■ playing catch





 十六年間生きて、恋人なんていたことなかった。ゆえに『恋』なんてしたこともない。だから、みんなが言う『恋愛感情』というものがどういうものなのか、聞いてもさっぱり理解できなかった。
 でも、いまはちがう。
 きっとこの胸に芽吹く感情はきっと――……。


「――恋愛感情として、あなたが好きです」
 執務休憩になり、中庭でコンラッドとキャッチボールをしている最中、突然彼が言う。
「え、」
 聞き取れなかったわけではない。ただ、コンラッドのことばの意味が理解できなくて思わず変な声がでた。
「ユーリが、好きです。恋人としてお付き合いできませんか」
 手元に放られたボールをグローブに受けたと同時にもう一度、今度はもっとシンプルなことばでゆっくり彼が言う。
 受け取ったボールを有利は右手で転がしながら少しのあいだ口を噤み、それからコンラッドにボールを投げ返し「……わからない」イエスかノーか問われたそれに曖昧の返答をした。
 コンラッドのからの告白。それはすごく嬉しかった。それこそ、何度か夢にだってみた。
 恋愛感情で彼が好きだといわれれば、迷うことなく『イエス』だ。けれど『付き合う』かと問われれば迷う。
 考えたこともなかったから。自分のことをいちばんに考えてくれる理解者でバッテリーだと思っていたコンラッドが自分の元を離れること。
 ……だから怖くなってしまったのだ。
 付き合ってしまったらいまよりもずっとお互いのことがわかるし、距離が近くなる。でも、付き合い始めてしまったらきっといまよりも我慢がきかなくなって不安にさいなまれてしまうのではと考えてしまう。
 まだ、自分はコンラッドのことを以前のように完全に信じる、ということはできないでいる。
 まったく答えになっていないそれをコンラッドはどう思うのか。怒るのか悲しむのかはたまた落胆するのか。互いのあいだで弧を描く白球を目で追いながら考えそのさきにある彼の表情を伺ったそれは考えたどれとも違っていた。
「そうですか」
 コンラッドは、穏やかな表情を浮かべていた。
 これにはさすがに驚いて有利は目を見張る。
 さきほどの自分と同じように、コンラッドは右手でボールを転がす。
「……そうですかって、あんたはそれでいいの?」
「だってわからないのでしょう?」
「そう……だけど」
 わからない、と答えたのは自分なのにそれを肯定されて戸惑ってしまう。けれど、コンラッドの表情や声音。もしかしたら彼は告白するまえからこちらの返事をわかっていたのかもしれない。
 そういうのは、ずるい。と思うが、なんて言えばいいのかわからなくて有利はなにをするでもなく右手を開閉させる。
「……でも、」
 わかんないと答えたそれがあんたを傷つけないか。と言いかけたが、コンラッドの声が重なった。
「それがいまの答えだ。あなたが正しい。……きっとイエスでもノーでもないのではないんじゃないかって告白する前からわかっていました。けれど、それでも言いたかった。あなたが困るとわかっていても」
「コンラッド……」
「確認しておきたかった。あなたが俺のことを信じられないということを。告白でもしなければ、あなたはきっと本当の自分の想いを偽って、無理やりでも俺を信じようと嘘をつこうをするんじゃないかと思ったから」
 コンラッドがボールを投げる。
 なぜだろう。そのボールが僅かに霞んでみえるのは。
 グローブから、ボールがこぼれおちて地面に落下していく。やけにゆっくり落ちるように見え、地面に落ちたボールを拾おうとして手を伸ばせばぽつぽつ、とそこにちいさな黒い点。
 それがなにかなんてすぐに理解する。
 ――涙だ。
 コンラッドのことばに「そんなことないよ」といいたいのに、言えない。喉が震えてどうしても言えなかった。コンラッドが言うそれがまぎれもなく『真実』だから。
 信じたい。信じきれない。もうそんなこと考えたくもない。
 ――戻ってきたから、いいじゃないか。
 なんて本当は思えない。
 彼が自分のとなりから離れた理由はもうわかっている。自分のことを思っていなくなったのだと。だが、それさえも信じ切れていないのだ。もしかしたら、世話のかかる子どものお守りに疲れ切り、愛想を尽くしていたのでは、と思ってしまう。
 戻ってきてくれて、うれしい。
 またいつかどこかに行っちゃうんじゃないか。
 前者の気持ちが大きいが、それでも後者の気持ちがいつだって湧きあがってきてくる。
 なにも言えずに唇をぎゅっと噛み締めれば、彼が言う。
「……ねえ、ユーリ。付き合うのはべつにして俺のこと、好きですか」
 問われ、うなだれるように頷く。
「恋愛感情として?」
 それにも首をたてに振る。
「なら、俺にも希望はあるということですね」
「……は?」
 それはどういう意味だろう。
 有利は項垂れていた顔をコンラッドへと向ける。彼はあいかわらず穏やかな表情を浮かべていた。
「信じてもらえないのは、悲しいです。でもそれは俺のせいだ。いまだってあなたの隣であなたを傷つけているのも事実。……でも、そんなひどい男をあなたは信じようとしてくれている。あなたが必要としてくれている。それを確認したかった」
「……なん、で」
「俺はいまから努力します。あなたが再び、いや、以前よりもずっと俺のことを信じてくれるように。あなたが必要としてくれる男になれるように、この一生かけて努力していきますから」
 有利はさらに強く唇を噛み締めてから、長く息を吐く。嗚咽を抑えるために。嗚咽をどうにか抑え込んでそれからゆっくりと立ち上がる。
 コンラッドをじっと見つめて。
「コンラッドのこと、本当に好きだよ」
「はい」
 握りしめたボールの縫い目に人差し指と中指かけ、親指をその真下くるように握る。
「でも、あんたが言ったようにもう信じられないし、怖い」
 それからコンラッドと自分の位置を確認。
「はい」
 そうして、もう一度息を吐くと、コンラッドが捕球姿勢にはいる。
「だけど……信じたいんだ。もっと近い距離でコンラッドのそばにいたい。だから……――もう少し、返事は待っていてくれないか」
 有利は腕を大きくまわし、振り切って、左足のつまさきをまっすぐコンラッドへと向け、重心を右足から左足へと移動させる。
 そうして投げられたボールはキャッチボールとはいえない速度と強さを持ってコンラッドへと向かっていく。
 ――パシンッ!
 心地のいい音とともにボールはコンラッドのグローブのなかに。
「ええ、もちろん」
 コンラッドは言う。
「だって、これからはずっと、ずっと一緒ですから」
 と、大好きな雲ひとつない青空をバックに、大好きな笑顔でボールを受け取ったのだ。

 
 

END


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