■ 乾杯
コンラートはそつの無い男だと思っていた。
ただ、人間と魔族の血が混ざる混血というそれだけで存在価値を否定するこの世界はなんて愚かなのだろうか。そう思っていてもそれらを口にすることはできない。もうみんなほんとうはわかっているのだ。魔族や人間。混血。血で相手を否定する意味などないことを。しかし、もう数千年とすりこまれたものにいまさら抗う意味もまたないだけなのだ。
ひとというのは、浅ましい生き物で自分よりも絶対的に低い地位の存在や不幸な者を求める。それらを見て『自分はコイツよりは不幸じゃない』と安堵したいだけなのだ。その優越感を浸るのには『混血』という存在はなくてはならない存在なのだろう。
ほんとうに馬鹿らしいことこの上ない。
ヨザックは自分のとなりで悠然と微笑む男の横顔を見るたびにそう思う。
微笑む男の名は、コンラート・ウェラーという。
王の息子であるという絶対的に優位な立場にいるものの彼はヨザックと同じ『混血』であり、民には愛されているものの貴族には相当に嫌われている。貴族の混血差別は一般人よりも数倍醜悪なものだ。
コンラートを目にしただけで表情を歪め、ヒソヒソと声は落とすものの確実に彼の耳には聞こえる音量で愚痴をこぼす。
しかしコンラートはそのたび表情を曇らせることもなければ怒ることもせず『なんでもない』というような顔をし、愚痴が己の耳に届いても聞こえないふりをする。
――なんてこの男はひどく愚かで優しいのだろう。
男の笑みを浮かべる横顔に何度そう思ったことか。
わかっているのだ。コンラートは。
反論などすれば同じ混血や家族に被害が及ぶことを。王の息子がひとたび声を荒げることなどすればそれはすぐに多くのひとの耳に入り混血への批難の声はさらにあがりコンラートの家族。とくに二十六代魔王に就任している母親、ツェツィーリエへの不満も増大する。
コンラートのせいではない。彼の罪ではない。
なのに、この男はまるで自分の存在を罰しているとでもいうように弱音ひとつ吐かずたったひとりで同種や家族に向けられる悪意を受け止める。
ひとの顔色をうかがい、嘘を吐く奴は嫌いだが、この男だけはどうしてもヨザックは嫌いになれなかった。『傷ついてるのにそんな顔で笑うな。態度をとるな』ともコンラートには言えなかった。言ったところで彼が聞く耳を持たないのは確かで。そして言ってまたこの男が傷つく姿も見たくなかったのだ。
愚かで優しい男の笑顔が綺麗になるたびに、まるで人形のようだなと感じる。
平然と浮かべる笑みの奥底でコンラートはひととしてあるべき感情。喜怒哀楽を少しずつ自分の手で殺し、消しているのだろう。
そうしてまで己には不必要だと感情を殺し、消し続けたさきに、残ったものは一体なにか。想像するとヨザックはとても恐ろしく、悲しかった。
しかしそう思うものの、自分がコンラートになにをしてやればいいのかもわからない。中途半端な行動は余計にこの男を苦しめるだけだ。そうして、感情のない笑顔を浮かべ、内側から壊れていく様子を見続けてもう何年が経っただろう。
――己の主であるグウェンダルへの報告を終え、ヨザックは任務に赴いたさきで美味いと評判のいい地酒を片手にコンラートの部屋を訪れた。猊下と陛下がいないときはこうしてふたりで飲み交わすのが日課になっている。
ドアをノックをし、声をかければ「鍵は開いている」と部屋に入るように促され、ヨザックはコンラートの部屋に足を踏み入れる。
ここ最近、互いに忙しくコンラートの部屋を訪れる機会はなかった。部屋の主はソファーに腰掛け読書をしている。
「もう夕方だ。そろそろ灯りをつけないと目が悪くなるぜ」
ヨザックが言うと「ああ」と生返事が返ってくる。
どうせ聞いちゃいないんだろう。
ヨザックはコンラートの対応に呆れたように肩をすくめ、灯りをつけてやろうと室内を見渡す。相変わらず、質素な部屋だ。この男の性格かもしれないが、それでも整理整頓がされているというよりは、必要最低限のものしか置いていない。まるで、コンラートの心のなかをのぞいているような気分になる。
部屋に点在するランプ、ひとつひとつに火を灯していく。そうして最後に窓辺近くにある棚にあるランプに足を向けて、わずかにヨザックは目を見張った。
棚の一部だけやけににぎやかにモノが置いてある。以前からこの簡素には似合わない黄色いアヒルとほかにその棚一角を占領している。野球に必要な道具であるグローブから、グウェンダルがコンラートの誕生日に贈ったヌイグルミ。それから様々な花のしおり。しおりの花には見覚えがあった。これは以前陛下がコンラートに感謝の気持ちにと贈った花束のもの。それだけではない。陛下と休暇で出かけた旅行先で購入したであろう土産が部屋の一番いい場所を占領していたのだ。
目の前の光景になにかヨザックは言おうとして、コンラートのほうを振り向くと、ヨザックが口を開くよりもさきにコンラートが本を閉じて、ぽつりと呟いた。
「……もう夕方か」
こちらを向くことなくコンラートは橙色に染まる景色を映す窓へと目をやる。コンラートのその表情を見て、ヨザックは動揺した。しかし、窓の外を目を向けている男はこちらの動揺に気がついていないのだろう。
