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 もうあんな風に顔を顰めるコンラッドは見たくない。
 たとえ『かわいい』と言われなくたってコンラッドは以前と変わらずキスも抱き合うこともしてくれる。愛情表現のカテゴリーのなかから『かわいい』がなくなってしまっただけだ。もう『かわいい』から自分は逸脱しまっただけの話。
 有利はあの日から何度も自分に言い聞かせる。
 ……女装だって本来好きじゃないんだし、もうする必要はない。
 コンラッドの態度は変わらないのだから気にすることではないのだ。
 と、言い聞かせるたび胸のなかでざわつくそれを落ち着かせてみるのだが、何度言い聞かせたところで頭のなかにはあの日の彼の表情が目に浮かぶ。
 有利は極力、無意識であった以前の行動でも『かわいい』と言われていた言動や仕草を避けるようにしている。こうしていれば『前はこいう仕草や行動をしてたときにはかわいい、と言ってくれたのに』と気にすることで傷つく回数も減るからだ。
 あの日からツェリ様に黒いドレスを着せられた日から誓ったのに――どうして再びこのような事態になってしまったのだろう。
 有利はベッドの縁に座り俯きながらぎゅっとスカートを握りしめる。顔はあげられなかった。
 いや、顔をあげたくない。自分の向いで椅子に腰をかけた男、コンラッドの顔を見るのが怖くて。
「……」
「……」
 沈黙が耳に痛い。

 ――ことの発端は、言わずもがなあの日のことが原因だった。
 あの日から数日が経ち、いつもと変わらず執務室で書類整理をしていた日のこと。その日はコンラッドは新兵の剣の指南で護衛を離れ、本来なら彼のかわりにヴォルフラムが護衛につくはずなのだが、ヴォルフラムは城下町で巡回している兵からの急な要請で護衛を抜けてしまったのだ。とはいえ、さして執務に支障なく書類整理も一段落して休憩に……となるところで執務室に駆け込んできたダガスコスからの伝言『アニシナ様がギュンター閣下とグウェンダル、おふたりを呼んでいます。至急、研究室へ……』とダガスコスが伝言を言い終えるまえにギュンターとグウェンダルは風のように執務室から姿を消したふたりと入れちがいに村田があらわれたのだ。村田は遊びにきたらしい。それからすぐに毒女の研究室あたりから野太い聞きなれた男の声がし、今日の執務はもうないだろうと有利は村田と執務室でお茶会をすることにした。
 はじめのうちは村田と他愛のない話をしていた。学校のことや、眞王廟での出来事(出来事というよりかは、ほぼ眞王への悪口)だったのに、どんどん話題はかわり行きついた話題は『さいきん渋谷、元気がないね』だった。
『なにかあった?』
『うー……ん。まあ、ね』
 言う気などさらさらなかった。だれかに相談したいとも思っていなかったものの、胸にわだかまっていた感情が、ため息とともに無意識にこぼれおちてしまった。
『おれってやっぱり平凡っていうか、かわいくないよなあって思って……』
 言動もそうだが、女装を言われるがまましてきたけど、そのたびみんなが『かわいい』と自分に向けたあれらの褒め言葉は建前だったことにいまさら気がついた、と村田に告げる。
『べつに男なんだからかわいくないのは当たり前なんだけど、みんなきっとおれが王様だから似合わないって思っていてもあんなことを言ってたんじゃないかなって。……女装とかみんなには目に毒だったんだなあってちょっと反省して、へこんでたっていうか』
 裸の王様と一緒だ。物語のように仕立屋にそそのかされて、傲慢な態度をしてはいなかったが、自分はみんなの言葉を鵜呑みにしてみっともない姿をいままで晒していたのだ。
 言うと、村田は納得できかねない、というような表情を浮かべ『たしかにひとは嘘を吐く生き物だよ。でもさ、王様が民に向けられた言葉を信じられなくてどうするんだい?』と窘められた。
 村田の言うとおりだとは思う。けれど、向けられた言葉を全部疑っているわけではないのだと有利は『そうじゃない』と横に首を振る。
 しかしそれ以上なんと返していいのかわからず口ごもれば『あ!』と村田はなにかをひらめいたように声をあげた。
『なに?』
『なら、たしかめてみればいいじゃない』
 言って、村田が提案したのはグウェンダル直属部下である諜報員のグリエ・ヨザック。彼がときおり手伝いに行くという城下町のすみにある女装バーで、有利もアルバイトをしてみたらどうか、というものだった。
 ヨザックは言動も肉体も男らしくつい兄貴と呼びたくなってしまうひとなのだが、そんな彼の趣味は女装をすることだったりする。グウェンダルから絶大な信頼を受けているヨザックの仕事は多忙で、休みもすくない。積み重なったストレスを発散するためにヨザックは定期的にもと兵士である戦友が運営する女装バーで女装をし、ストレス解消をしているらしい。
