■ Sunday




「あちらにも似たような宿はありますが、地球はすごいですね。……こんなにも種類があるとは」
 コンラートはホテルの入り、すぐ目に入ってきた壁に設置された写真パネルを興味深く見つめ、同意を求めようととなりにいる少年に声をかけた。
「そうだな」
 やや早口に少年が返答する。怒っているわけではないだろう。けれど、普段の彼の態度と比べるとぶっきりぼうな態度にコンラートはちいさく苦笑いをする。
「まったく、あなたはつれないですね」
 少年が居心地悪いのをわかっているのに、それを逆撫でしてしまうのは自分の悪い癖だ。案の定、少し大きいサイズのパーカーを羽織り、日差しもないのに顔を覆い隠すようにフードで顔を隠した少年はそっと顔をのぞかせ「うるさい」とばかりにこちらを睨みつけていて、コンラートは肩を竦めた。
「すみません。冗談ですよ、怒らないでください」
 言えば「べつに怒ってはないけど……」と小さく少年は呟いた。怒っていないのは、コンラートもわかっていた。ただ、となりにいる少年は照れているだけだ。
「……滑り台のある部屋。桃色に統一された部屋。鏡張りの部屋、と面白い部屋がたくさんありますけど、これらの部屋では落ち着きませんから、やはりシンプルな部屋にしようと思うのですが」
 コンラートが尋ねると「なんでもいいから早くして!」と居たたまれないのか少年が急かすように言い、コンラートは写真パネルのボタンを押し、パネル横に設置してあった自販機から現れたルームキーを手にとりながら、とうとう耐えきれずにくすくすと小さく声を立てて笑う。
 選んだ部屋は三階にあるらしい。手に取ったルームキーにぶら下がっていたキーホルダーには【304】という文字が刻まれている。
「……なに笑ってるの?」
 エレベーターに向かう通路を歩き始めれば、笑う自分を訝しげに見つめて少年が問う。
 言ったら怒るだろうな、という確信はあったがここで嘘をついたり、黙っていると彼が本当に不機嫌になる可能性があるので、コンラートは顔を少年の耳に寄せそっと笑ってしまった理由をくちにした。
「早くして、というのがまるで『俺が早く欲しい』と強請っているように聞こえてしまったものですから。つい、ね」
「……っば! ばっかじゃないのか、あんた!」
 言った途端、少年は急激首元まで赤くして声を荒げた。
「痛いですよ、ユーリ」
 ぎゅっと頬を抓られて、批難すれば「痛くやってるんだ!」と窘められる。そこでようやくここがホテル内であることを思い出したのか、ユーリは周りを見渡し、誰もいないことに安堵した表情を一瞬浮かべたあと、小声で「バカなこと言ってないでさっさと行くぞ!」と先を歩きだした。
『――いまや眞魔国はこの世界において最も治安が良く他の国の手本となる先進国になっている。けれどそれらの大半は地球を手本としているからこそだ。よりよい国作りを目指すためには僕や渋谷の目線だけではなく、この国で暮らしている者の視線からこの国に必要だと思う地球の技術を盗むべきだと思う』
 と言う猊下の提案で、この度コンラートはユーリと猊下に同伴して彼らの故郷である地球へと同伴することになった。
 自分が選ばれた理由は、以前アメリカに滞在経験があるからだ。見知らぬ土地でもしもの場合少しでも経験者であればどうにか対応ができるということを見越してのことだろう。滞在期間は約一カ月。こちらでのユーリと猊下の職業は学生。長期休暇の期間に同行したわけではないので、彼らと自分はほとんど別行動であった。
 彼らは学校へ。自分は現在地球の魔王であるボブと同伴して海外へ視察へと向かっていた。元より遊びにきたわけではないので、当たり前といえば当たり前なのだが、そうして一週間、二週間と日々は過ぎていき、滞在期間はあと三日となった。ようやく海外から日本へと戻ってきた昨夜、携帯電話が鳴った。
