい月。今月は『女子高生』がテーマ。ブレザーとセーラー服。おれはくじの結果、セーラー服を着用していて、スカーフを止める校章はネコのバッチになっている。なぜネコなのかといえば喫茶店の名前である『KATHAEN』はドイツ語で『かわいい子猫』だそうでそれにちなんでいるそうだ。
 ちなみに基本的に服などやメイク道具は店側から貸し出されているが、テーマにそっていれば私物でもいいらしくスタッフのなかには自分で購入した服を着ているひともいる。もちろんおれにはそこまで気合いもお金も女装服を購入する勇気もないのでありがたく店に用意されたものを使っている。
 セーラー服を着て、白のハイソックスをはきおわるころ「おはよぉ〜ん」と朝からハイテンションな声が聞こえてきた。
「グリエちゃん、おはよう!」
「おはよ、ユウコちゃん。朝一番に来るなんてはりきってるわね。このお店で働くの楽しくなってきたのかしらん?」
「ちがうってば! おれみんなにお世話になりっぱなしだし、早出のときくらい店の掃除をしておかなきゃいけないなって思って」
 あの日以来、おれは彼――グリエちゃんと以前よりも仲良くなった。彼もウェラーさんと同様に友だち関係になると年齢は気にせずはなしたいらしく敬語よりもタメ口を好み、呼び捨てや愛称で呼んでもらえるほうがいいという。なので、おれは敬語をやめ『ヨザックさん』という呼び名から『ヨザック』や『グリエちゃん』と彼を呼ぶようになった。
 ヨザックにいたっては、ウェラーさんとちがって仕事の関係ではないし、上下関係もないので後ろめたい気持ちが生まれないからかもしれない。
「ほんと、ユウコちゃんはいい子だな。ならアタシも着替えたら一緒に店内掃除を付き合うわ。あ、そのまえにちょっと」
 まだ着替えてもいないのにふだんよりもおねえ口調のヨザックがおれに近付いてくると店に置かれている女装用の小物が入ったカゴのひとつから赤いシンプルなカチューシャを取り出しておれの髪につける。
「はい、できた。小物ひとつでかわいさはアップするのよ。あとで、ちょっと化粧もしてあげる」
「う、うん、よろしく。それじゃあ掃除してくる」
 ズボンとちがって肌との密着面がすくないスカートにはだいぶ慣れてきたが、化粧はまだまだ苦手でおれはそそくさとホールへと向かった。おれの場合、化粧をするとはいってもコ―ディさんいわく『あなたは清純な女の子のイメージでやっていきましょ』とのことなのでがっつりと化粧はしなくていいと言われているが、おしろいをはたいたりビューラーでまつげをあげて透明なマスカラでつけたりと必要最低限のことはしなければならない。毎日時間をかけて女の子はこうした努力をしているのかとこの喫茶店で働くようになってはじめてちゃんと理解して、それからいままで付き合ってきた彼女たちに悪いことをしていたのだな、と自分の鈍感さを恥じた。
 デートで会うときに『今日の私ってどうかな?』と尋ねられておれはいつも『かわいいよ』とか『きれいだね』と言うがそれ以上のことを言わなかった。彼女たちはデートのために髪型や化粧。洋服を選んでいたのだろう。なのに、おれときたらそういう彼女たちの努力にまったく気がつかなかったのだから、彼女たちが聞いたあとで落胆したようにため息をついてもしかたがない。おれはほんとうに『乙女心』ってやつがわかっていなかった。
 おれは掃除用具ロッカーからモップを出して床を磨きながら、ひとり反省会をし盛大にため息をついた。『乙女心』を気づかなかったことよりも、もっと反省しなければいないことがある。
「おれ、まじでなにやってんだろ……」
 セーラー服の胸ポケットに入れた携帯電話をとりだして数十分前に届いた受信メールを開く。
『おはようございます、ユーリ。役作りのほうは順調でしょうか? 空いているがあれば会いませんか。はなしたいことがあるんです』
