■ Nina1

 世界は広く、狭い。そういう時代だと思うようになったのは、文明が発展したからであろう。電波もない時代には、遠いひととの繋がりは乏しく、連絡手段と言えば手紙であったが、いまの時代は手紙を出すことは珍しいものになった。
 あらゆる世界の地面には電波塔が突き刺さり、目には見えない電磁波が高い空を飛び交い、様々な機械に受信される。画期的な世界になったものだ。どんなに遠い国であろうが、ネットの世界では関係ない。一秒もすれば画面上に文字が表示される。
 それらを利用していつのまにかできたのが、ソーシャル・ネット・ワーキングサービスだろう。利用したいウェブサイトを検索し、登録すれば、そこに自分のアカウントが表示され、名も知らない数十億万人とコミュニケーションが簡単に取れ、情報が得られる。
 コンラート・ウェラーもそれを利用しているひとりだ。一回に投稿できる文字数は決まっていて百四十文字以内。そこでは昼夜問わず、いたるところで会話が繰り広げられている。ビジネスであったり、日々の呟きであったりいろいろだ。コンラートのウェブサイトの使用目的は前者だ。もとより、ひととのコミュニケーションが苦手であるのが後者ではないひとつの理由なのであろう。
 ネットというのは不思議なもので、顔を合わせないぶん気軽であるためか、ひとの内面がよくみえてしまう。決して現実世界では口にしないことも、簡単に書けてしまうように思える。外見で判断することや、他人に気を使わないぶん、自分の言いたいことが言えてしまうのは、少しばかり怖いものだ。
 また、ネットでは性別というものはあまりネックにならず、性別を偽ることもできるし、リアルではこういう自分でありたいと思う人格を立ち上げることも容易い。そしてだれもそれを咎めることはない。ネットのなかはほとんど世の中のルールに縛られることはない。
 けれども、コンラートはウェブサイトの住人に同士を求めたいとは思ってはいない。あくまでも、ビジネス重視で、それ以上の関わりを持つことをしたいという感情を持ち合わせていないのだ。会社に繋がりのある人物や、政治的事柄のアカウントだけをフォローしている。参考になるものだけに目を通し、メモすればすぐにログアウトする毎日。それゆえ、フォロー数も一桁。時折、なぜかフォローをするひともいたが、コンラートの投稿記事の少なさや、内容を見ればフォローする価値がないと理解し、いつのまにか消えている。コンラート自身、投稿した内容が面白いと思うものないので当たり前だと思う。返信した記事も仕事内容に関わるものばかりで、知らぬひとからみてもつまらないだろう。
 だが、ここ数日前からひとりだけ、会社とも政治とも関係ないひとをフォローしていた。コンラートと同様、サイトに表示されているプロフィール画像が初期設定のスマイルのアカウント。名前は『27』。通称『ニーナ』とコンラートは呼ぶ。投稿される文体や内容からして、男性だと思う。
 ニーナはときどきしか、サイトに現れることはない。おそらく、リアルが忙しいのか、ネットの世界に興味がないのだろう。投稿される記事のほとんどが野球関連のはなしだ。応援してる野球チームが勝った、負けた。あの場面は面白かった。コンラートと同じくさして、他人が読んでも面白味のない内容ばかりではあったが、不快になるわけでもなく、返信すれば、それなりに長く続く。その話題もほとんどが野球のことばかりだ。
 出会いは、たまたまコンラートが呟いたレッドソックスのはなしだった。ただたんにひさしぶりにテレビで特集が組まれていて、懐かしいな、と書いただけのものだったと思う。
 それに返信をくれたのがニーナだった。ニーナは『レッドソックス、おれも好きで同じ特集を観てました。野球好きなんですか?』とあたりさわりのない内容で、とくにその日はなにをするわけでもなかったので『ええ、好きです。』と返信をしたのが始まりだった。
 ニーナはコンラートがつけた愛称だ。『27はどのように読むのですか?』と尋ねたとき『27は好きな野球選手の背番号だから、とくに呼び名もなければ意味もない』と彼は答えたので、『27』ではあまりにも機械的で、つまらないと感じたコンラートが当て字で『じゃあ、今度からニーナってきみを呼ぶことにする』とアカウント名『27』をニーナと言うようになった。そのコンラートの記事にニーナは『その発想はなかった(笑)』とネット用語を使用して返信をくれた。その日からコンラートはウェブサイトを開くのが楽しいと思うようになったのをよく覚えている。
