■ masquerade



 
 緩やかな音楽と上品な笑い声。有利は視界に映るものに思わず目を瞬かせた。
「……なんかおれすっごく場違いな感じだな」
「そんなことないですよ。仮面越しからでもあなたの魅力が多くのひとの目を惹いている」
 ちょっとくやしいな、と耳元で囁く男を有利はじろりと睨みつけた。ほんとうは悪態のひとつやふたつ、それか頭を小突いてしまいたいがそんなことをすれば、すぐに悪い意味で注目を浴びるだろう。そうでなくとも、なるべくひとに接したくないのに。
「そんな見え透いたお世辞なんていわなくていいから」
「本当のことですよ」
「仮面を被ったらそんなのわからないと思うけど」
 自分のとなりにいるコンラッドのように長身で漂う雰囲気に色気があればはなしは別だが着なれない貴族衣装に身を包んだ自分を見るひとがいるとすれば、大人ばかりが集まる世界にこどもがいることへの違和感からだと思う。と、有利は思ったがそれを言ったところで、この男には通じないのだろう。悪態のかわりにため息をついた。
「なにか料理を運んできましょうか?」
 有利の手に持ってる皿が空になっているのに気がつきコンラッドが尋ねる。
「んー、いいや。おなかいっぱい」
 談笑用のつまみとしては豪勢な料理がいたるところのテーブルに置かれている。が、なにを食べても味がしないのだ。気分で味覚も左右されるらしい。
 いまはまだ、王様業として有利が行っているのは執務室での書類整理や国同士の外交がメインだが、そのうちに前二十六代魔王であるコンラッドの母親、フォンシュビッツヴェーグ卿ツェツィーリエ。通称ツェリ様が担当してくれている貴族の間の友好、情報などを目的として夜会もそのうちにしなければならないということで今回は一体夜会というものがどのような場所か体験するべく護衛であるコンラッドとツェリ様主催の夜会に同行をしているのだが――居心地が悪くてしかたがない。
「……ツェリ様はすごいよなあ。主催っていうのもあるんだろうけど、振る舞い方がほんとうに大人で場を盛り上げてる、おれにはまだまだって感じだよ」
 遠くのほうにみるきらきらと輝く金髪を眺めながら有利はぼやく。気兼ねなく会話をしているようにみえるが、下心のある者をそれとなくかわして相手に不快感を持たせることなく互いの情報を交換しているのだろう。
「まあ、それでいうとコンラッドもだけどね」
「はじめのうちはみんなそうですよ。俺もこの場にどうやってとけこめばいいのかわかりませんでしたし。今日はとりあえず夜会の雰囲気をつかむことが目的ですから。――気晴らしに夜風にでもあたりにいきましょうか」
 言って、コンラッドは有利の手をとった。
 日本にある自室のベッドのシーツよりも何十倍も質のいいカーテンをめくり、窓をあければそこにはサアサアと流れる噴水の音がやわらかく鼓膜をふるわせ、香水とはちがう甘くやさしい花のかおりが鼻腔をかすめ無意識に強張っていた表情が緩む。
 空を見上げれば、無数の星が惜しげもなく輝いていた。
「ここはね、母上がつくった秘密の花園なんです。まだ俺がユーリくらいのころ、同行した夜会でつまらなそうな顔をしていると、ここにこっそり連れてきてくれました。ふたりであそこの噴水の縁に座って」
 なつかしそうにはなすコンラッドをみていると不思議なことにその時代のコンラッドとツェリ様が有利には見えたような気がした。
 コンラッドがすこしさきを歩き、有利は燕尾服を着こなす彼の背中を見つめながら花園のなかをゆっくりと歩く。
「なあ、コンラッド」
「なんです?」
「聞いたところによるとツェリ様主催の夜会は仮面舞踏会が多いって聞いたんだけど、なんで?」