 送信者名にはコンラート・ウェラー。
 あれから何度かウェラーさんからこうしたメールが届き、おれはそのたびになにかしらの理由をつけて断っている。
 ウェラーさんがはなしたいということはドラマCDのことというよりデートのとき、観覧車でキスをしたことだと思う。あのキスをしてからのおれの記憶はあいまいなものだったけど、かなりぎこちなかったということは覚えているから。
 でも会いづらいからと言って先輩の誘いを何度も断っていいわけじゃない。それに、あれはウェラーさんが悪いわけでもないのだ。キスしたのはただ単に『ベル』の気持ちを知るためだったのだから。それは十分に理解している……んだけど、いまのおれはぜったいウェラーさんに会いたくない。
「はあ……一度ならず二度までも」
 ウェラーさんをおかずにシてしまった。
 一回目はテーマパークから帰宅して、二度目はウェラーさんに借りたBLドラマCDを聴きながらひとりエッチなるものをおれはしてしまったのだ。
「うう、おれホモじゃないのに……」
 もうここ最近の口癖になりつつある。少女漫画のように、ウェラーさんのことを考えるだけで胸があつくなることはないし、むしろウェラーさんのことを考えると胸がちくちくと痛む。きっとそれは二回もウェラーさんをおかずにしてしまったことへの罪悪感からだろう。
 おれは受信画面から送信画面にかえてウェラーさんに返信文を打つ。このままではいけない、とは思うがやはりウェラーさんに会う勇気はなくて『すみません。ここ最近はアルバイトが忙しくて会うことができません』と打った。
 まあ、金銭面がまだまだ危険な状態なので仕事以外はアルバイトを入れているから会う時間が限られているからうそをついているわけじゃないし……と自分にいいわけをしながら送信を終えるとヨザックがスタッフルームからあらわれた。
 ……セーラー服というかゴスロリ服にちかいような気がするどピンクのセーラー服。長そででもわかるほどがっちりとした二の腕と、いまどきの女子高生によろしく丈のみじかいスカートからのぞくふとももが印象的だ。
「どう? グリエの新作。とってもかわいいでしょ」
 お化粧もばっちりのふっさりとしたまつげでヨザックがポーズをとりながらウィンクをされてなんと言っていいかわからず、おれは苦笑いを浮かべるしかできない。
 ヨザックは女装をするのが趣味らしく、それにともなって服はほとんど自分で制作しているそうだ。蛇足だけどグウェンダルさんとおなじくヨザックは趣味で服を作って個人ホームページで売っているらしい。グウェンダルさんもそうだが、ヨザックもアクティブなひとだ。
「じゃあ、ユウコちゃんはそのまま床掃除をよろしく。アタシはテーブルを拭くわ」
「はーい」
 とりあえず、いまは掃除や仕事に集中しないと。
 ここ最近キスや自分がしてしまったことを悩んでいるけど、考えたところで答えなんて出たことがないのだ。考えるたびに増えていくのはため息ばかり。
「……っしゃ!」
 おれは散漫している思考をクリアにするためパンッ! と自分の両頬を叩いて気合いをいれる。
「今日は一日がんばってお金をがっつり稼ぐぞー!」

* * *

「あ、そろそろユウコちゃんはあがりの時間だよね? ホールもだいぶ落ち着いてるし終わる時間までスタッフルームで休んでていいよ」
 注文をキッチンスタッフの宮本さんに告げると、宮本さんは注文された料理に使用する食材を冷蔵庫からとりだしながらおれに声をかけてきた。
 宮本さんは『KATHAEN』の正社員で、料理人。ほかのスタッフと違って宮本さんは、女装はせず襟と袖口に深緑のラインが入っているコックコートを着ている。ヨザックや店長とは筋肉がっちりのイケメンだけど宮本さんはすらっとしていて美男子って感じだ。
「えっ、でも……」
