■ 2-1

 約束をしたあとは、ニーナとのダイレクトメッセージを数回して待ち合わせ場所と時間を決めた。約束を取りつけるまでは何となくぎこちない感じのメールのやりとりが多かったが、その日の天候や対戦チームのはなしをしているうちにいつもどおりな雰囲気になりコンラートは内心ほっと安堵の息をこぼした。

 ――そのうちに野球観戦の日になり、コンラートは腕に嵌めた時計に目をやる。
 試合が始まるのは十四時。待ち合わせは一時間前に設定してある。待ち合わせの場所もわかりやすいように外野チケットボックスのまえにしたが、失敗だったかもしれない。友人にチケットをもらったときマイナーな試合だからひとはそんなに多くないと言われていたが、自分と同じように外野チケットボックスを集合しているひとは多いようだ。やりとりしているなかで、お互いの外見の特徴を教えあったが高校生で黒髪。とどこにでもいるであろう特徴しかニーナのシルエットを知らない。見渡してみても、そこかしこにニーナと同年代の男の子がいる。彼は一体どこにいるのだろうか。
 コンラートは、ニーナとの繋がりのあるウェブサイトを携帯のブックマークから選択し自分の服装をニーナへと送信した。グレーの一つボタンのテーラードジャケットにインナーは白いシャツ。ズボンは深いネイビー。それから髪は茶色。ここまで書いて自分もそれと言ってひとめにつくような格好ではないことに気づいて苦笑する。なにか、わかりやすいものでも持ってくればよかった。一応補足としてボックスに一番近いベンチの付近で立っていることを書いて送ると、数分もたたずに携帯が鳴る。
『了解。いまからそっちに行くね。おれは、白のVネック(英語のロゴがでかでかと書いてある)に黒チェックのパンツにローブーツ』と、返信が。
 お互いどこにでもあるファッションと外見だが、こうして相手の特徴をよりリアルに知るとなんだか緊張する。ネットの世界をひとつの壁に対話をしていると無意識にどこか相手が非現実的だと思っていたからかもしれない。あたり前だが、相手も人間だということがこういうとき曖昧なものであれ形になると実感するのだ。
 ニーナの特徴を頭に入れると携帯を閉じる。
「あの……すみません」
 と、声をかけられた。そちらに目を向けるとそこには少年が緊張した表情で自分を見つめている。
「こんにちは、きみがニーナかな?」
 さきほどのメールに記載してあったように、白のVネックに黒チェックのクロップドパンツにブラウンのローブーツ。
「オフで会うのは初めましてだね。コンラートです」
 同じファッションに身を包んだ少年が、自分に声をかけることはまずないだろう。
 コンラートは少年をニーナだと確信して、自己紹介をすれば、少年はわずかに顔の緊張を緩めて「初めまして」と答えた。
「今日は一日よろしくね」
「う、うん。……あ、はい」
 ネットで交流をしているときからコンラートが年上だとわかっていてため口を使用していたが(もちろんそれはコンラートの了承済みだ)リアルで会うとそのことにたいして躊躇するのだろう。慌てて、敬語になるニーナをコンラートは笑った。
「ああ、いいよ。ネットと同じように気軽に接してくれて。もちろん、名前の敬称もいらないから。俺のことはコンラッドって呼んで?」
 言えば、ニーナはぎこちない笑みを浮かべた。いわゆる愛想笑いだ。相手の笑みにそう思う自分もまた同様に愛想笑いなのだが。
「それじゃあ、なか入ろう」
 入口に目を向けて一歩まえへと踏み出せば、ニーナはコンラートのあとを追う様に後ろからついてくる。その様子になんとなく、コンラートは苦笑しそして落胆する。
 会うまでに、繰り返したメールのやりとりで何度もニーナの姿を想像した。理想ではもっと彼は大人っぽく、端正な顔立ちをしているのかと思っていた。けれども、実際会ったニーナは同年代の少年の容姿よりも幼く、可愛らしい顔立ちをしている。日本人であればあたり前の漆黒の髪に瞳。それが、とてもよくコンラートの目を引きつけていた。
「……まいったな」
 その言葉を口内のなかで転がし、噛みつぶし、飲みくだす。
 落胆したのは、ニーナが自分の想像とあまりにも異なっていたこと。想像と違うのはべつによかった。むしろ、想像と異なるならば言い方が悪く言えば不細工であってほしかったと思う。
 そうしたら、きっと胸に芽生えた恋心の芽も枯れていたに違いなのに。
 リアルで会うニーナは、よりコンラートの気まぐれかもしれない恋心の芽を一層成長させてしまう。
 ニーナは悪くない。悪いのは、勝手に恋をしてできれば枯らしてほしいと願った身勝手な自分だ。
 コンラートは、自然と口角に浮かんでしまう笑みを手で覆い隠した。

