■ 4


 驚いて、声も出ない状況というのはこういうことを言うのだろう。有利はくちを開いたままコンラッドをみつめることしかできなかった。
「ユーリ、」
 さきに声をかけたのはコンラッドだった。服はしわくちゃで髪も息も乱れている。今日の気温は涼しいくらいなのに汗だくで――普段の彼から、かけ離れていた。自分の知っているコンラッドという男は息ひとつ乱さない完璧な男。
「……なんで、ここにいるの?」
 動揺のし過ぎでなんと声をかけていいのかわからない。そうしてやっと声になったのはあまりにも簡易なものだった。
「あなたに言いたいことがあって」
 会いにきました。
 息を切らせながら答えたコンラッドの顔は険しく、有利は思わず目をそらす。……村田のことだ。もしかしたら、コンラッドの同僚であるヨザックに連絡したのかもしれない。ファミレスにきてからぼうっとはしていたが、ふと村田のほうに目をうつしたとき携帯電話を操作していたから。村田は自分を想ってしてくれたのだろうと思う。けれど、まだなにをコンラッドに言えばいいのか、どのようにきっかけをつくればわからないのに。仕事でいっぱいっぱいの彼が一息ついたときに言えたらいいと思っていたから。あの険しい表情は、自分に対して怒りを向けているのではないかと思うと背中にじんわりと汗が流れ落ちてくのがわかる。
「すみませんでした……っ!」
「え、」
 突然ひとめもはばからず、コンラッドは頭を下げた。周囲がざわついたのがわかったが、それ以上に彼から紡がれることばに有利はまわりを気にするひまもなかった。
「俺は、あなたのことを……気持ちをわかっていなかった。どんな想いで毎日帰りを待って、送りだしていたのか。自分のことや仕事のことであたまがいっぱいだなんてそんなの言い訳だとわかっています。――本当にごめんなさい」
「コンラッドが謝ることじゃない……っ! それに、」
 おれが悪いんだ、と続けようとしたことばはてばたきによって遮られた。
「はいはーい、おふたりさん落ち着いて。公共の場で大声を出すのは禁止だよー。続きはちがう場所でやってくれるかな?」
 ほらほら、みんな見ていてハズカシイネー。とくちにする村田本人はまったく視線を気にしていないようにオレンジジュースを啜っているが、たしかにみんな何事かとこちらを見ている。
 やっと状況をしっかり認識して有利は頬を赤らめた。
「村田くん、すみません。ユーリと失礼します」
「どうぞ。午前中だけ仕事って言ってたヨザックとこのあとここで待ち合わせする予定だから。あ、でもお会計はよろしくね」
 状況を認識したからといってもいまだからだは動かない。そんな有利の肩を抱いてコンラッドはファミレスをあとにしようとする。
「村田! 誘ってくれたのにごめんっ」
「気にしないで。また遊ぼうね」
 言うと、村田はひらひらと手を振る。
「……それから、はなしを聞いてくれてありがとう」
 学生時代のときみたいに四六時中村田と一緒にいないけど、こうしてかわらず心配してくれる友人がいてくれて自分はとても恵まれている。
「ほんとうにありがとう」
「どういたしまして。あとでのろけ話聞かせてくれよ」
 有利は手をふりかえして、そのときはこのファミレスでなんでもおごってやろうとひっそり決めた。
 村田の分も会計を済ませようとカウンターに伝票を置くと自分よりもさきにコンラッドがカードで支払いをされて慌ててお金を渡そうとしたが「ながいことあなたを待たせてしまったから……これぐらいさせてください」と言って彼は受け取らなかった。
 店を出ると抱かれていた肩をはなされた。かわりに、手をぎゅっと握られる。男同士でだれがみているのかもわからないそんな公の場所で。それが有利はあまり好きじゃない。でも、いまはすごくうれしいと思うのは身勝手だろうか。
「コンラッド、家に帰ろう。そこで、ちゃんと話し合おう」
「ええ」
 コンラッドの体温は自分よりも低い。しかしこうして握りあう彼の手はわずかに汗が滲んでとても熱かった。
「そういえば、こうして手を繋いであるのは久しぶりだ。いつも一緒にいるのに」
 ひとりごとのように、コンラッドが呟き、有利は彼の手を握り返しながら、自分のとなりにいることを確かめるように指を絡めて答えた。
「いつも一緒にいるから、忘れてたんだ。手を握ることも、コンラッドっていう大切なひとと過ごしてるってことも……話し合うことも」
 家までを手を繋いだまま歩く。それがどんなに大切なことか気がつけてよかった。顔を上げ、コンラッドをみればすぐに目があってそれだけで声をあげて泣きそうになる。
「コンラッド、迎えにきてくれてありがとう」
 喉が震えてしまいそうになるのを押さえながらくちにしたせいで声はとてもちいさかったが、ちゃんとコンラッドには届いたようだ。
「ずっと、待っていてくれてありがとう。……ユーリ」
 なにかを堪えるようにしてぎこちない笑みを口元に浮かべたコンラッドがとても愛おしいと、有利は思った。


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