■ 5




「いやあ、よかったねえ! 仲直りできて!」
「……ソウデスネ」
 ニコニコと満面の笑みを浮かべる友人からやや目線をはずして有利はぎこちなく返事を返した。
 ――コイツ、謀りやがった。
 どうして店にコンラッドがあらわれたのか。そして立てた計画が潰れたのにさして動揺も見せずに村田とヨザックは自分を店に置いたまま帰ったのか。昨晩はコンラッドに見つかってしまったことで頭がいっぱいで思考が回らなかったが、いま村田が自分に向ける表情を見れば昨晩の疑問は尋ねなくとも解決へと導かれる。計画はコンラッドにバレないように遂行されていたのではなく、最初からあのように事が運ぶように計画がされていたのだ。
 乱れたシーツの一片を肢体に巻きつけた有利をニコニコからニヤニヤとした意地の悪い笑みに変化させてこちらの様子を窺う村田の表情からおそらく自分の考えに間違えはないだろう。昨晩の出来事を考えていることを村田も察したのか「渋谷が元気そうでなによりだよ」とくすくすと小突くような笑い声をたてながら有利のいるベッドの縁に村田は腰をかけた。
「ウェラー卿は?」
「……外で昼飯の買出しに出かけてる」
 有利が目を覚ましたのはつい三十分前ほど。
 昨日はあのままコンラッドと一夜を共にした。『何度だって』と宣言通りに彼はことあるごとに『かわいい』を口にして、言われるたびにからだじゅうに火がついたように熱くなったのを覚えている。昨夜のことを思い返すと恥ずかしさがこみ上げ無性に叫び声をあげたくなるのをどうにか抑える。ここで羞恥心から叫び声をあげようものならさらに村田に遊ばれる。
「そうなんだ。ま、僕はきみに用があってきたからウェラー卿がいなかったのは好都合だったかも。僕ね、渋谷に言い忘れていたことがあってここに来たんだよ」
「……なに?」
 もうコンラッドに悩みを打ち明けたというよりは爆発させて解決してしまったいま、なにを村田は言いにきたのだろう。
「あのさ、渋谷がかわいくない、なんてありえないでしょってこと言い忘れてたの」
「はぁ?」
「だから相手……ウェラー卿はさ渋谷よりもずっと年上の男。百歳以上も年上の男で、そしてきみは一国の国の主だ。恋愛対象としてかわいいって見てなかったらもともときみたちは付き合ったりしてないんだよ、絶対。それなり恋愛経験を積んでいるウェラー卿がただきみを王様としか見てなければ主に差し障りのことのないことしか言わない。きみが恋愛感情を向けてもそれをかわしてる。お世辞でもかわいいなんて最初から言ったりしなかったってこと。ってことはきみのことがウェラー卿は好きで好きで仕方ないってことで、かわいくないなんてそれは渋谷の考え過ぎってことを言い忘れてたなって思ってさ」
「……言うのおせえっつーの。てか、言わなかったのわざとだろ」 話を聞いて有利は脱力した。
 それを聞いていればあんなに悩むことなかったかもしれないとぼやけば「わざとかどうかは置いといて。言ったとしてもあのときの渋谷は僕の話に聞く耳を持たなかったと思うけど」と返されてしまうと口ごもってしまう。
「だってきみ、こうだって考え始めたら一直線じゃない」
「うー……」
 それもそうかもしれない。もしあのとき言われたとしても村田の言葉を素直に受け入れている自分が想像できなかった。でも言ってくれればもうすこし気持ちを整理できたかもしれないとも思う。
 まあ、いまさら嘆いたところでどうにもならないことだけれど。
「ま、もう渋谷の悩みは解決したみたいだからいいじゃない。僕はただ一応言っておこうと思っただけだから。渋谷のことは好きだし、心配だから相談には乗ってあげたいと思うけど、今後同じような痴話げんかには巻きこまれたくないからね」
「ち、痴話げんかって……っ」
 こっちはけっこう真剣に悩んでいたんだぞ!