「ああ、そうですね。ユーリ、仮面舞踏会の意味を知っていますか? 普段とは違う髪型や口調、それに目元を隠す派手なマスク……仮面舞踏会は自分の身分素性を隠してパーティを楽しむんです。まあ、何度も会えば顔見知りになるので仮面をつける意味などなくなってしまいますけど……それでも、普段の自分とは違う自分になれる」
「ふぅん? ……あ、」 
ホールにかかる曲がかわった。
 有利は振り返りカーテンの隙間から室内を覗く。ダンスタイムに入ったようだ。シフォンケーキのような服に身を包んだ女性たちがくるくると優雅に踊っている。
「ユーリ、ついでにダンスの練習もしましょうか」
 手をとられ、甲にコンラッドの口唇が触れた。なんだかいつもより彼の行動が大胆だ。誰かが見ているかもしれない場所で絶対、普段の彼はこんなことをしない。
 有利の思いを悟ったように、コンラッドが笑う。仮面からこちらを見つめる彼の目は無邪気なこどもを彷彿させた。
「言ったでしょう。仮面舞踏会はね、参加した時点ですべてのひとが対等な立場にいる。――実際に相手がどんな高貴なひとであっても、声をかけていいし、手を取ってダンスに誘ってもいい。口説いたっていいんですよ。いまだけは公の場で俺はあなたと対等な地位でいることを許される。咎める無粋なひとなどいない。……ひそやかにあなたと愛を深めるのもいいですけど、こうして公の場で堂々としてみたかった」
「……そういうの卑怯だぞ」
「卑怯?」
 自分よりもずっと大人でいつも飄々としている男がこんなことを言うのは卑怯だ。一定の心音を奏でていたのに、高く大きく鼓動がはねた。
「いや、なんでもない。で、おれはどっちのパートを踊ればいい?」
「どちらでも。あなたがお好きなように」
「じゃあ、女性パート。ちゃんとリードしてくれよ」
「おや、てっきり男性パートを希望するのかと思いました」
 コンラッドの右手がゆるく有利の左手をとり、ホールドをして左足からステップをはじめる。有利は右足からステップを踏む。
「あんたと踊るときは、こっちのほうがいいんだ。おれがこっちのパートを踊るのはあんた、コンラッドだけだよ」
 仮面を身につけているときだけは、いつもより素直になれるようだ。はずかしいことを口にしてもまったく羞恥心がない。
 ステップを踏むたびにコンラッドの髪がゆれ、ホールから洩れるひかりが彼の瞳にある銀の星を増やす。
「そんなに見つめられると、キスしたくなるな」
 吐息がかかるほどの距離に顔を詰められる。
「してもいいよ」
 有利は掠めるようなキスをした。驚いたように、コンラッドは一瞬目を見開いたあと啄ばむようなキスを返された。
「母上が仮面舞踏会を好むのはもし素性を知られてもこの場だけは気兼ねなく自由にだれとでもはなしができるからなんだそうです。仮面舞踏会で出会った殿方とのほうが素敵な恋ができるそうですよ」
「さすがは愛の狩人だね、ツェリ様。身分も関係なくひとをみるっておれはいいなって思う」と有利は笑い、コンラッドも「そうですね」とうなずいた。
 曲が終わり、次曲がはじまる。聞きなれた曲にふたりは口元に笑みを浮かべ、どちらともなくいわずにからだを密着させた。
 コンラッドとはじめて踊った、チークダンス。
 なつかしい。
 と、突然コンラッドがくすくす笑う。一体どうしたのだろう。
「どうしたの」
「いや、あなたとここでダンスを踊れるなんて夢のようだと思って。……母上とここではなしをしていたときに俺は愚痴を吐いたんです。『もう夜会になんて出たくない。素性をマスクで隠したところでいつもと変わらないし、ましてや踊れない』ってね。そしたら母上はなんとおっしゃったのかわかりますか?」
「ううん」と、有利は首を横に振るともう一度唇にコンラッドの口唇が触れる。
