■ たまには、優しくしてあげる。


 ……鬱陶しい。
 村田健はその言葉を飲みこんで、賑わうパーティ会場にそっと、飲みこんだ想いをため息にかえてゆっくりと吐きだした。
 そうして、吐き終わると水を飲みながら視線を隣にいる男に向け、眉根をわずかに顰める。
 隣にいるのは魔王の直属の臣下。コンラート卿ウェラー。魔族と人間のあいだに生れたということもあるのか、この世界では珍しく魔族、人間のどちらに価値観を置くということはせず、客観的に物事をみることができる。幼い頃は父親と世界中を旅してまわっていたのもあってか、知識も幅広い。若い頃はといえば『夜の帝王』というあだ名がつくほど遊びまわっていたらしいが、それがあってか、声をかけられても上手くかわすことができるし、似てない三兄弟といわれる兄弟のなかではいちばん人あたりがよく、立ちまわりもうまい――が、村田がすれば親しい臣下のなかでいちばん彼が鼻につく。
 この男が友人であり、魔王である渋谷有利の護衛だけなら、こんなにもウェラー卿という男を鬱陶しいとも苦手だとも思わなかっただろうし交流などしなかっただろう。けれどウェラー卿と渋谷は主従関係を越え、公では言えないが恋人であるから村田も大賢者という肩書きよりもさきに渋谷の友人として彼とは交流を持たざるえないのだ。
 なぜか、といえば渋谷がウェラー卿となにか問題があった場合に一番に相談に乗るのが自分だからである。
 一定の距離でウェラー卿と関わるのならば、彼はいいひとだ、とも思うも、それからすこし距離を詰めた関係でこの男と関わるとそれはもう面倒で鬱陶しいと村田は思う。
 渋谷のことをいちばんに考えることはいいが、考えるとどういうわけだか、ウェラー卿はとことんネガティブ思考になるらしい。
『自分なんて』とか『もっとふさわしいひとがユーリには似合う』などことあるごとに言いだすからやっかいなのだ。
 そのたび渋谷が『コンラッドがいい』と言うくだりをもう耳にタコができるほど見たし、聞いた。
 そうしていまもまたウェラー卿はネガティブ思考に陥っている。
 ウェラー卿はなにもいわないし、笑顔を口元に浮かべているが、見るひとがみれば寂しそうな目をして、すこし離れた場所でひとに囲まれた渋谷を見ていた。
 おそらくは『自分にはやはりユーリはもったいない』だと考えているにちがいなかった。
 何度『そうではない』と渋谷が言っても、ほかの者が諭しても変なところで頑固なウェラー卿は聞き入れないのだ。
 めんどくさい。と思うなら放っておけばいいのかもしれない。だが、そういうわけにもいかないのだ。
 ウェラー卿がいくら女々しい男だとしても、この男が好きだという悪趣味だとしかいいようのない渋谷にはだれよりもしあわせになって欲しいと自分が願っているからだ。
 渋谷をしあわせにできるならなんだってしてあげたい。そう思わずにはいられないほどに自分は渋谷にしあわせにしてもらっているし、感謝をしている。
 そのためにはとなりでウジウジくだらないことで憂鬱になっている男の背中を押してやる。
 村田はすっと今度は短く息を吸い、ウェラー卿の肩を小突いた。
「ねえ、渋谷をいますぐ呼んでよ」
 言うと、ウェラー卿は困ったように眉根をさげる。
「しかし、この距離とあの人ごみでは……」
 聞こえないということを濁して言う男にわずかにとがる口調で村田は「いいから、呼んで」と繰り返した。
「……たしかに僕が呼んでも気づかないだろうけど、ウェラー卿が呼べば渋谷は気づくさ」
 というか、自分の護衛ではないからとはいえ、地位でいえばこちらのほうが高いのだか言い訳などせず、さっさと呼べよと思ったが、もしかしたら彼も意識はしていなくても動揺しているのかもしれない。
 村田の意図が掴めず、困り顔をしたままの男に若干の苛立ちを感じながらも村田は話しを続けた。
