■ 魔法のことば

魔法のことば(なんでも言って/続編)

 コンラッドはやさしい。
 自分とは比較にならないほどの高給取りで、大企業に勤めているから仕事の帰りが遅く、ほとんど家で料理をするのは自分だが、それでも時間があるときは彼が料理をしてくれるその料理はどれをとっても自分よりもおいしい。
 いまさらそれらにたいして自分がダメな奴だと気に病むことはないが、それでも申し訳ないなと思うことはある。
 休日があえばどこかに連れ出してくれたり、なんでもない日にプレゼントをしてくれる彼。
 自分も彼にプレゼントを渡すときもあるが、給料が給料。『あ、これコンラッドに似合いそう』と思ったものもうかつに手が出せないことのほうが多い。自分の身丈にあわないものを買って、無理をすればのちのち生活に支障が出てしまうのがわかっているからだ。
 いま彼と生活しているこの家も彼が購入した。一緒にずっと暮らしたいなら無理をしてまで贈り物はせず、いまは貯金をしてふたりで必要になるものを買いたいと思うし、なにより社会人になりたての自分は保険やら年金やらでほとんどもっていかれてしまって貯金すらままなっていない状態というのが最大の原因なのかもしれないけど。
 とはいえ『コンラッドに喜んでほしい。感謝したい』という想いはあって、なにかいい手はないかと思いながらネットサーフィンをしている最中、有利はとあるまとめサイトと発見した。
 とあるまとめの内容は『妻(もしくは夫)に愛している』というものだ。
 いくつかの実話に目を通して、有利はふと気がついた。
 自分はコンラッドに対し『ありがとう』と感謝の気持ちを述べたり『好き』だということはあっても『愛してる』と言ったことがないことに。
 正直『好き』と言うのすらかなり少ないし『愛している』ということばはそれこそ、彼から聞くかもしくはドラマや小説、マンガなど日常生活から離れた場所でしか耳にしたことがなかった。
「……言ったらよろこんでくれるのかな」
 不安が無意識につぶやきになって自分の耳に届く。だが、たしかに自分がコンラッドに『愛している』と言われるとうれしい。そして胸があったかくなる。
 ……くちにしないでいるよりかは、いいのかもしれない。
 実際、思っていることをくちにせず以前コンラッドとケンカではないにしろ、ぎくしゃくしたことがあった。
 好き同士だからこそ、恋人になって一緒に暮らしているが、伝えなくてもいい、ということではないのかもしれない。
 有利はまとめに書かれたさまざまなひとの体験談を目をとおして思う。
「あーやめやめ! 考えるのなんておれに合わない!」
 こういうのは勢いが大切だ。
 中学校時代からの友人である村田にも『渋谷の長所はよくもわるくも直進すること』だと言われたではないか。
「まずは、やるだけやってみよう」
 コンラッドが言われてよろこんでくれるかは一旦おいて、まずは日ごろの感謝と自分が彼を好きであることを伝えるべきだ。
 有利は、携帯電話から目を離し、すっと息を吸った。
「あ、あ……あい、し……あーーー!!」
 試しに『愛してる』と言おうとして、途中羞恥心からひとり部屋で叫んでしまった。
 ……まずは『愛している』と言えることが先決かもしれない。
 大丈夫。まだコンラッドが帰宅するまで時間はある。


 ――そうして夜の十九時ちょっと過ぎ。
 コンラッドが仕事から帰ってきた。
「ただいま、ユーリ」
「お、おかえり」
 玄関のドアを開け、コンラッドを出迎える。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもないよ! あ、ご飯できてるから」
 絶対に言うぞ、と決意し練習をしたものの、いざ本人を目の前にすると緊張してしまい、声やかおがこわばってしまう。
 それをこれ以上悟られないよう有利はコンラッドからカバンを受けとってそそくさとリビングへと戻る。
 本当はコンラッドが帰宅するまえにケーキくらいは買ってこようかとも考えたが、思った以上に『愛してる』ということばの練習に時間を費やしてしまい、買いに行くのはあきらめた。
「今日の夕食も美味しそうですね。あ、俺、これ好きなんです。ユーリ特製の肉じゃが」
 コンラッドはスーツをハンガーにかけて、しっかりと結んでいたネクタイを緩め、テーブルに並ぶ肉じゃがを見て言う。
 ――知ってるよ。だから、作ったんだ。
 と、いうのを有利は心中で彼のことばに答え、かわりに「そうだっけ?」ととぼけてみせた。
 ふだんであれば、きっと心中のことばを口にしていたと思う。でも、意識をすると、どうやら自分は天の邪鬼な態度や返答をしてしまうようだ。
 いまからこんな調子でちゃんと自分は彼に『愛してる』なんて言えるのだろうか。
 幸先が思いやられる。
「……はあ」
「どうかしましたか? ため息なんてついたりして」
「あ、ううん。なんでもない。さいきんちょっと仕事の疲れが出てるのかも」
「そうなんですか。無理はしないでくださいね」
 コンラッドは心配そう眉尻をさげて有利のあたまに手をのばしてぽんぽんと撫でた。
 ……あ、やべ。
「さ、ご飯食べましょうか?」
「うん」
 もういい大人なのに、あたまぽんぽん、きゅんとした。


