■ ゆめゆめお忘れなきように




 この世界に古くそれこそおとぎ話と同じように人々に言い伝え、すりこまれていた魔族と人間の関係。ふたつの種族は生まれてから死ぬまで永遠にあいまじえることがないと言われていたことは齢十六歳、ひとりの少年の登場によって大きく変化をしつつある。
 その少年は生まれる以前から、神と対等な位置に君臨している眞王の命により『魔王』に任命されていた。
 この世界とはもうひとつ次元越えた場所に『地球』という世界が存在していたのか聞いたことがあったが、戦友であるスザナ・ジュリアが生まれる少年の器になるまでコンラートは夢物語でしかないと思っていた。が、いびつなところなく美しい白の球体になった彼女の魂を小瓶につめ、その『地球』という異世界に飛ばされ、その大地で足を踏みしめたとき、やっと『地球』というもののを存在を実感したのだ。そこで第二十七代目となる魔王の母胎になるシブヤミコとシブヤショーリとの出会いがコンラートのすさんでいた心を癒してくれた。もちろん、このふたり以外にも地球で出会った人々、ホセ・ロドリゲスを筆頭としたひとたちにも影響を与えられたきたが、多大なる影響を与えたのはほかでもなくあのふたりだとコンラートは感じている。
 最初のうちは戦友であるスザナ・ジュリアとその婚約者であったアーダルベルトにたいしてひどい仕打ちをした眞王に憎しみを覚え、彼女の魂をこの手で壊してしまおうかとも考えたことがあったが、それをしなかったのは、心のどこかで二十七代魔王に期待もしていたからだろう。だれよりも気高く美しい彼女が自らの意志で王の器になろうと決意させたまだみぬ魔王に。
 そうして、無事己の手にあったちいさな小瓶のなかで漂うそれを母胎にあるシブヤミコに託したあとでは、いままで腹にすくう黒く濁ったさまざまな感情が知らぬ間にすこしずつ昇華していた。それまで後ろ向きであった自分が顔をあげて、前を向きふたたび歩みはじめることができたのは自分の腕のなかで泣きじゃくるちいさな、ちいさな赤子。二十七代魔王を目にしたときだ。
 本来あれば好きなように生きて無限の夢と未来を選べるはずであった赤子は、生まれ落ちた瞬間に『魔王』としてこの先を生きなければならない。それは、自分の人生など比べものにならないほどに過酷な道だろう。にも関わらず、あやすように子守歌を歌えば無垢な笑みを浮かべ、お礼なのか手に持っていた黄色いアヒルのおもちゃを自分にくれたのだ。
 未来を選べない赤子に同情をしたのかもしれない。しかし、それ以上にコンラートの腕のなかで笑みをみせ、ちいさな手がその見た目には想像もできないほどの強さで己の指を握り、生への強さを目の当たりにした瞬間。コンラートのなかで同情ではなく、名もわからない感情があふれてきたのだ。
 この子を――このひとを護りたい。このひとと歩んで生きたい。
 そう思ったのだ。いや、決意した。というのが正しいのかもしれない。
 ……思いでも決意でもどちらでもよいのだ。そう、ただひとつ言えることは――……。
「コンラート!」
 苛立ちを隠せない声音がコンラートの名を呼ぶ。
 いけない。
 あまりにも退屈で物思いに耽ってしまった。
「なんでしょうか?」
 客間のテーブルで不満そうに顔を歪めているフォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルにコンラートは尋ねた。
「なに、ではない! どうしてユーリ陛下はこちらにいらっしゃらないののだ!」
 拳を机上に叩きつけんばかりの勢いでシュトッフェルがコンラートを睨みつける。コンラートはそれを一瞥して、下女が用意してくれた紅茶にくちをつけ、一息つくと「そう言いましても、ユーリ陛下にもご予定があります。今日は隣国との会合でして、いろいろとお時間がかかるのでしょう」と、答えた。
「このことにつきましては、前もってお伝えしたと思いますが、お忘れでございますか?」
 問えば「忘れているわけではない! しかし、こちらとてユーリ陛下にはなしがあるから来ているのだぞ」とシュトッフェルが鼻を鳴らす。
 客間で待つように指示され、数十分ほどでシュトッフェルの忍耐力がしびれをきらしているようだ。面会にあたっての資料には、それらしいことが書かれていたが、本質を突き詰めればシュトッフェルの目的が如実にみえてくる。
 この男は、王に媚をうりたいだけなのだ。
 一度コンラートの母上であるシュピッツヴェーグ卿ツェツィーリエの兄にあたるシュトッフェルは彼女が代二十六代魔王で眞魔国を治めていたさいに摂政を務めていたことに味をしめているのかもしれない。自らの意思で国を動かし、だれしもが頭をたれてひれ伏していたあのときのことを。
 いまはコンラートの兄であるフォンヴォルテール卿グウェンダルがユーリの摂政として仕えているのもおそらく気にくわないのだろう。自分よりも年下が国を動かすことを不快に思っているというのは風のうわさできいたことがある。
 以前、魔王直々に摂政を断られているのにかかわずこうして足を運ぶ男の野心には関心と呆れさえ覚える。もちろん、今回の面会の件に関してもユーリもシュトッフェルの思惑を察しているが、面会を許可したのは、彼のやさしさであろう。それに気づきもしないシュトッフェルを目にするとため息をこぼしそうになるが、コンラートはそれを飲み込んだ。これ以上、この男の気分を害して、ユーリに怒りの矛先を向けられるのは避けたい。
 コンラートは「申し訳ありません」と心にもないことばを述べてシュトッフェルの気を紛らわせようと下女を呼び紅茶の頼もうかと席をたてば「……しかしわからないな」とふとシュトッフェルが呟いた。