「『それはまだあなたがこどもで恋をしらないからよ。恋をして恋愛をしてそのひとと舞踏会にきて、この花園にきてごらんなさい。賑わった場所からひっそり抜けてふたりで踊るなんだかとても特別でしあわせな気持ちになるわよ。』と言いました。母上のことばを聞いておれはすこしだけ夜会が好きになりました。いつか愛するひととここでダンスと踊れりたいと思うようになったんです」
 それがいま叶った。いまなら母上がおっしゃっていた意味がわかる。とてもしあわせな気分だ。
 と、コンラッドはより一層からだを密着させてくる。
「これじゃチークダンス、ちゃんと踊れないぞ」
「チークダンスは揺れていればそれでいいんですよ」と適当なことをいう男に「そんなもんなの?」と聞き返せば「そんなもんです」と朗らかな笑みを見せた。
 そういうものなのだろうか。男の肩に顔をうずめながら目をつむり、しあわせを堪能する。コンラッドは夜会に参加するたびにきっとこの花園を見ていたのだろう。だれかとダンスをするのを想像しながら。……そのあたためていた夢を、自分と叶えてくれたことが、うれしい。
 とくに会話もせずに曲にあわせてからだを揺らす。ただそれだけなのに、とても心地がいいと有利は思った。
「あのさ、コンラッド」
「なんですか?」
「正直、夜会をいつかおれが主催したとことでこういうのはずっと慣れないだろうなって思ってたけど夜会をするたびにこうやってこっそりふたりだけではなしをしたりダンスを踊る時間がちょっとでもあったら夜会を好きになれそうなんだけど、どう思う? おれ、わがままかな」
 コンラッドは「いいえ」と答えた。
「それはいいですね。俺もユーリの意見に賛成です。毎回マスクと髪型、口調をかえてもあなたは俺を見つけられますか?」
 そのことばに有利は肩を揺らして笑った。
「そんなの当然だろ。おれはどんなあんたでも見つけて声かけてこう言うんだ。『おれと一曲踊りませんか』ってね」
「一曲どころではなくずっとひとりじめしたくなるな」
 何度目かのキスをする。さきほどのまでの啄ばむものではなく角度をかえて深く舌が絡むような深いキスに。
 マスクがぶつかってすこし、痛い。それでも、唇をはなすのが惜しくて有利はコンラッドの首に手をまわし、コンラッドは腰をひきよせた。
 ホールから流れる演奏よりも唾液が絡む水音のほうがずっと鼓膜を刺激した。そうしてやっと離れた唇。コンラッドの唇はまるでグロスみたいに輝いている。
「……そろそろ戻るか」
「――ねえ、」
 コンラッドの声音がワントーン低く耳元で注がれて、背筋がぞくぞくと震えた。
 忘れていたわけじゃない。
 いま、コンラッドは身分をマスクで隠して自分と同じ地位に立っている。
「いつかでいい。頭のすみでいいから覚えていてください。俺と結婚しましょう」
 王と臣下の立ち位置では言えなかったことをコンラッドは口にして、有利は足をとめた。いや正確には動けなかった。
 一気に現実に引き戻される。
 有利はコンラッドのマスクに手をかけて、やめた。
 かわりに男の頬を軽く叩いた。
 仮面舞踏会は、ひとときの夢をみせる。
 水分が視界を濁らせて、コンラッドがどんな顔をしているのかわからない。
「よかった。足止めしてすみませんでした。さあ、行きましょうか」
「待って……もうちょっとだけ、ここに」
 有利は男の裾を掴んで、こみ上げる涙を奥歯を噛んでくいとめた。
 今日はすこしだけ夜会が、仮面舞踏会が好きになって――やはり嫌いだと思った。
 見せる夢が甘すぎる。なにより泣いても目の前の男の胸で泣けない。
 コンラッドが有利の頭を撫でて、さびしそうに言う。
「ごめんね」
 彼が謝る理由などなにひとつないのに。


END


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