「――はい、どうぞ」
「ありがと!」
 食後の一息にとコンラッドがリビングのソファーに腰掛けていた有利に紅茶を手渡した。
「となり、失礼しますね」
「おう」
 となりに座ったコンラッドのマグカップからコーヒーの香りが有利の鼻孔をくるぐる。
 自分はコーヒーの味が苦手で飲めないが、コーヒーの香りはコンラッドと付き合うようになって好きになった。
 とくにふたりでいるときにコーヒーの香りがするとほっとするのだ。
「ああ、そういえば今日……」
 テレビを観ながら、コンラッドが今日あった出来事をはなしはじめた。
 コーヒーの香りと他愛のない話。なにより、コンラッドがとなりにいるこの空間にだんだんと心やからだがリラックスしていくのと、なぜ自分が彼にあのことばを言いたいと思うようになったのかようやくわかった。
「……ねえ、コンラッド」
 コンラッドに向ける自分の『好き』は特別なものだ。でも彼に以外にも『好き』と伝えることはある。とはいえ、彼以外には『恋愛感情』をのせて伝えることはないけれど。
 でも。
「――コンラッド、愛してる」
 有利はテレビに視線を向けたまま魔法を唱える。
 いままでずっと言えるかどうか、羞恥にあたまを抱えながら、唸りながら練習を繰り返したのに、あんな練習なんてしなくてもよかったのではないかと思うほど、すべるように呼吸とともにカタチになったことに自分でも驚いた。
 けれど、コンラッドは自分よりも魔法のことばに驚いたようだ。
 なにかが吹きだす音とともに有利の視界のはしに茶色いものがみえた。
 どうやらコンラッド、コーヒーを口からこぼしたらしい。
「なにやってんの、あんた」
 まさかこんなリアクションをされるとは考えてもみなかった。
 有利はこらえきれずにくすくすと笑いながらコンラッドのほうに顔をむける。そこにはめずらしく頬を赤らめて動揺している彼の姿があって、さらに声をたて有利は笑ってしまう。
「……いや、まさかユーリから『愛してる』だなんて言われるとは思いもしなかったので……驚いてしまって」
 言って吹きだして床に広がるコーヒーをそばにあったテッシュでふき取りながら茫然とした表情を浮かべる男はさながら思春期を迎えたばかりの少年のようだ。
「……うれしいです。しあわせです」
「しあわせ?」
「ええ。……とても」
 有利はコンラッドへと手をのばし、彼の頬に触れる。
 ――かわらない日常なんてない。日々時計が未来に続く時を刻むように。
 そんなどこかで聞いたような、当たり前だと思っていたことを思い出す。
 コンラッドと出会って、恋をして。彼がコーヒーを飲むからコーヒーの香りが好きになって。一緒に暮らすようになって。
 二十四時間。限られた一日で同じ空間で同じものを食べること。
 そのひとつひとつが、いまに繋がって『当たり前』と呼ぶ生活に変わったそれを思い返す。
 それらをまとめてみたのがきっと『愛してる』なのかもしれない。感謝だけじゃない。
 恋愛感情をカタチにしたのが『好き』なら『愛してる』は好きだけじゃなくて一緒に生きるしあわせと彼と過ごす日々にある数えられないほどにある『愛しさ』をひっくるめたやつなのかもしれない。
 勝手な自論だけど、そう思ったら羞恥心なんてどこかへ消えてしまった。
「愛してるよ、コンラッド。いつも、ありがとう。これからも……一緒にいてくれな」
 言うと、コンラッドは頬にあてられた有利の手に自分の手を重ねて、何度も頷く。
「もちろんです。俺もあなたを愛しています。こちらこそありがとうございます。一緒にいてください」
 どちらともなく、さらに距離をつめ、顔を近づけて、口唇が触れ合う。
 ドキドキはしなかった。かわりに有利は胸が愛しさでいっぱいなるのを感じた。
「ねえ、でもなんでいきなり『愛してる』なんてうれしいことを言ってくれたんですか?」
「ヒミツ。野暮なこと聞かないでよ」
 コンラッドの問いに有利はそう返答すると再び男の唇を塞げば、今度のキスは触れるだけではない深いものになり、ゆっくりとソファーに沈む。
 ボタンの合わせ目にコンラッドの指が差し込まれ、ボタンがはずされていき徐々にからだがあつく、息があがっていくのを感じる。
 あとで今日のことを、あのまとめサイトに投稿してみようかなとあたまの片隅で考えながら、有利は自分を組み敷く男の広いせなかに手をまわし本日何度目かの魔法のことばを耳元で囁いた。

END

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