「一日が終わるような気がするな、夕方は」
同意を求めるわけでもなくコンラートは言い、ヨザックは無性に目頭が燃えるように熱くなるのを感じる。それを指で鼻を押さえコンラートに気づかれないようどうにか堪えた。
「なんだよ、コンラート。感傷的になりやがって。……坊ちゃんがいなくて寂しいのか」
平然を装い冗談めかして言えば「そうかもな」とコンラートは照れることなく素直をに答えた。
「寂しいのかもしれない」
そっけなく返された返事。いたって面白みない返答。なのにヨザックは胸を締め付けられるよう痛く、そしてもう何年と感じていた肩の荷がいま、おりた気がした。
自分ではこの男を支えられない、助けてやれないとわかっていた。だからどうかこの男をだれかに救ってほしいと人形の如く笑みを浮かべるコンラートの横顔を見るたび思い、コンラートが刃を持って殺し続けている己の感情を『もういいんだ』と手を重ね、止めてほしいとずっと願っていた。
それはもしかしたら眞王の命を受け、コンラートが戦友であるスザナ・ジュリアの御霊を異世界へと運んだ次代魔王ではないかとヨザックは思っていた。無事、母体へと御霊を宿して生まれたと彼に聞かされたときの笑顔をヨザックは未だ鮮明に覚えている。無邪気に子どもみたいに微笑んだコンラート。その手には、黄色いアヒルがあった。こんな純粋な笑顔をこの男は浮かべることができたのだとあのときは安堵したものだ。
けれども、次代魔王が成長しこの世界に舞いおり王の姿を目にしたとき絶望した。勝手に期待をしておいて言うのもあれだが、知識もなければ技量もない顔立ちがいい少年としかヨザックには映らなかったのだ。にも関わらず、コンラートは『ユーリこそが王にふさわしい』と言うそれをヨザックは悪い女にひっかかったダメな男だとしか思えなかった。
主従関係なのだから片時も離れないのは理解していたがそれでもこの男の心、いままで受けてきた仕打ちも知らない子どもにコンラートのなにがわかる。勝手にコンラートの心に土足で踏み込むなと憎々しく思ったものだが、現魔王シブヤユーリをつき合うようになり、あのときコンラートが言っていたことは間違えではなかったのだといまから強くうなずける。たしかにユーリには知識も技量もない。しかし、ひととしていちばん大事なものをあの少年は兼ね備えいたのだ。 素直で、純粋にひとを向き合う心。
自分ではどうせコンラートを助けてやることはできないと言ったそれは間違えではないと思う。だが、それと同時にヨザック自身がコンラートに傷つけられることを恐れていたのだ。自らを傷つけてまでコンラートを助けたい。そこまでの気持ちを持っていなかった。
だが、ユーリはちがう。自分が傷つけられることなんて考えもしない。ただ相手のことを想い行動する。ありのままの相手を受け入れる。
ユーリがいなければ、きっとコンラートは夕日を見て「寂しい」などと人間らしい感情を吐露することはなかっただろう。ましてや、弱みを見せることをひどく嫌う男がだれかがいるのに無意識に呟いたりするなどありえないことだ。
もう、人形のような笑みを浮かべた横顔をみることはなくなるのだろう。
そう思うとヨザックはうれしくてどうしようもなかった。
「夕日を見て寂しいとか言ってんじゃねえよ。詩人でもあるまいし。ほら、土産だ。美味い酒を持ってきてやったんだ。ちょっとつき合えよ」
言ってヨザックは棚にあるグラスをふたつ。それからランプを手にローテーブルに移動させコンラートのとなりにどっかりと腰を落とした。
「食前酒にしてはかなりの上物だな」
酒瓶に貼られたラベルを目にしながら、関心したようにコンラートが言う。
「そりゃあな。結構値が張ったんだ。そんな酒を食前酒にする贅沢ができることありがたく思えよ」
ヨザックはなみなみとグラスに酒を注ぎ、コンラートに手渡せばグラスを受け取った男は不思議そうにヨザックに尋ねた。
「お前、なんだか機嫌がいいな。なにかあったのか?」
言われて、ヨザックはくつくつと笑いだす。
「ああ、すごく良いことがあったぜ。最高の気分だ。今日は良い酒が楽しめそうだ」
コンラートの問いに頷き、ヨザックはたっぷりと酒を注いだグラスを掲げゆっくりと傾く夕日を氷のようにグラスへと沈める。
「……坊ちゃんたちがチキュウに帰って一週間は経ったんだ。もうじきこっちに戻ってくるさ。戻ってきたら夜でもねえのに酒なんて飲めねえんだから、この贅沢を味わっておけよ」
「それもそうだな」
すこし笑ってコンラートは頷き、ヨザックはコンラートの持つグラスに己のグラスのふちをぶつけた。
「それじゃあ、乾杯」
カチン、と硬い音が小さく鳴りそれを合図にヨザックは酒を飲みくだす。脳裏にはまぶしくあたたかな太陽のような笑みを浮かべる少年の姿がある。
舌に触れ、喉を潤す酒はいままで飲んだ酒とは比べものにならないほどずっと美味しいものだった。
END
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