■ colorful



 おそらくこれが自分にとって初恋なのだろう。
 相手を想うだけで胸が高鳴り、視線があうと喜びと恐怖が胸で踊る。相手のなんでもない素振りが自分だけに与えられた特別なもののように感じ、それが錯覚だとわかっていても理性で抑えることができないのだ。
 ああ、いつか彼の特別な存在になりたいという願望が草のツルのように勝手に成長し、心臓や脳に張り巡らされていく。ふとした日常のなかでもし彼が恋人であったならなんて不毛な妄想が無意識に広がり、胸は相手の声を聞くだけで締め付けられる。甘い甘い起きながらにしてみる夢。
 そう。夢は夢だとわかっている。彼につり合うような人間ではないということはだれに言われなくとも一番自分が知っている。夢は自分にしかみることができない。だから自分は、夢のなかでゆっくりと確実に夢で見る彼を汚した。汚して、そして覚めたとき、やはりこんな自分では彼の特別になれないと実感する。確信する。
 彼にはだれよりもしあわせになってほしい。
 あかるい太陽のような笑顔、特別な顔。それが自分に向けられなくなる日がいつかくる。彼がしあわせになるということはそういうことだ。
 自分は傷つくであろう。でも、彼がしあわせであれば傷つくことなどどうでもよかった。
 ひとを愛するという気持ちを教えてくれただけで十分なのだから。
 
