■ 王の役に立つということ
『魔王』と呼ばれるモノは、傲慢で非道で血も涙もないバケモノだと思っていた。
だってずっとそう聞かされていた。大人が言うんだからそういうモノなんだって、信じてた。でも真実というのは自分の目で見たものが真実と呼ばれるものなのだと『魔王』と呼ばれる者と出会ってわかった。
なぜなら『魔王』と呼ばれる私のお父様は、だれより太陽のように明るい笑顔が似合う『優しい魔王』だからだ。
グレタは学校の長期休暇を利用して久しぶりに眞魔国へと戻ってきた。明後日にはユーリとヴォルフラム。それからコンラートと一緒に城下町に出かける予定だ。なぜ明後日かというと、ユーリの仕事がまだ終わらないから。
「……はあ」
「あなたがため息を吐くなんてめずらしいですね」
アニシナは言い、続いて「ため息はあまり吐かないほうがいい。それは癖になりますよ」と指摘する。
血盟城に帰ると大抵グレタの世話役を務めるのは眞魔国の三大魔女、または毒女と呼ばれるフォンカーベルニコフ卿アニシナだ。いまもユーリたちが執務休憩にはいるまでのあいだこうしてお茶会を開いてくれる。
「……うん、気をつける」
ため息を吐くのはあまりよくないとは自分でもわかっている。けれど、そう無意識で吐いてしまうというのには理由があるのだ。
「ねえ、アニシナ」
「なんです?」
「『罠女』になりたいってヘンなのかな?」
グレタはこちらに戻ってきた初日。ユーリと話していたときのことを思い出しながら、アニシナに尋ねた。
「なぜ?」
「お父様に『罠女』になりたいって言ったら、苦笑いされたから」
ユーリにたいして罠女になりたいと言うのは今回が初めてのことじゃない。けれど、この間のユーリの反応はあまりいいとは思えないと感じるものだった。ユーリは『好きなことはやったほうがいい』といつも言ってくれているのに、あのときはなにか言いたそうにしながらも『……そうか』と頷き、それから『でももうちょっと考えてみてもいいんじゃないかな?』と答えた。
好きなことはやったほうがいいと言うのに、考えてみろというのは遠まわしに『やめたほうがいい』もしくは『ちがうことしてみたほうがいい』とユーリは言いたいのだろうとグレタはすぐに察しがついた。
しかもユーリだけではなくその場に居合わせたヴォルフラムやコンラートもユーリと同じ表情を浮かべていたから、こちらからすればなぜそのような態度をとられるのわからない。
『なんで?』とあのとき聞けば答えを教えてくれたのかもしれないとは思った。だが、口を噤んでしまったのは『答えを聞くのが怖かった』から。さらに突き詰めれば『ユーリの口から否定の言葉を聞くのがいやだった』からだ。
アニシナのまえでは彼らに言えないことも言える。もしかしたら彼女なら自分の夢を否定しないと思いグレタはユーリたちとのことを話した。アニシナは夢をみる女を前を向いて進むひとを否定などしないからだ。
――そう、思って、いた、のに。
「陛下らが苦いする顔をするものは最もですね」
と、彼女は答えた。
「それはまたずいぶんと面白みもない夢で理由ですね」
とも続けて言われ、思ってもみなかった返答にグレタは目を見張る。
「……え?」
「おや、聞こえませんでしたか。それとも理解できませんでしたか? 私は『あなたの夢がつまらない』と言ったんですよ」
飄々とした口調で続けられたセリフに腹の奥底が熱く煮えたぎるのがわかる。そしてそれはすぐに熱を吐きだそうと喉へとせり上がってきた。
「つまらないってどういうことよ……っ!」
「言葉の意味、そのままです」
グレタの荒げる声に驚くこともなくアニシナが答える。温度差の違いにさらにグレタの熱――怒りはふつふつと燃え上がる。
「つまらないのは、アニシナの方でしょう!? いっつも使いものにならない失敗作ばっかり生み出して! お父様の役に立たないばかりじゃなく、誰の役にも立たないくせに! ……人ひとりまともに殺せない道具を作ってるアニシナに私の夢をつまらないなんて言われたくないわ!」
勢いよく立ちあがり、怒りをあらわにするかのごとくテーブルをバンッ! と両手で叩くとカップに淹れられていた紅茶が波をたて、跳ね、白いクロスにじわじわと茶色いシミが滲む。
「……あ」