「君は『カクテルパーティ効果』という言葉を知っているかい?」
「いえ……」
「心理学者が提唱したものだ。多くのひとが雑談しているなかでも、自分が興味のあるひとの会話や名前は自然と聞きとることができることを言うんだ。オーケストラの演奏と一緒さ。服装の楽器あそれぞれのメロディを奏でてていても特有の楽器のメロディを追うことができる。意識せずとも興味のあるひと――もっと簡単にいえば好きなひとの声なら簡単に聞き取れるよう人間はできているんだよ」
「そうなんですか……」
 未だに信じられないというような声色でウェラー卿が相槌を打つ。
「そうだよ。信じられないなら試してみなよ。『陛下』じゃなくて『ユーリ』って呼んであげて。もし、呼んで渋谷に反応がなければ、君に興味がなかったということだし、あればやはり君が好きだという証拠にもなる。……いい加減、僕も疲れたんだよ。君の女々しい思考にはさ。呼べばわかる。渋谷が君のことを本当はどう思っているのか」
 カクテルパーティー効果というのは本当にある。けれど、だれだって、話しに夢中になっていれば興味のあるひとの声を聞き取れないこともあるだろうけど。とは村田は思ったものの言わなかった。
 言わないのは、確信があるからだ。
「渋谷を呼んでくれ。ウェラー卿。これは『命令』だ」
 命令だといえばもうこの男に選択肢はない。自分は、渋谷のように『お願い』だなんて優しいことはしない。
 ウェラー卿は村田の『命令』という言葉を聞きわずかに目を見張ったあと何度か口を開閉させたのち、視線を渋谷のほうへと向けた。
「――ユーリ」
 渋谷を呼ぶ声は息を吸ったわりには大きいものではなく、思わず村田は『情けない男め』と悪態を口内で転がしながらもウェラー卿と同じく渋谷の様子を伺えば、となりで「あ」と一言、ウェラー卿が声をこぼした。
 たった一音ではあるが、それでもその音に喜びの色が混じっているのが感じ取れ、村田は肩を竦め「ほらね」と呆れながら相槌を打つ。
「僕の言ったとおりでしょ。君の声なら渋谷は振り向くんだよ。ウェラー卿、君もそろそろ渋谷に愛されていると自信を持ってくれ。堂々としていろとか惚気ろって言っているわけじゃない。ただその鬱陶しいほどネガティブ思考でいられると見ているこっちがうんざりする」
「……申し訳ありません」
「謝罪はもう聞きあきたよ。これからは態度で示してくれ」
 村田は言いこちらへと向かってくる渋谷を確認して巡回している兵に声をかけた。
「……さてと、僕はそろそろ失礼するよ」
 それじゃあね。とそっけなく手を振れば「あの、」とウェラー卿に声をかけられた。
「なに?」
「ありがとうございます」
「……どういたしまして」
 そう一言返して、村田は男から背を向け、会場をあとにし自室へと向かう途中、堪えきれずに吹き出した。巡回で声をかけ護衛にまわった兵が「どうかしましたか?」と村田に声をかけ、それに首を横に振る。
「なんでもないよ」
 最後に礼を述べた男の表情が頭から離れない。
 いつだって、上辺っつらな笑みを浮かべているウェラー卿。だが、最後にみせたあの顔は笑顔だが、自分の知っているつまらない笑顔ではなく、照れくさそうにはにかんだどこか幼い笑み。
「……彼、ああいう顔もするんだ」
「は?」
「ううん。気にしないで。ただね、」
 ウェラー卿コンラートと言う男は、鬱陶しくて面倒だと思うが、まあ、たまにはこうして渋谷のしあわせのついでにあの男もしあわせにしてやってもいいかな、と少しいままでの考えを改める。
「……今日はいいことをしたなって思ったんだよ」
「はあ……」
 意味がわからないと困惑する兵をよそに村田は言い、鼻歌を歌うのだった。


END

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