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 勝利は上着のポケットに両手を突っ込んですっかり暗くなった空を仰いだ。風が吹いているからか雲はなく、夜空には星がきらきらと輝いている。
 こうして、夜空を見上げてたのは何年ぶりなのだろう。それから弟とふたりで夜のコンビニに出かけたのは。
 夕食もそこそこに晩酌が始まり、現在父親は絶賛酔っ払いと化していた。しかも絡み酒。犠牲者は弟の婚約者となったウェラー卿。普段は温厚な父だが、酔っぱらいとなるとややめんどくさい。ざあまみろ。
 そんな父に酒を買ってこいと頼まれ、いまにいたる。いつもなら、夕食をすましたあとはちょっとテレビ鑑賞をしたあと自室にもどりひたすらパソコンと睨めっこ(ギャルゲー)をしていて、父も酒をたしなむ程度で晩酌を楽しんでいるが今日はタカがはずれているのだろう。
 もしかしたら明日父は二日酔いに悩まされるのではないだろうか、と思ったが今日は好きにさせてあげましょう、と言う母に勝利は素直に頷き、ズボンのポケットに財布をねじ込んでコンビニへ向えば、どういうわけだか、有利もついてきたのだ。
 どうした、と聞けば「なんとなく」と言ったきりずっと半歩後ろをついて歩いてくる。
 そうして適当にコンビニで酒を買いこんで、家路へと向かう途中の公園で有利がくちを開いた。
「……なあ、勝利。はなしがあるんだけど」
「ん? なんだよ」
 聞き返し振り向けば、反射的に有利と目があった。するとなにを驚いたのか有利はびくりと肩をすくませてそれからすぐに視線をこちらから離し「あっちではなしたい」と近くのベンチをさす。
 夕食前から薄々感じていたのだが、どうも弟の様子がおかしい。
 まあ結婚についてはなしをしたのだから気恥ずかしくてぎくしゃくしてしまう気持ちもわかるが、それにしたってさきほどから目があったり、はなしかけるたびに過剰に反応されている。
 一体どうしたというのか。
「あっちではなしたい」と言ったきり、ベンチにふたりで腰掛けてから有利は一言も発しない。だが横目で様子をそっと伺えばなにか言いだそうとしているのか何度か口を開閉させているのが見えた。
 どうした、とこちらから促せばいいのかもしれないが、追加の酒を買い出しだからとはいえ急いで帰る必要もないので勝利はぽつぽつと明かりが灯る公園全体を見渡し、有利がはなしだすのを待つことにした。
 見ればもうすぐ四月も近いこともあってか、植えてある桜の木々にはまんまるとふくれたつぼみがいくつも見える。そういえば、このベンチに座るのも何年ぶりだろう。小さいころはそれこそ、毎日といっていいほどこの噴水公園で遊んだ。最初は遊具で遊び、有利が野球教室に通うようになってからはキャッチボールをして遊んだ。野球教室に通っているくせに自分よりずっとコントロールもなくて、そんな弟の予測不能なボールに翻弄されて、ついついこのへたくそと言えば、それが火種となってケンカをしたことがあったなと思い出したとき「あのさ……っ」と有利がようやくくちをひらいた。
「あ、あのさ……っ! 勝利に聞きたいことがあって」
 はなしを切り出した弟のこえは若干、震えていてみればぎゅっとズボンの裾を握りしめている。そうして、気持ちを落ち着かせるように有利は長い息を吐き、はなしを続ける。
「……勝利は、その、コンラッドのこと嫌い、なの?」
「は? いや、まーそりゃ気に食わないとは思うけど、べつに嫌いってほどじゃないけど」
 なにをいまさら改まってそんなことを聞くのかわからない。
「ほんとに? ……じゃあ、おれのことが嫌いになったの」
 わけのわからない問いに勝利はムッと眉間にしわを寄せる。
「……言ってる意味がわからないんだが。なんだよ、さっきからとげとげしい言い方して。ウェラー卿が嫌いとかそうじゃないからおれが嫌いとか。なんでそんなこと聞くんだよ」
 ケンカをしたいわけじゃない。けれど、突拍子もなく尋ねられたそれはまるで自分がふたりの結婚を祝福してないように聞こえ、無意識にこちらの応答も尖りのあるものになってしまう。
「だって、ほんとうのことだろ! 勝利はおれたちのこと嫌いなんだろ」
 耐えきれないとばかりに有利が声を荒げ、それからぎゅっと下唇を噛み締めた。
「だから、意味が」
「お袋にぐちってたじゃんっ! どうでもいいって! おれたちがどうなろうとどうも思わないってくらいおれたちに愛想尽かしてるから結婚してもべつにいいってことだったんだろ! っだから、結婚したいって言ったときもなんにも言わなかったんじゃないの……っ!」
 言いかけたセリフはこえをあらげた有利によって遮られた。まだ夜も遅くとまでは行かないが人通りのなくなった公園でそのこえはかなり大きく響いた。まさかここまでこえをあらげるつもりは本人もなかったのだろう。響いた己のこえにびくりと肩をすくませ、ややこえのボリュームをおとしはなしを続けた。目元にこぼれそうな涙をためながら。
「たしかにいっぱいおれもコンラッドもみんなを心配させたり、迷惑をかけたことはわかってる。……でも、やっぱりおれはコンラッドが好きで、できればずっとそばに居たくて。同性同士だし、もちろんみんながみんなおれたちのこと認めてくれないってことは自分でもわかってるつもりだよ!」
 鼻をすすり、有利は勝利をまっすぐと見つめる。
「わ、わかってるつもりだけど、それは家族だって例外じゃないってことわかってるけど……っ! 反対するならするで言ってほしい! 話し合ってくれてもいいじゃんか! ……っどうでもいいとか言うなよ!」
 勝利のバカっ!
