■ 3-2


 こんなことを思うのは失礼なのかもしれないが、ユーリは不器用らしい。
 コンラートは目の前で悪戦苦闘しているユーリをみてちいさく笑う。
「もー笑うなよ、コンラッド! そんな日頃からスパゲッティとか食うやつじゃないんだからフォークとスプーンを使って食べるの苦手なんだから」
 むっと、拗ねたように唇を突き出してユーリはコンラートを睨む。
 ばかにしているわけではなくて、と返せばついそのまま「可愛いなって思ったんですよ」と続けてしまいさらに彼の機嫌を悪くさせてしまった。ユーリは唇を尖らせるだけではなく、眉根も寄せてこちらを睨みつける。
「ごめんね。冗談だよ」
 まあ、その仕草も可愛いと思うんだけど。と、余計な一言は飲み込んでコンラートもユーリのあい向かいのソファに腰をこけて食事を始める。じつのところ、料理は作れるがふだんは自炊なんてほとんどしない。帰宅の時間は朝方になることもある。外食やコンビニで弁当で済ますのが主だ。ただユーリを誘う口実のひとつ。たったひとりの人間になんでこんな回りくどいことをしているのか。
 いまさらながらに自分の行動を振り返ってコンラートは微苦笑を浮かべる。
「ん? どうかしたの、コンラッド」
「……いや。あなたに喜んでもらえてよかったなと思って」
 すこしの声音を低くして返すと、ユーリはほんのりと顔を赤く染めた。正直、こうして声のトーンを落とすと誰もが同じような顔をする。けれど、どうしてだろう。ユーリが照れる表情は新鮮で、うれしいと感じるのだ。
 やはり自分は追われる恋より、追う恋のほうが好きなのかもしれない。
「――あ、」
 思って、気がついた。
「こんどはなに?」
「頬におかず、付いてます」
「えっ!?」
「ここですよ」
 ついてもいないユーリの右頬に触れて、拭うふりをする。
「なんかおれ、こどもみたいだ」
「そんなこと、ありません」
 こどもなのは自分のほうだ。自分を意識してほしくてへんにうそをついて……なにより追う側の立場であることがこの年になってはじめてだということに気がついたのだから。


―――

 ――だが、コンラートはユーリへ向ける感情が本当に『恋』であるのかまだ、踏ん切りがつかなかった。興味を抱いたのがユーリがノーマルであることと彼にある雰囲気がいままでなかったという点に関してだ。もしかしたら、ただ物珍しくて興味が湧いただけかもしれない。それが自分のなかで『恋』であるのか錯覚をしているのではないかと思う。精欲については淡泊なほうだとは思うがそれでもユーリのシャツを脱がす想像などしているところ思想する点に至ってはそろそろからだが限界を訴えているだけのことかもそれないと思い始めるとどうにも納得ができなかった。
 一時的な雨は思ったよりも長くそして、激しく降り続いていて食事を終えてからもふたりでリビングでくつろいでいた。その間に、妙な色気のある雰囲気が室内に漂うこともなく、恋愛話が話題に出ることもなかった。ほとんどはなしの中心はユーリの好きな野球のはなしとコンラートからはバーであった失敗談や笑いはなしくらいだ。
 食事中に色目を使用したときは、頬を赤らめていたユーリだったがそれが特別な意図がないと判断したのかもう一度同じ視線を彼に向けてみたところなんの反応も示すことはなかった。ユーリのほうからしてみれば、自分は男友達のカテゴリーに分類されているからかもしれない。なら、自分もいままでいなかった友人のひとりとしてみるのが常識なのか。
 なんて、悶悶と答えも出ないまま雨はあがり、六時過ぎだというのに夕暮れはまだ明るい光を窓から差し込んでユーリは腰をあげた。
「お、もうすっかり雨の止んだな。貴重な休日なのに長いして悪かったよ。ご飯ごちそうさまでした。おれ、帰るな」
 上着がまだ濡れて湿っているのか「うわ、つめたい」と苦笑いを浮かべながら身仕度を整えていく。
「……あのよかったら、夕食も一緒にいかがですか?」
 抱える気持ちの答えも出ないまま、このまま別れるのは嫌で誘ってみるも予想したとおり断られてしまった。
「いやいや、これ以上お世話になるわけにはいかないよ。家が近いって言ってもお互い明日は仕事だろ? ひとりでじっくり休息する時間も大事だもん。コンラッド夜遅くまでたいへんだし、おいとまするよ」
 ありがとう、コンラッド。と自分のよこを通り過ぎて玄関へと向かうユーリになんともいえない感情が胸で渦巻くもこれ以上彼を引きとめる理由もことばも見当たらない。
 コンラートはユーリの後ろを歩いて、見送る。
「こちらこそ、家まで送っていただいてありがとうございました」
「どういたしまして! あ、さっきも言ったけど今度ひまな日あったらおれん家来いよ。コンラッドのマンションとは比べものにならないくらいにせまい家だけど、おれがご飯作るからさ、カレーライス。けっこう自信あるんだ」
 コンラートはカレーライス好き? と尋ねるユーリに「ええ」と頷き、玄関の鍵を外した。
「もちろん、大好きです」
「よかった。じゃあ、今週の金曜日にまたバーに行くからそのときにでも空いてる日教えてよ。会社休めないとしても残業はないようにするから」
 とんとん、と自分より一回りもほど小さい靴の先で床を叩いて家を出ようとするユーリに手を振ろうとして自分のポケットにある存在に気づいた。いつもなら、忘れることなどないのに。本当に彼が相手だとうまくいかないものだ。
「ユーリ、」
「ん? なにコンラッド」
「よかったらアドレス、教えてくれませんか?」
 気になる相手の連絡先を手に入れることなんて挨拶代りのようなものだったのに。
「お、そうだな。交換しようぜ。電話は出れないときあるかもしれないけど、メールならいつでもどうぞ」
 お互いの携帯電話を取り出して情報を交換する。コンラートの液晶画面に受信の画像とそれから渋谷有利の名前。
「ありがとうございます。あとで、送りますね」
「ん、待ってる。じゃ、あらためてお昼ごちそーさん。また来週の金曜日に」
 言って、コンラートのほうを振り向かずにユーリはひらひらと手を振る。
 陽射しが反射する自分よりもちいさな背中をみているとどうしてだか、自分も頑張らなきゃという気持ちが湧いてくる。
『また来週の金曜日に』
 何気ない彼のことばがコンラートの鼓膜を未だに擽って、思わず手で両耳を塞いだ。あの声をとって置けたらいいのに。なんて、どうしようもないことを思いながら。
「……さて、明日から仕事頑張らないと」
 彼への想いの到着点がどこであるかまだわからないけれど、いまはひとまず置いておこう。まだ、時間はたくさんあるのだ。
 いまは、のちのち返信するユーリへの文章を考えることに専念しよう。
 コンラートは、液晶画面を見ながら今日一日を振り返り部屋へと戻った。


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