腹の底でうまれた熱を一気に吐きだした瞬間、胸がすっと軽くなったが、それからすぐに言ってはいけないことを口走ったことにグレタは気づいた。
ぞわぞわと背中に罪悪感がせり上がる。
アニシナは幼い頃からお世話になっている人だ。それこそ彼女の生き方に影響されている部分があり『師』と仰いでいる。
そんな人に対してなんてことを言ってしまったんだと思ったが、彼女の対応は変わることはなく紅茶に口をつけて幻滅でもなく怒ることもなく「王を護る道具も臣下も事足りています。充分です。そこにあなたに必要ありません」
と、辛辣な言葉を吐いた。
「……しかし、国民を護るのに道具も臣下は足りません。だから私は王のために道具を作らないのですそれに私は『人を殺める道具』に興味がありません。なぜかわかりますか?」
さまざまな感情とアニシナから突きつけられる言葉の数々に頭がついていかない。
それでもどうにかグレタが「わからない……」と返事をすれば、アニシナは立ったままでいるグレタを椅子に座らせ再び口を開いた。
「人を殺める道具を作らないのは、そんなことをせずとも人というのは簡単に殺せるからです。剣があれば殺せる。魔力でも殺せる。もっと突き詰めれば言葉でも人は殺せる。殺す、というのは実に簡単なこと。しかし『人を助ける』というのはとても難しいことなのですよ。救いたい、助けたいという気持ちだけでは、生かすことはできない。どんなに魔力を注いでも、どんな手を使って、全力を尽くしても、人は死んでしまう」
「あ、」
アニシナに言われてグレタは本当の両親のことを思い出した。
……そうだ。救いたくても救えない命がある。
どんなに必死になっても、救えない。なのに、死ぬときはあっけないのだ。
「それにユーリ陛下が望む世界というのは『平和な世界』でしょう? その世界に『殺し合い』は必要ですか?」
尋ねられ、グレタはゆるく横に首を振る。
そしてようやく気がついた。なぜ自分の夢を語ったときユーリたちが苦い顔をしたのか。
自分は『ユーリのために』なんて言いながらも自分のことしか考えていなかった。
いままでの夢を一番突き動かしていたのは『ユーリに褒められたい』だったのだと思う。
ユーリに役に立つことと公言することで自分はユーリの夢を理解をしていたと勘違いしていた。
本当に理解していれば、怒りで我を忘れていたとはいえアニシナに対して『人ひとりまともに殺せない道具を作って』なんて言えないはずだ。
……私は、なんて浅はかでくだらないことを大好きなひとたちのまえで語ってしまったのだろう。
ゆっくりと冷静さを取り戻して、またひとつグレタは気がついた。
「……あなたはまだまだ『子供』です」
「うん……」
アニシナは、べつに自分の夢を完全に否定しているわけでもバカにしているわけでもなかった。彼女はこちらの話を冷静に聞いていただけだったのだ。最初からアニシナは自分と向き合ってくれていた。
「子供は夢をみるのが仕事です。でも、あなたは子供というほど子供でもない。……ご存じですか? 陛下の世界では『立志式』というものがあるそうです。文字のとおり『志を立てる』という意味があり、また子供が親や志を宣言する式だそうです。こちらの国はそのような行事はありませんが、いい機会です。あなたももう十四歳。今日を機に夢をみるだけの子供を卒業し、夢を具現化するにはどうすればいいのか考え、練り、もう一度陛下に自分の夢を答えなさい」
そうだ。もう、子供っていうほどの自分は幼くはない。まだまだ大人に護ってもらわなければいけない立場であることは変わりないけれど、それでももう……自分でなにをしたいのか考える知識と歩ける足がある。
もう夢を語るだけではいけない歳なのだ。
夢を具体的に考え、行動を起こさなければいけない歳なのだ。
「悩み、考えなさい。『王の役立つにはどうすれば良いのか』そして『役に立てる存在とはいかなる者でなければいけないのか』……グレタ。あなたにはまだたくさんの時間があります」
「……うん。そうだね。ありがとう、アニシナ」
なんだか胸のわだかまりや頭のすみでくすんでいた何かがすっきりしたように思う。
感謝の言葉の口にすれば、アニシナは「なにがです?」と小首を傾げた。
いつもとかわらない自信に満ちた笑顔を口元をうっすらと浮かべて。
END
[
prev / next ]