* * *

 外野席のチケットをくれた友人が言ったように今回の試合には観客の数はまばらだったが、人気のある試合よりも観客の一致団結力はあるようで日中だというのにいたるところで球場に入るまでは赤の他人であったひとたちが、酒を飲みかわしていたり、応援歌を肩を組んで歌っている様子が多く目にうつった。
 熱気に包まれてた会場は自然とモチベーションも高くなる。試合が始まるまでは妙な雰囲気がふたりを包んでいたが、いまではコンラートのとなりに座っていたニーナは立ちあがって選手を応援している。その瞳はらんらんと輝いていて、コンラートは試合を見るふりをしながら彼を目で追ってしまう。
 おそらくこれが本当のニーナの姿なのだろう。無邪気に笑いからだいっぱいに感情を表現して。ネット上でもニーナの性格を読み取ることはできたが、やはり実際に会うと誤解していた部分が多い。彼はあまりネット上では自分の感情をあらわすためによく使用される顔文字や絵文字を使ったりはせず、たんたんと語るのでどこか冷静なひとなのかと思っていた。でも、やりとりをするきっかけともなった野球が好きというのはいまのニーナの姿をみてよくわかる。
 真剣に試合をみるために内野席のほうがよかったかな、とも思ったがたぶん彼にはこちらのほうが合っていたと思う。
「っしゃー!」
 と、ニーナがガッツポーズをする。ほかの観客も同じようにさらに声を大きくしたので、そちらに目をやればヒットを打ったようだった。一気に会場のボルテージがあがり、選手が全力疾走でホームベースを踏み、一点が入った。
「やった! これで、一点先制したよ、コンラッド!」
 興奮冷めやらない状態でニーナはコンラートのほうを振り向いたが、はっと我に返ったように笑顔を浮かべている口角をわずかにひくつかせた。その様子にわずかに残念な気持ちになる。まだ、ニーナはコンラートに心を開いていないようだ。
「ごめん、なんか試合にばっかり集中して……あんまり話さないから、つまらなかった?」
 後ろめたそうにニーナはこめかみのあたりを掻き、イスに腰掛けた。
「いや、そんなことないよ。とても楽しい」「本当に?」
 おずおずと上目づかいにこちらの様子をうかがう彼に笑みがこぼれる。そのニーナの仕種がより顔を幼くさせる。かわいらしい。
「それ、わざとやってるの?」
「え?」
「いや、なんでもないよ」
 ニーナの瞳には、媚を売るようなものは見当たらない。まあ、同性でもあるのに媚を売る必要もないのだが、それでも彼の仕草はあまりに自然でかわいらしくよく日常でも無意識にこのようなことをしているのかと思うと少々心配になる。一見、どこにでもいる高校生に見えるが、こうして共にいるとほかにはない彼の魅力に引き込まれてしまうのだ。
 ひとに関して、恋愛に関して興味の薄い自分がすでに彼の魅力に引き付けられている。そんなひとを引きつける力を持つニーナはきっと多くの友人がいるのだろう。
「ニーナはかわいいなって思っただけ」
「男にかわいいって……」
 言って、ニーナはつんと唇を尖らせた。
「ごめんね。言い方悪かったかな」
「いや、そんなことないけど。なんていうか、コンラッドっていつもそんな感じ?」
「いつも?」
「友達にたまにかわいいってからかわれることあるけど、コンラッドが言うとなんか口説かれてような気分になる。コンラッドってモテそうだからよくこうやって女の人口説いてるのかなあって」
「そんなことないよ」
 むかしはよく、家が裕福なことと母親がパーティ好きだということもあり事あるごとにその席では女性の接待を頼まれたことがあることを思い出す。自分はニーナが言うように自然とひとを誘うような言葉を口にしているのかもしれない。しかし、その女性をオトしたいとは思ったことは一度もない。
 でも、あなたは口説いているととってもらっても構わないですよ。
 と、思っていることは胸の内に隠しておく。言ったところで徐々にほぐれてきた互いの距離がまた遠くなるだけだ。それに、恋心が芽生えたからと言ってもそれが現時点で本当に恋の芽であるかの確信はない。花を咲かせてみればそうではないこともあれば、途中で枯れてしまう可能性も少なくないのだ。
 まだふたりの一日は始まったばかり。妙なことを口にして気まずい時間を過ごすのは避けたい。
「大声で応援をしていると、明日喉が枯れてしまうかもしれないよ。さっき売り子さんからミネラルウォーター買ったんだ。俺の飲みかけでよかったら、飲んで?」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
 とりあえず、この話題は流してしまおう。再びニーナの意識を試合に向かせるような話題を持ち掛けまた試合を観戦するふりをしながらうっすらと浮かぶ喉仏を上下させておいしそうにミネラルウォーターのペットボトルに口付けるニーナの横顔を見つめる。
 間接キス、か。
 いまどきの中高生だって飲みかけを口にしても意識であろう言葉が、ふとコンラートの頭のなかに浮かんだ。もちろん、コンラート自身そう意識したことなどなかった。そう思うと、やはりニーナに対する想いは特別なのかもしれない。
 コンラートは自分自身の感情を考察した。


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