 と村田の言い方に慌てて反論してみるが「痴話げんかだよ、痴話げんか。それ以外のなにものでもないから」と手をひらりと振ってあしらわれてしまう。「あのねえ……。いままでの現状を自分じゃなくて他人に置き換えて考えてみなよ。『彼氏が私のことかわいいっていわなくなっちゃったんだけど、それってどう思う? 私、かわいくないのかなあ、嫌われちゃったのかあ?』ってさ。渋谷ならそう悩む子を見てどう思うのさ。痴話じゃなければノロケ話をされているとしか思えなくない?」
「……」
 言われて有利はたしかに、とわずかに頬を赤らめる。
 不安に感じていたのは本当のことだが、第三者の立場に立って今回の件を思い返せば村田が言うように痴話げんかでしかない。
 ……恥ずかしい。恥ずかしいことこの上ない。
「このたびはたいへんご迷惑をオカケイタシマシタ……」
 いますぐどこか穴のなかに潜ってしまい衝動を抑えながら有利が謝罪を述べればエヘン! とわざと胸を張って「わかればよろしい」と村田が笑う。
「さて。僕の用事はこれで済んだし、そろそろおいとまするよ」
 言って村田が腰をあげる。
「あ……っ! おれもそろそろ血盟城に戻らないとやばいよな」
 今日の執務はたしか午後からだった気がする。起きたのがつい数十分前だったこともありすっかり忘れたいた。 でもコンラッドもスケジュールは把握しているし、それを見越しているとしたらそろそろ帰ってくるだろう。昼食も帰りながら食べられるものでも用意しているのかもしれない。彼が帰ってくるまでに支度を済ませておかなければと有利は慌ててくるまっていたシールから身を乗り出したが「ああ、渋谷は大丈夫だよ」と村田がそれを止めた。
「今日の執務は中止だってさ。フォンカーベルニコフ卿にまた彼らが捕まってね。魔力を消費しすぎてフォンヴォルテール卿もフォンクライスト卿も自室で寝込んでいて出てこれないそうだから」
「そ、そうなんだ……」
 アニシナさんの実験がよく失敗するのは知っているものの、けっこう強い魔力を持ったあのふたりを寝込ませるほどの実験とは一体なんだったのだろう。
「うん、だから大丈夫。それに行ったところで執務に集中できないでしょ、腰が痛くて。……こんなにキスマークつけられちゃって。渋谷、愛されてるねえ」
 まるでとある童話に出てくるネコのように、にゅっと口元をいやらしく歪めて村田が有利の鎖骨を指でさした。
「げ」
 指摘をされ、村田の視線を追って自分のからだを見ればいたるところに赤い痕が散っている。手を離したシーツをもう一度掴み、身に纏ってみたものの「もう隠しても遅いって。ずっと鎖骨についてたキスマークは見えてたし」と村田は事もなげに言う。それこそはやくいってくれればいいのに! と言おうとしたが、これもまた自分の失態なのだ。悪態ももう底をついてしまった。
 そうして有利が村田に弄られているとドアをノックされる。
「あ、ウェラー卿が帰ってきたようだね。じゃ、僕は行くよ」
 村田は言ってドアへと向かうとやはりそこにはコンラッドがいて、そのうしろには村田と同行していたのであろうヨザックがこちらに向かって手を振っている。
「やぁん、坊ちゃんたら色っぽい格好しちゃって! そんな格好でいると今日一日中ベッドから出てこられなくなっちゃいますよ。隊長、坊ちゃんが思っているよりもずっと肉食系だから」
 肉食系……たぶん、村田がヨザックに教えたんだろうな。
 コンラッドはからからヨザックを無視し、村田に会釈をするとドアを閉め、両手いっぱいに持った買い物袋を有利のいるベッドへと降ろした。
「遅くなってしまい申し訳ありません。買い物の途中、ヨザックに会いまして。いろいろと話しこんでいたら遅くなってしまいました」
「いいよ。おれも村田と話してたし。っていうかこんなにいっぱいなにを買ってきたんだ?」
 夕飯にしては量が多い。それに昼飯とは言ってもさきほど起きたばかりだ。コンラッドは出かけるときも『消化にいいものを買ってきますね』と言っていたからこんなに買いこんでくる必要はないはず。
「あのちょっとユーリ、」
 不思議に思い有利はなにか言いかけたコンラッドに返事を返すよりはやく袋に手をのばし――手にとったものを見てかたまった。
「……コンラッドさん?」
「あの、そのですね。言っておきますが、俺が購入したのは昼飯だけで……いまユーリが手にもつそれはヨザックが買ったものでして」
「へえ……」
 ヨザックが購入したものとはいえ、なんであんたがそれを持ってるんだよ!