 たしかに今日のアルバイトの時間は十七時で、腕時計で時間を確認してみるとバイト終了時間まであと十分ほど。でもだからと言ってそのいまからの十分をあがりの十七時まで過ごすのはさぼりではないだろうか? おれが戸惑い声をあげると宮本さん「いいの、いいの」と笑い「ユウコちゃんは、ひと一倍がんばり屋だからね。たまにはこういう日もないと。きみが来てからかなりみんな助かってるから」
 気にしないで、スタッフルームに行っておいでと背中を押されてしまった。
「そ、それじゃあ……おことばに甘えて、さきに失礼します。おつかれさまでした」
「はい、おつかれさま」

 ――そうして、おれはさきにあがりバイトの終了時間までスタッフルームで過ごすこととなった。仕事中はぜんぜん感じていなかったけど、セーラー服を脱ぐといままで忘れていた疲労感がどっかりと肩にのるのがわかる。
 仕事内容はそれなりにたいへんだが、いままで工事現場で働いていたこともあったしそれにくらべればそこまで疲労しないはず……なんだけど。
「なんかすっごくつかれた……」
 まあ、つかれている理由は検討がついている。睡眠不足が原因なんだろう。つかれているのに、眠れない。だから疲労がたまっていくのだ。
 おれはスタッフルームに机にだらん、と上半身をのばして電源を切っていた携帯電話を起動させた。すると、切っていたあいだに溜まっていたメールがいくつか受信される。事務所からと村田からメールが一件ずつ。それからスパムメールが三件に……最後の一件は留守番電話に。着信はウェラーさんからだった。
「……留守番電話」
 もしかしてかなり大事な用があっておれにずっと会えないか、とメールをしていたのだろうか。伝言の内容が気になっておれは緊張しながらもボタンを押し耳にあてる。
『こんにちは、ユーリ。忙しいときにメールの返信をしてくださってありがとうございます。ほんとうは会って言いたかったのですが……ユーリは俺に会いたくないのかとも思い、電話で言うことにしました。めんどうだと思いますが最後まで聞いてやってください』
 メールですませたくないので、と言うウェラーさんの声音にデートで一瞬だけ見せた寂しそうな顔を思い出しておれは胸が痛んだ。
『許されないことをして――キスをして申し訳ありませんでした。あれはじょうだ、』
 謝罪のあとに言いかけたことばは留守番電話で残せる三十秒を過ぎてプツリ、と切れてしまった。が、言いかけたウェラーさんのことばにおれはことばを失った。
「……あれは、冗談?」
 と、ウェラーさんは言おうとしていた?
「なんだよ。それ……」
 冗談、そのことばに腹が立つのを感じる。冗談ってことは演技でキスをしたわけでもないってことだ。おれが気にしているから、謝ってくれただけ。
「一体なんだよ」
 しかも、そのことにたいして怒っている自分もよくわからないからもやもやする。
 会えないと返信したのはおれ。でも、電話越しに言われるのがすごく不快に感じてしまうなんて……矛盾しすぎだっつーの。
 液晶に表示されている時刻は十六時五十九分。
 ウェラーさんからの留守番電話に時間のことをすっかり忘れていた。
「あぶなかったー……」
 おれはあわててタイム―カードをカバンから取り出し、マスクで顔を覆い(一応スタッフだとばれるとややこしいことになるらしいと店長のコ―ディさんに言われたから)こっそりと『KATHAEN』の裏口から店を出て――おれは、固まった。
「……渋谷?」
 なんでおれは周囲を確認してから、店を出なかったのだろう。背中にどっと冷や汗がとまらない。
 あんまりいいことばではないからふだんあんまり使わないようにしてるけど……言わせてほしい。
 ……すさまじく、いま、死にたい。

* * *

「いやあ、きみがさいきんアルバイトをはじめたって聞いてたけど……まさかあそこで働いてるとはねえ」