 ニーナはすこぶる健康男児で、夜ふかしをしないのか、ある一定の時間になると『おやすみなさい』と退室をする。
 一日にニーナとコンラートが多くやりとりをしても、十通くらいだ。しかし、それくらいがコンラートにはちょうどよかった。近すぎず、遠すぎずの距離感がリアルと似ていたからだ。けれど、ネット特有の心理がコンラートにもこのごろ感情を揺らすようになっていた。
 ニーナとのはなしは、簡素であるのに心地がよく、もっと彼のことを知りたいと思うようになっていたのだ。ネットの深みにはまってはいけないとは思うものの、なにかしらニーナのリアルな部分に触れるとうれしくなる。
 コンラートのアカウント名はそのまま『コンラート』を使用している。ほとんどニーナ以外はビジネス使用なので、偽名を使うのはよくないと判断した結果だ。ニーナもコンラートのことを愛称で呼ぶ。英語読みで『コンラッド』と。なんでも、『コンラートって口にすると舌がまわらなかった』と彼が言うので『じゃあ、コンラッドは?』と言えば『そのほうがいいやすいみたい』と、ニーナは言った。
 彼がリアルで自分の名前を口にしてくれたことが、おかしなことにコンラートを喜ばせた。一体どこのだれだかわからないひとであるのに、このような気持ちを生んだニーナという人物は不思議なものだ。
 ニーナはおそらく日本人なのだろう。コンラートの記事の表記は日本で仕事をしているために日本語を使用している。仕事の都合上など特別なことがないかぎり、ほとんどは自国の言葉をコミュニケーションネットワークでも使用するのが基本だ。
 同じ国に住む、顔を合わせたこともない相手。ニーナ。おそらく同性。
 そんなニーナが、コンラートの興味を引きつける。
 そして、いま現在コンラートはニーナと会話をしていた。どんな始まりであったのかはもう忘れた。ただ、だんだんと日を重ねるうちに、記事は濃いものになり、いまコンラートの画面には『いつか、一緒に野球観戦してみたいな』と言うニーナからの返信。いつか、と使用している部分からして、ニーナは現実には叶うことはないな、と思っているのだろう。でも、コンラートは違った。パソコンのキーボードを叩いて、レスを返す。
『いいね。じゃあ、来週の日曜日はどうかな?』
 架空の言霊を現実にするレスを。画面の向こうで、ニーナが戸惑っているような気がした。コンラート自身、心境が違えど、戸惑っている。ニーナからすれば、冗談に近いことを言ったのに、まさか、本当に取るとは思わないだろう。いままで保っていたニーナとコンラートの距離が近づき、おそらくは離れるであろう文面。ネットで出会った相性のいいひとでも、現実世界で会うとなるとはなしは別。いままで気にしていなかった性別も外見も話し方もすべてを無視できなくなり、そのひとを受け入れられなくなる可能性がある。それ以前に、そのひとをそこまで信用できるか。ネットのいい点は顔を合わせずともコミュニケーションにある。どんな悪質な人格を持つ者とも。だれとでも、関わりあえる。悲しきことにそのいい点を、悪用するものは少なくない。テレビや新聞を広げればその信頼を破たんし、悲しい人生の終わりを迎える人々がそこにはあるのだ。
 直接会うというのはかなりリスクがある。
 それでも、コンラートはニーナに一度会ってみたいと思った。
 ニーナの返信が普段よりも遅い。迷っているのだろう。ひどいことをしたな、とは理解している。でも、できるならば、会ってみたいのだ。
 カップに注いだコーヒーが空になるころ、ニーナからレスが届く。
『いいよ。おれも会ってみたい。コンラッドに』
 その文面にコンラートは知らずと頬を綻ばせていたようだ。パソコンの画面に反射した自分の顔に思わず苦笑する。
『よかった。嬉しい。詳しいことはダイレクトメッセージに送りますね』
『うん。待ってる』
 ニーナはコンラートを拒まなかった。それが、とても嬉しい。
 コンラートはニーナの文面を手で撫ぜ、それから近づけて、口をつけた。
「……ごめんね」
 ニーナに小さく謝罪する。届かない謝罪を。
 これはネットを使用する者として悪い例だ。
 相手の信頼を傷つけることだ。会うまえから、こんな感情を持つなんて、あってはならないのに。
 コンラートは、この感情を予測する。
 たぶん、自分はニーナに恋をしているのだ。
 いつのまにか。


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