 と、嗚咽をこぼしながら有利は言い、思いの丈を吐き出したことでわずかに落ち着いたのか、肩で息を吸ってはいるが、さきほどよりも音量を下げ「どうでもいいとか言わないでくれ……」とひとりごとのように呟いた。
 ひとけのない公園。互いにくちを噤めばすぐに静寂が周囲をつつむ。ぐずぐずと鼻を鳴らす弟とそれから木々が擦れる音が余計に静けさをリアルにする。
「あー……有利。悪かった。まさかお前が聞いてるとは思わなかったんだ」
「なんだよ、それ。聞いてなきゃ言ってもいいってわけじゃないっ」
 有利は言い、あふれ出しそうな感情を押さえているのかじっと地面を見つめたまま早口に反論し、勝利は後頭部を掻いた。
「すまん、そういうわけでもない。俺のことばが足りなくて何度も誤解させるような言い方をして。……どうでもいいっていうのは、お前らの結婚とか関係のことを思ってくちに出したものじゃないんだ」
 そうくちをひらけば、有利がわずかにかおをあげ、訝しげな表情ではあるもののはなしの続きを待っている。
「どういうこと?」
「あのさ、こういうこと聞くのバカだとは思うけど、お前、あいつと付き合ってることはキス以上のこと、してんだろ」
「えっ!? な、なななにを言いだすんだよ!」
 問うと有利は暗がりでもわかるほど頬を真っ赤に染め慌てふためいた。まあ、尋ねるまえからわかっていたこととはいえ、くちに出さずともかおに出やすい弟を目の前にするとすこし複雑な気分だ。
「……あー俺も彼女ほしい」
 無意識に本音がこぼれてしまった。
 それを聞き取れなかったのか「え、なに?」と聞き返し、それに「なんでもない。それはそうと、お前らヤッてんだろ」と再度尋ねると目を左右に泳がせながらも有利が頷き、勝利は短く息を吐く。
「だよなあ。……ぶっちゃけ、付き合うってなったらそういう関係になるのは目に見えてたよ。同時にお前を散々な目を合わせたくせになにしてやがるってアイツを憎んだこともある」
「……やっぱり、勝利はコンラッドのこと……」
「最後まではなしを聞け」
 またも目を伏せた弟のあたまを勝利は軽く叩いた。
「憎んだし、恨みもしたけど、でもウェラー卿が有利のとなりに戻ってきて、今日挨拶にきて、わかったんだ。ちゃんと有利が愛されてるって」
「え、」
「アイツの隣で見せた笑顔、すごく綺麗だった」
 綺麗だったのだ。天真爛漫なひまわりのような笑顔だけではなく、やわらかくやさしくうまく表現はできないが『愛されている』そんな雰囲気があった。
「綺麗でしあわせですってかおを見たら、いままで心のなかで蟠っていた怒りとか憎しみとかそういうのがなくなって、しあわせになって欲しいって思ったからあのときなにも言わなかったんだよ。で、お袋にお前らについて『どうでもいい』って答えたの」
 あんなかおを見てしまえば、自分が持っていた憎しみも悲しみも『どうでもいい』と思ったのだ。あの笑顔を見た瞬間、昇華されたのかもしれない。
 有利には言うつもりのなかった本音。勘違いさせたままではと素直に述べたものの、やはり気恥ずかしくなって勝利はややぶっきらぼうに「わかったか?」とあたまももう一度叩こうとすれば突如、有利の瞳から大粒の涙がぼろり、と零れおちた。
「っおい!?」
 さきほどから泣きそうなかおをしているとは思っていたがこうして突然泣かれてしまうとどうしていいのかわからなくなる。
 結婚のあいさつでの自分のふだんと異なる態度や、母親との会話のなかで主語の抜けた応答をしたことで意図せずしたものであれ、有利を傷つけてしまったという自覚あり、自分の思いを隠さず伝えたつもりなのだが、また自分のことばと思いが彼を傷つけてしまったのだろうか。
 まるでこどもに還ったかのようにぼろぼろと泣きだす二十歳を過ぎた弟の後頭部に片方の手をまわし、勝利はおずおずと抱きしめた。