「はい?」
「なぜ、貴様がここにいるのだ」
 いるのだと言われても、グウェンダルはユーリとともに会合に出席していてヴォルフラムはシュトッフェルを毛嫌いしているため、王佐とともに会合の護衛についている。ほかの兵にシュトッフェルの護衛につけてもよかったのだが、いらぬ詮索をされても困る。と、なれば自分が適任だと判断したからだ。
「……ほかの陛下の側近にも仕事がありますゆえ、俺があなたの護衛につきましたが、なにかご不満でもございますか」
 言うと「私の護衛にコンラートがついていることにも、もちろん不満があるが私が言ったのはそういうことではない」と肩をすくめた。
「なぜ、混血が貴様が陛下直属の護衛についているのかということだ」
 さきほどの物思いにふけたはなしの続きではないが、ユーリが魔王となってから、魔族と人間間の差別とそのあいだに生まれた忌み子と呼ばれる混血児にたいしてどちらの種族も互いにたいする意識は良い方向へと歩みつつある。お互いを受け入れ、差別することはなくなった。それは、カラスの色は黒ではなく白だというはなしとおなじくらいにありえないことだったのだ。しかし、いま現実にふたつの種族は共存しつつある。だが、それらがすべての者に理解してもらえているかと言えばそうではない。
 こうしていまでも混血を毛嫌いしている者はいる。
 いまさらシュトッフェルがいままでの考え方を変えることも期待してなどいない。また、自分が陛下直属の護衛と任命されてもこの男が自分をみる目は永遠にかわらないものだとわかっている。しかも、もう百年もまえからシュトッフェルには耳にたこができるほど聞いているのだ。いまのことばを聞いて、動揺などしない。
 コンラートは「さあ、どうしてでしょうか」と聞き流すように答えればそれがシュトッフェルの勘にさわったのだろう。男の眉根がつり上がる。が、その眉はすぐに下がるとかわり口角が上がり「ああ、そうか!」と勝手になにかを納得したように膝を手でたたいた。
「混血ゆえに貴様はユーリ陛下の護衛になれたのかもしれんな。陛下の望む世界はすべての者がみな平等にで差別を受けることのない世界をつくること。コンラート……貴様はいわば見せ物なのだろう。この世界でもっとも忌み嫌われる混血を直属の護衛におくことで、陛下のお考えを民にみせることができ同時にユーリ陛下自らが差別をしないことを民にみせつけることができるし、王としても株があがるというしくみなのだろう!」
 シュトッフェルはコンラートがくちを挟む間もなくはなしを続ける。
「貴様は混血で揃えたできそこないの団の隊長でもあるからな。それなりに腕も立つ。血統書付きの犬ではないが、馬鹿な子ほどかわいいということばがあるように、出来そこないの駄犬でも主人に尾を振る犬はさぞかし可愛がられるのだろうよ。しかし、所詮は駄犬。身代わりならいくらでもいる。むしろユーリ陛下もそれを望んでいるのかもしれんな。自分の身を庇い、死ぬ混血。その亡骸を腕に泣けばさらに陛下は民の心を奪う」
 コンラートはティーカップを置いて静かにシュトッフェルを見据える。反論のないことにシュトッフェルは気分を良くしたようにさらに饒舌に語り始めた。
「そう考えるとなんとユーリ陛下は賢いこと! 人間など我々よりも数倍はやく衰え、知識も半分以上おいつかないうちに死んでしまう使えない種族で、中途半端に魔族の血を分けあった混血などいわば奇手といってもいいほど愚かしいものだと思っていたが、このような使い道があったとはなあ」
 シュトッフェルは「可哀想に」と皮肉めいてコンラートをせせら嗤う。
「……言いたいことはそれだけですか?」
「なに?」
 コンラートは笑みを浮かべて、シュトッフェルが立ちあがるよりもさきにとなりへと近づくと逃げ場を閉ざした。
「あなたの仰るとおりです。俺は彼――ユーリ陛下の犬でございます」
 そう、シュトッフェルのことばに間違えはない。
 自分はユーリに尻尾を振る、忠実なる犬だ。彼に死ねと言われれば笑顔で死ぬことのできる犬。
「……俺は彼の犬。彼に誰よりも忠誠を誓う犬だ。あなたが言うように俺は駄犬ですので、彼に危害が及ぶと判断した場合、自分がなにをしでかすかわかりません。……例えば、いま。あなたの発言のなかにもユーリ陛下への侮辱が含まれておりました。これが彼の耳に届けばさぞ悲しむことでしょう」
 言って、コンラートは剣の絵に手をかけてみせる。
「コンラート、貴様っ!」
 瞬間、シュトッフェルが声をあらげたが、コンラートはそれをいさめるようにシュトッフェルの声に己の声を重ねた。
「例えば、のはなしですよ。例えばの。ここに陛下はいらっしゃらないし、彼の悲しむことをわざわざ言うつもりもございません。これは忠告です、シュピッツヴェーグ卿。……俺への侮辱は大いに結構ですが、陛下のお考えを捻じ曲げての考察、それから彼のことばを反するもの言いは慎んだほうがよろしいかと」
 コンラートがシュトッフェルに見せつけるようにわずかに鞘から剣の刃を覗かせた。シュトッフェルの額に汗が滲むのがありありと見える。
「……それからもう一度、繰り返しておきましょう。俺はユーリ陛下『だけ』の犬です。このことば……――ゆめゆめお忘れなきように」
 そうコンラートは淡々と述べながら剣を再び鞘へ戻すと一層、浮かべる笑みを深くしたのだった。




END


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