『まえにヨザックが帰ってきたとき、その人手が足りなくて困ってるっていってたしさ、どう?』
『どうって言われても……おれ、似合わないし』
 また女装を、と考えるとコンラッドの顔が浮かんでしまい、また胸がざわついてしまう。
『あのね、ひとっていうのは残酷な生き物なの。自分の外見や性格は自分自身じゃなくて、相手が決める。だから似合うか似合わないかは女装バーで働いてたしかめてみればいいじゃない。変装すれば王様だってバレないんだからお客さんだって渋谷のことを素直にどう見えるか評価してくれるはずだよ。酒も入ってるからほんとうに正直なことをさ。そこでヘンだって言われたら、それを受け止めて今後女装しろとか、かわいいって言われたら拒否をするなり二度とかわいいって言うなって言えばいいんだから』
 村田の言うことにも一理ある。
『かわいい』と言ってくれるみんなはたしかに自分のことを王様だと知っているから言わざるおえない状況だったのかもしれない。ああいう場所なら正直に言ってくれるかも、と思うものの女装バーで働く気はさらさらなかった――のだが、ちょうどそのとき任務から戻りグウェンダルに報告に訪れたヨザックが執務室に顔を出したのだ。ヨザックも最初のうちこそコンラッドには秘密ということに村田の提案にごねていたものの村田がなにか耳打ちすると『まあ、それなら……』とヨザックは首を縦にふった。
 そうして、自分はまだやると承諾していなかったのにあれよあれよと話は進み、コンラッドにバレるとややこしいことになると働くのはコンラッドが僻地視察へ視察に向かう一週間の間の三日間と決まったのだ。 女装のなかでは不本意ながらいちばん着慣れているメイド服に焦げ茶色のカツラの格好で接客をさせてもらった。接客は夏休み、村田と海の家で接客をしていたことで慣れていたこととヨザックの友人が運営している店とあってガラの悪い客もいないので仕事には問題はなかったのだ――ここまでは。
 しかし、そこで予想外のことが起きた。
 視察に向かい帰ってくるはずのないコンラッドが店にあらわれたのだ。
 絶対にこのような状況が起きないように日も選んでいたのに。なんでこうなってしまったのだろう。
 コンラッドは客のまえで怒るようなものはなかったものの、彼は不機嫌な顔を隠そうともせずヨザックに詰め寄り二言、三言なにかを告げると不機嫌なコンラッドに対し、バレたのにかかわらずヨザックは焦る様子もなく苦笑いを浮かべ、頷くと自分とともにメイド服を着用し接客をしていた村田に上着をかけ『バレちゃったらしかたないよね。渋谷、それじゃ、お先に。おつかれさま』と店から出て行ってしまった。
『あっ、村田!』
 縋るように村田へ伸ばした手はコンラッドに捕らえられてしまった。
『手を伸ばす相手を間違っていますよ。あなたの相手は俺だ。あなたとお話があります』
 こちらの有無も聞かず、コンラッドは冷淡な口調で言うと、カウンターを一部始終を見ていた店長に声をかけ、鍵を受け取ると手首を掴んだまま二階へと連れて行かれ――現在にいたる。
 お互いに無言のままだんまりを決め込みどれくらい経っただろうか。肌や心臓をちくちくと撫ぜる緊張感に耐えきれなくなったのは有利だった。
「ご……ごめん、なさい」
 緊張からか、喉や口内が異常に乾き、こぼれた謝罪の声は自分が思うよりも小さくて掠れていた。けれどもコンラッドの耳には届いていたようで謝罪を聞くと長いため息をついた。
「……なぜ、俺に黙ってこのようなことを。理由をお聞かせ願いますか?」
 ふだんからコンラッドは敬語を使用する。しかしいまこうして自分に向けられる彼の口調はやけに丁寧でさらに胸がざわつく。
 似てない三兄弟はそれぞれの父親が異なることもあり外見はあまり似ている部分が少ないもののコンラッドとヴォルフラムのふとみせる笑顔がよく似ていて、内面はより兄弟だなと思う似ている部分がある。とくにグウェンダルが怒るときやけに口調が丁寧になる。コンラッドもそう。
 こうして、静かに怒りをあらわすコンラッドの姿は久しぶりみた。
「教えてください」
 静かに威圧感を持ったコンラッドの声音。
 ここで言い訳をすればさらに彼は怒るだろう。そして自分を幻滅するかもしれない。
 ……いま、コンラッドは黒いドレスを身にまとった自分を目にしたときのように顔を歪めているのだろうか。
 あの顔をもう一度見たいとも、コンラッドをこれ以上怒らせたいとも思わない。しかしここで働いていたか言ってしまえば、芋づる式にあの日のことを掘り返してしまいそうで「ごめんなさい」しか出てこなかった。

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