 有利は手にしたモノとコンラッドの顔を交互に見る。
「じゃあ、なんでヨザックが買ったものがこの袋に入ってんの?」
「プレゼントしてやる、と押しつけられたんですよ。いや俺も気持ちだけで充分だと言ったんですけど」
「うそつけ」
 ヨザックがプレゼントしたというのが事実だとしても、普段の彼ならこのようなものを受け取るはずがない。
 じとり、と有利はコンラッドをねめつけてから手に取ったそれを自分の頭に装着してわざと小首をかしげてみせた。
「コンラッド、どう? かわいい?」
 まさか自分がこんなことを言うとはましてや装着してくれるとは思っていなかったのだろう。うやうやしく尋ねればコンラッドの片眉がぴくり、とつり上がった。
 その動揺っぷりがおもしろくて有利の言動と行動はさらにエスカレートしていく。
「……めえ?」
 たしかこっちの世界ではネコの鳴き声はこんなような感じだった気がする。
「めえめえ」
 さながら四足歩行の動物のように有利は四つん這いの体勢でそろそろとコンラッドとの距離を詰めていく。
「ユーリ……」
 困ったようにため息を吐き、わずかにこちらに向ける彼の表情が顰められる。でも、もうそんな表情を見ても胸が痛くなったりはしない。
「ね、これ似合わない?」
 言うとコンラッドは有利の頭につけたモノ――猫耳のついたカチューシャの耳に手を伸ばしてゆるく首を振る。
「……本当にあなたはどこまで俺を翻弄すれば気が済むんですか。ヨザックが言っていたことに同意するのは不服ですが、そんな風に俺を煽るとベッドから起き上がれなくなくなりますよ」
 それともそれを望んでいるの? と、作りものであるネコ耳から手を滑らせて顎をつっと、持ちあげる。
「望んでないっつーの。と、いうかあんた昨日散々おれに変態的行為をしてまだ体力あるのかよ」
 まったく、翻弄されているのはこちらのほうだ。久々に聞けた『かわいい』にたかが外れてコンラッドに『スカートの裾を持ち上げてみせて』と言われるがままそれをしてみせたり、恥ずかしいと思いながらも実行していた自分が恐ろしい。
 ……まあ、でも。
「したいならしてやってもいいぜ?」
 うえから目線で有利は返答する。
 たまにはこんな風に誘ったり、ねだったりしてもバチはあたらないだろう。
「……念のため言っておくけど、コンラッドだからおれはこんなことができるんだからな」
 わかってほしい。コンラッドの一言で一喜一憂してしまうこと。望むのなら、できるかぎりで応えてあげたいと思う自分のことを。
 そんな想いをこめて有利はコンラッドの額にやわらかく口唇を押しつければ「わかっていますよ」とコンラッドは言い、同じように彼も有利の額にキスをした。
 昼間ッからすごく桃色な雰囲気で、お互いしか見えないこの状況をまたあとになって恥ずかしいことをしたな、と頭を抱えるような気がしたが、いまはこの男に甘えたい。
「なあ、おれかわいい?」
 再度有利が問えば目の前の男は先ほどよりも目を細めてぎゅっと抱きしめ、耳元で囁いた。
「すごくかわいいです」
 と、低く甘ったるい声で。

END

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