■ 春を告げる花



 普段は気にもしないが、ふとした瞬間『ああ、月日はこんなにも経っているのだ』と実感する。
「――あ、コンラッド! 見て、あそこ! 桜が咲いてる」
 すこし興奮した様子で、ユーリが桜の木の高い場所に指をさした。
 コンラートがその指のさきを追ってみると、そこには一輪の桜がちいさく揺れていた。
「本当だ。咲いてますね」
「一輪だけっていうのは、ちょっとさびしいけど」
「そうですね。でもすぐにほかの桜も咲きはじめますよ」
 と、コンラートが言えば「はやく、咲いてほしいなあ」とユーリが呟いた。そんなどこかさびしい表情を浮かべたユーリの横顔と一輪の桜を見てコンラートは目を細める。
「……まるで、あなたみたいですね。あの桜」
「え、おれ?」
 コンラートの脈絡のない切り返しにユーリが小首を傾げた。
「ええ、あなたに似ています」
 魔王になると宣言したときのあなたに。とコンラートは話しはじめる。
「魔族と人間。そしてその間に生れた混血と呼ばれる人種はあなたもご存じのとおり、互いに相いれない関係にありました。それこそ、深い溝の如く。また、眞魔国内でも、王への不信感それから不満があって、いつ内戦がおこるかもおかしくなく、他国との交流もおろそかであったために、とくに人間の国との関係は些細なことでも、冷戦状態から戦争になってもおかしくないほどの冷え切った状況でした」
「そうだね。……いまは以前よりも互いに歩み寄ったりして、いい方向には変化してるけど。でも、やっぱり問題はたくさん残ってるから。もっとおれはがんばらないといけないなあ」
 コンラートの話にユーリもまたあの日々を回想しているのか、懐かしそうにそれでいてどこか悲しそうに眉をひそめた。
「ユーリは頑張っていらっしゃいますよ。なにかを解決すればまた新たな問題が生まれてしまう、それだけのことです。……俺がいいたいのはそのことではなく、あのとき宣言し行動をしたあなたの姿があの『一輪の桜』に似ているということ」
 コンラートは再び咲いている桜に目をうつす。
「……寒い冬が永遠ではないことを告げるのが、桜。とはいえ、それを告げるにはいちばんだれかが最初に冬の寒さに負けることなく咲かなければいけない。冷たい風に吹かれても、散らないよう踏ん張って、まだ開くことを躊躇う蕾たちに共に春を告げようと励ましてくれるあの一輪の桜は――あのときのあなただ」
『おれが魔王になってやる!』
 あのときのことば。あのときの表情をいまでもコンラートは鮮明に思い出せる。
 あの瞬間、世界が革命した。
 十六歳。地球生まれの男の子。
 この世界のことをなにもしらない少年が、いまの世界に真っ正面からぶつかる瞬間、胸に忘れていた『希望』が溢れた。
「あなたが一輪の桜の如く、俺たちに『希望』と『勇気』の花を咲かせてくれた」
「……そんな、大げさだよ」
 ユーリが困惑したように言ったそれに「大げさじゃないです」と即答する。
「あなたがいなければこの世界もひとも変わらなかった。しかたないと諦め、夢をみるたび絶望し、いまの世界をいまの自分を受け入れていたでしょう。夢を叶えるのは『自分』そして諦めなくていい『勇気』を教えてくれた」
 そうコンラートが言いきると視界のはしでユーリが照れくさそうに頬をかいたのがみえた。
「なんか照れるけど……なら、あの一輪の桜のとなりでいまにも咲きだしそうなのはコンラッドだな。あのとき、あたまが真っ白になって、言ったことに後悔はしてなかったけど、すごく不安だった。そんなおれの背中をおしてくれたのはあんただったから」
 ユーリは一輪の桜のとなりの桜をさし、それからほかにも咲きだしそうな蕾をつぎつぎと指を向け「あれはヴォルフラム。あっちはグウェンダルにギュンター。ヨザックに村田。それからグレタかな」と笑う。
「ユーリ、桜が満開になったら日本でいう『お花見』をしませんか?」
「あ、それナイスアイディア! ぜったいたのしい!」
 コンラートの提案に、ユーリがぱっと明るい顔をこちらに向ける。
「では、ユーリはお花見ができるよう普段以上に執務を頑張らないといけませんね」
「わかってマス! おれはやればできる子だからな!」
 コンラートが冗談めかして答えるとユーリは肩をすくめ、わずかに口先を尖らせた。拗ねると口先を尖らせる癖は何年経っても変わらないな、とコンラートはユーリを見てくすくすと笑う。
「……しかし、毎年思うけど桜の木も増えたなあ。満開になったら圧巻だね」
「ええ」
 最初は一本、その次の年には二本、三本と、一年の節目として植えられた桜の木。いまでは数えきれないほどの桜の木が木々となり丘のうえから城下町を見降ろしている。この桜の木のぶんだけ、月日が流れ、ユーリと自分の願い夢の世界に近づいている。
 彼がいなければ、桜をこの世界でみることはなかっただろう。そして、希望を宿して前向き生きる人々とその素晴らしい世界も、きっと、なかった。
 そう思うと改めて自分のとなりで桜をみている『渋谷有利』という青年に感謝と尊敬それから愛おしさがコンラートの胸で混ざりあい、いいようもない感情が溢れてくる。
 ゆらゆらと揺れる一輪の桜と冷たいと感じていた風がいつのまにかあたたかさをふくんで頬を撫でるたびに、もうすぐそこまで春がきていることを教えてくれる。
「ユーリ、」
「うん?」
「――……ありがとう」
 コンラートが感謝のことばを口にするとユーリは「なにが?」と小首を傾げた。

END


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