 予想外だよ。と、にやにや楽しそうに笑いながら目の前の青年は『マーシュマロウ茶』をくちつける。
「……うう。もうなにも言わないでくれ、村田」
 おれは顔を手で多いながらつぶやいた。もう、声を張る気力がない。
「声がちいさいけど、喉でも傷めた? ならこのお茶飲む? マーシュマロウは粘膜保護の作用があるから、喉にもいいよ」
「ありがと……でも、喉を傷めたわけじゃないから」
 傷んでいるのはメンタル面がやられてます。心がめちゃめちゃ痛い。
「……はああ。まさかあんなところで村田と出くわしちゃうなんて……絶対、村田にバレたくなかった」
 そう。『KATHAEN』の裏口から出て、一歩外に出た途端、村田に声をかけられたのだ。お客さんにふだんの顔をみられるのもいやだが、それ以上に身内にバレるほうがつらい。
 きょとんと小首をかしげて『……渋谷?』と声をかけた村田の手を掴んでおれはとりあえずはなせる(言い訳ともいう)場所を探して――ただいま絶賛『Charlotte』にておれは賢者タイム。
「ひっどいなあ、渋谷。それお友達にいうセリフ? それに僕はたまたまこの街にいたのに。きみにもメールしたでしょ。『秋野原にいるけど、なにか欲しいものとかない?』って」
 ほら、と村田は足元に置いてある某電化製品のロゴがはいっている紙袋に目をうつした。
 そういえば受信メールに村田の名前があったけど、ウェラーさんの留守番電話に気を取られていてみるのを忘れていた。
 ああ、おれのバカ。村田のメールを見ていればはち合わせ、という展開はなかったのかもしれないのに。
「バレたくなかったら、もうちょっと周囲に注意した行動しなよ。僕のせいにしないでさあ」
「はい、まったくもってそのとおりデス……」
 ほんと返すことばが見当たらない。もっと危機感をもってしなければ、とおれは厳しい社会のルールを身を持って体感しつつ、村田にどうしても言わなければならないことをおずおずと切り出した。
「あのさ、村田」
「うん?」
「このアルバイトのことは……どうか内密にしていただけませんでしょうか……?」
 村田が言いふらすような奴ではないとは思うけど、了承がもらえるまでは安心ができない。念には念をってやつだ。
「まじこのとおり! お願いします、村田様!」
 胸の前で祈るように両手を組んで村田に懇願すると、彼はそんなおれをみて肩をすくめた。
「えーどうしよっかな。あんなこと言われて僕も傷ついたし、ショックでだれかに言っちゃうかも。……ほら、心配症なギャルゲー大好きなきみのお兄さんとかに」
 ため息をはいて村田が言いおれはさらに懇願する。
 兄貴……勝利にバレたらなにをいわれ、されるか考えるだけでおそろしい。おれが声優を目指すと宣言したときみたいに小言を発狂混じりに一時間ほど聞いたあと『ゆーちゃん、これを』なんて言ってフリフリな服とかメイド服を差し出してくるにちがいない。
 ……うわあ、容易に想像ついていやだ。
「ほんとにお願いします! あっ、ここのホットケーキすっげーおいしいんだよ、それおごるからどうか機嫌なおして!」
 おれはあわててホットケーキをエーフェさんに注文してひたすら村田にすがると「しかたないなあ」と据すねたようにくちを尖らせる。
「そのホットケーキがおいしかったら、考えてもいいかな?」
 グウェンダルさんの作るホットケーキは世界一。文句なしに超うまい。それはよくわかってるけどグウェンダルさん、どうかお願いします。今日はいつも以上に腕によりをかけておいしいホットケーキを作ってください。
 でないとおれ、生きた心地がしません。
 おれはあいかわらず不服そうな表情を浮かべながら厨房へと向かって作業をしているグウェンダルにただただ願ったのだった。


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