 なにかあったときのためにと手渡された携帯電話はおおよそ、ボブか猊下と連絡を取り合うことでしか使用されていなかった。なので、真夜中に鳴るそれもふたりのどちらかだろうと考えていたのだが。
 あのとき、携帯電話のディスプレイに表示された名前を目にしたときは本当に驚いたものだ。
『……ユーリ?』
『あ、あのさ! コンラッドにはなしがあって……』
 これが自分の仕事だからと言い聞かせながらも、ずっと恋しかったひとの声。よく恋愛物の小説では疲労困憊であっても恋人をひとたび目にすれば疲れなど吹き飛んでしまうというが、あれは本当であったのだと実感した。かおを見ずとも声だけで、すっと身体から疲労感が消えていくのだから。
 どうやらユーリは猊下から明日から自分は仕事がないと聞いたらしい。
『もしコンラッドが疲れてなかったら、明日おれと会わない?』
 やや気恥ずかしそうに尋ねた少年の声に自然と頬が緩んでしまう。もちろん、会うか会わないかその選択はとうに決まっていた。
 同性間の恋愛が認められていない日本で堂々と恋人らしいことなどはしなかったが、それでも好きなひとと一日を過ごせる。
 ――そうして、充実した一日を過ごしている途中のことだ。ここに訪れることになったのは。
 電話のときよりもずっと言いづらそうにユーリはくちを開閉させ、そっと耳を寄せて尋ねた。
『……あ、のさ。その、あそこ行かない?』
 日中は野球観戦。それから、すこし遅めの昼食をファストフード店で摂った。『デート』という単語ですらくちにするのを躊躇うユーリのこと。最初から一緒に出かけようと言ってそれに恋人らしい休日の過ごし方など考えていなかったと思っていたのに。
 ……まだまだ自分は観察力が足りないらしい。
 数時間前のことを回想しながらコンラートは自分よりも一まわり、二まわりは小さい背中を見つめながらコンラートは今度は声を立てないよう笑いながら後を追う。
「……なに」
 けれど、彼には背中に目があるのか咎めるような声でこちらを振り向くことなく再度尋ねた。
「いえ、なんでもありませんよ」
 自分がなにが言いたかったのかユーリにはわかっているのだろう。彼はそれ以上なにも言わず黙々と部屋へと向かうエレベーターに歩を進める。さらり、と左右に揺れる髪から覗く少年の耳は未だに真っ赤に染まっていた。
 彼がぶらりと街中で歩いていた途中で指差した場所、現在いる場所は、ラブホテル。
『今日はおれん家で飯を食うってことになってるだろ。親父もお袋もコンラッドのこと気にいってるからそのまま多分あんたが泊まることになると思う。もしおれの部屋で寝泊りできるとしても、それ以上はなにも出来ないし。かといってあんたのホテルに戻るまでの時間はないし……だから、その、』
 あんな大胆なことを言っておきながらいざ、こうしてホテルに来れば、羞恥からかわずかに乱暴な口調、挙動不審な行動をしてみせる。
 ああ、本当に可愛い。
 エレベーターのまえに到着して、ユーリが開閉ボタンを押す。エレベーターは最初から一階でとまっていたらしい。ボタンを押せばすぐに扉が開いた。
「……ただ、夕飯をごちそうになるのに、それまでに帰れるかが問題だなと思いまして」
 部屋がある三階のボタンを押せば、乗りあい客を待つ間もなく扉はしまっていく。その寸前、少年がぽつりと呟いた。
「そうだな」と。
 冗談のひとつとして、自分のセリフなど聞き流せばいいのに、真っ赤なかおをして小さく呟くのは卑怯だと思う。
「ユーリ、」
 コンラートは愛しい少年の頤を指で掬い、口唇を寄せる。彼は何か言いかけたが、そのこえもすべて飲み込む。
 大丈夫だろう。口唇が合わさる寸前で扉はしまったし、だれもいなかった。もし、夕食の時間に帰れなかったとしても今日は土曜日。彼は明日も休みだから。

END
 


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