 ――と、思って、いた、のに。
「は、ぁ……っ」
 耳をくすぐる甘い声にからだじゅうがあつくなる。そっと気づかれないように目を開ければ黒く艶やかな睫毛が泣きそうにふるえ、眉尻がさがっている。
 すがりつくように腕を掴む彼の腰をひきよせて重なる互いの口唇をよりふかくすり合わせる。鼻呼吸をしているとはいえ奪いあうようなキスをしているためにだんだんと息苦しさを覚えながらゆっくりと寝台へ向かい、相手を白いシーツに敷く。
 そうしてやっと互いの口唇がはなれ、目を瞑っていた相手がぼんやりとこちらを見つめた。月夜でもわかる。鮮やかな黒い瞳に涙がたまり無数の光がきらきらと輝いてみえるのが。その眼尻にたまった涙の粒に口唇を寄せて吸う。
「コン、ラッド……」
 彼がくすぐったそうに身をよじった。
「キスがたいへんお上手になられましたね。――ユーリ」
 言うと、彼――ユーリは、ぱっと目をコンラートからそらし、悪態をつく。
「……だれかさんが熱心に教えてくれたからなっ」
「熱心に教えるのは当たり前でしょう?」
 コンラートがいうとユーリが「あんたってスケベ」と睨む。潤んだ瞳で睨まれてもただただかわいいだけなのに。
 もちろん、彼のいうとおりそういう性癖であるのかもしれないことは否定はしないが……ユーリはわかっていないのだ。自分がどれだけユーリにたいして想いを焦がしていたのかを。
 自分ではないだれかが、彼をしあわせにするのだと思っていたのだ。そのためならなんだって自分は受け入れた。ユーリの役にたつことができるのならと敵になることも、剣先を向けることもしたのだ。
 二度と眞魔国の地を踏み、ユーリのとなりにいることができなくなると覚悟をして。――しかし、どういうわけか、彼はたくさん自分に傷つけられたというのにユーリは再び自分を護衛に任命しただけではなく、好きだと言ってくれた。好き、がただの好意だけではないことはわかった。ユーリが自分と同じ気持ちであることを。夕焼けにそまった自室ですべてが橙色に染まるなかでユーリの頬がなによりも朱にちかい色をしていて自分をみつめていることが信じられなかった。そのとき夢が現実になった喜びよりも彼を自分がしあわせにできるのだろうかという不安と顔には出さないように心がけていたのにもしかしたらユーリに悟られていたのかもしれないという恐怖が胸で渦巻いた。自分が邪な目で感情でユーリをみていて伝染してしまったのではないかと……つまりは錯覚によってユーリは自分に恋愛感情を抱かせてしまったのかもしれない。
 良いことにたいしてネガティブな考えしかできないのは自分の悪い癖だ。
『……それは勘違いかもしれませんよ』
 コンラートはそのとき告白してくれたユーリにそう答えた。
『あなたがこの国の、世界の王になろうと決断したとき俺以外だれもユーリを助けなかった。もう数千年もまえから生まれながらにして刷り込まれた魔族と人間の違い。差別意識。相手を理解すること、ましてや魔族と人間が結婚し生まれた子供……混血はどちらからも愛されず忌み子として扱われるのがこの世界の常識でしたから。そのなかで俺だけがあなたの意見に賛同し、活動をはじめたからきっとそのような感情を抱いてしまったのでしょう』
『つまり、やさしくしてくれるのがあんただけだったから、おれはなにかの拍子にコンラッドの善意を自分にだけ与えられる好意だと勘違いしているっていいたいわけ?』
 そこまでユーリは早口にことばを並べたてると、一拍おいて「ばかにするなっ!」と、コンラートを一喝したのだった。
『おれをばかにすんなよ、コンラッド。たしかにあんたがいてくれたからおれは魔王としてここまで頑張ってこれた。でも頭に乗るなよ……一番最初はコンラッドだけが味方だったのかもしれないけどいまではみんながおれを支えてくれてるんだ。それがきっかけでコンラッドを特別にみてたわけじゃない。いまあんたの目の前にいるのは、渋谷有利だ。王様じゃない。だから、そんな遠回しの言い方するな。恋愛感情として好きじゃないなら……振ってくれ』
 感情が高揚しているのだろう。ユーリの声がふるえている。いまにも泣き出しそうだった。
「――ユーリの熱烈な告白と泣きそうな顔をみて俺は思ったんですよ。あなたのために身を引こうと思いましたが、ほかの腕でユーリが泣くことを想像したからだめでした。そんなの俺は許せない」
 あのときのことを回想しながら、コンラートはユーリの前髪をかきあげてちいさな額にキスを落とした。
「あんたって重いな」
「でもそんな俺のことを好きになってくれたんでしょう」
 言うと怒るのかと思ったのだが、ユーリは照れ臭そうに口端をあげて頷く。
「うん、そんなあんただから好きになった。おれが初めて好きになったひと」
 媚を売るような口調ではまったくなく、素直に自分の想いを口にしている。
 それがとても可愛らしくて、愛おしい。
 恋人になって、初めての体験をたくさんした。
「……そういえば、手を繋ぐのも緊張し手を絡めるとさきほどまでなにを離してしまうのかふたりして忘れてしまったり、はじめてキスをしたときにはユーリとてもかわいかった」
 いうと、ユーリは思い出したのか「そのはなし掘りかえすのやめてくれ」と視線をそらした。
 コンラートはユーリのとなりに寝そべると耳元に顔をよせる。はじめてキスをしたのは自室、夜だった。
 がちがちに固まったユーリの肩を抱き寄せてそっと触れあうだけのキスを思い出して笑う。
「思い出し笑いをするのはスケベの証拠だぞ」
「だって、あのときのユーリを思い出すとかわいくて。緊張しすぎて目をあけたままで暗がりでもわかりましたよ。あなたの顔が朱に染まったのが。……あのときを比べるといろいろと慣れてきましたね。俺も教えがいがあります」
 ひとつ、ひとつの互いのはじめてがだんだんとあたり前になっていくことがふえるたび、はじめてを共有するたび自分を受け入れてもらえるような気がしてどうしてだか、胸が切なくなる。
 コンラートはユーリの上着に手を差し込んで指の腹で、手のひらで熱を味わう。
「なんか、だんだんコンラッドの色に染まってくみたいだ」
 ユーリがこちらを向いて、微笑む。
 コンラートは「それはちがいますよ」と少年のつややかな髪に顔を埋めて一房、食んだ。味わうように。
「俺がユーリの色に染まっていくんです」
 いうと、ユーリはコンラートの鼻先にキスをして「いつか、同じ色になれるといいな」といって鼻先から降りてくるずっと焦がれていた唇をコンラートは貪るように、噛みついた。
 彼は、枯渇していた自分の世界に無償の愛と色をくれる。
 月に照らされた白いシーツの上で喘ぐ初恋のひとをコンラートは蹂躙しながら、望みのない恋を捨てきれなかった情けない自分とそんな自分を愛しても後悔をしないと言ってくれた少年に今日も心のなかで「ありがとう」と呟いた。

END


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