「お願いだから泣くなよ」
 無意識に起こした行動だったが、自分の肩口に弟のかおを埋めるようにして抱きしめた。
  そういえばちいさいころ、よく泣きだした有利にしていた行動だったなと思い出した。どう対応していたのかあたまでは忘れてしまっても、からだは覚えているらしい。
「ゆーちゃんに泣かれるとどうしていいのかわからなくなる」
 肩口が有利の涙でじわじわと濡れていくのを感じながら、勝利はあやすように弟の背中をなでつける。そうしているうちに有利もいくぶん落ち着きを取り戻したのか、ずびずびと鼻をすすりながら、勝利の肩口からかおを離した。
「……落ち着いたか?」
「ん、」
 こくり、と有利が頷き、勝利は安堵し息を吐く。そこからまた気まずい雰囲気が包んでどうはなしかけたらいいのか思い悩んでいると、有利が呟いた。
「……誤解してごめん」
「おう」
「それから……おれたちのこと、認めてくれていてありがとう」
「……おう」
 最後のほうは恥ずかしくなったのか早口でぶっきらぼうな感謝のことばに勝利は微笑んだ。
「ったく、ほんとゆーちゃんは俺の萌えを突くのがじょうずなんだから」
「は?」
「わかんないならそれでいい。さ、行こうぜ。そろそろ親父がだだこね始めるから」
 言ってくしゃくしゃと有利の髪を掻きまわして勝利は立ちあがる。
 もしかしたら、だだをこねるのではなくもうすでに酔い潰れているかもしれない。
 行きとはちがい、あとをついてきていた有利が今度は自分のとなりを歩く。
 誤解がとけたとはいえ、さして口数が増えたわけでもなく、どちらかと言えば肌寒い風の音がうるさいくらい閑散としているものの、それでもぽつぽつと続く他愛のない会話はとても穏やかなものだと思う。
 異世界で魔王になった弟は、あの男と結婚してより地球を訪れる機会が減るのだろう。一週間が一カ月になり、一年、数年、数十年に一度と回数は徐々に減っていくのだと思う。
 そんなことはずっとまえから覚悟していたことだし、そのために思い出をたくさん作っていこうと思っていたが、それはもうやめよう。
 有利の帰りを待つばかりはやめよう。
 自分も仮にもあの両親から生まれた魔族とのハーフでいつかは地球の王となる人間なのだ。
 自分から会いに行けばいい。
 きっとそれはむずかしいことじゃないはずだ。
 だって自分よりあたまが悪く、考えたら一直線。野球バカな弟が種族の違いから起こる偏見や戦争をゆっくりではあるがなくし、争いをなくして互いに共存していく未来を叶えてきているのだから。
 地球と異世界を行き来することくらいそれに比べればずっと簡単な悩みに思えてきた。
 まあ、しかし。そんなことを言っても自分と弟の間に流れる時間――つまりは寿命はもう違う流れでそう悠長なことを言っていられないのも事実だが、それでも、自分は有利の家族なのだ。もう、ちいさい頃のように可愛らしく『おにいちゃん』とは呼んではくれないけれど。
 それでも――……。
「あのさ、兄貴」
 兄貴とか勝利とかぶっきらぼうな可愛げもないその呼び方もまあ、いまでは悪くないと思うようになってきた。呼び方がどうあれ『兄』であることは変わりないし、可愛げのないそれもまた愛おしさを感じるから。
 正直、まだふたりのことに困惑している部分もある。けれども、自分では、家族では咲かせることのできなかったひまわりと表現するよりずっとあたたかくて美しい笑顔を咲かせてくれたのはほかでもないあの男なのだ。
 ああ、ちくしょう。
「……絶対、ゆーちゃんのことしあわせにしなきゃ許さねえからな」
「え?」
「いや、なんでもない。ひとりごと」

END

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