■ 眠るのはもう少しあとの話。




「眠るのが怖いんです」
 と、眞魔国の英雄またはルッテンベルクの獅子と称され、しかも百歳を超えた男はしと寝を共にするときにぼそり、と呟く。まるで「おやすみなさい」と同じような感覚で。そのとき、おれはどんな風に切り返すのが一番いいのかを考えて、頭を撫でることにする。「眠るのが怖いんです」という彼、コンラート・ウェラー(通称コンラッド)はこのときおそらく無意識に呟いているので(だって朝起きると「そんなこと言いましたっけ?」みたいな顔で「おはようございます」って言う。)おれが怒っても、悟してもあまり意味がないような気がするのだ。
 しかし何度も聞いていると、こちらも気になってしまう。
 今日は、コンラッドとセックスをした。明日は一日休みなので城下町に遊びに行く予定なので一度だけ。あとはふたりともシャワーを浴びてはだかのままベッドに寝そべってだらだらしていた。そうして、ゆったりとした時間を過ごして自然と瞼が閉じるころコンラッドが言った「眠るのが怖い」と。「おやすみなさい、素敵な夢を」と数秒前と口にしため息に混じってとてもちいさく。
 コンラッドはふたりで眠るとき、ぎゅっとおれを抱きしめる。とても大事そうに。身長差があるので引きよせられると、必然的におれの頭は彼の胸元に寄せられる。定期的な呼吸音とともに、とくとくと心音が聞こえた。
「……なあ、なんで眠るのがこわいの?」
 本音をあまり口にしないコンラッドが自分の質問に向きあってくれるとは思ってはいない。けれど、眠るにはまだすこし眠気が足りず、ただ好奇心が疼いただけのことだ。
「――明日、なにが起こるかわからなくなるからです」
 なので、コンラッドの返答にまったく期待なんてしていなかった。そらされてもいいと思っていたのに、彼は質問にわずかな間を置いてから正直に答え続けた。
「目を瞑っている間になにが起きるかわからないのも怖い。起きてなにかが起こりこんなにもしあわせな日々が一瞬にして崩れてしまうかもしれないと思うと、とても恐ろしい」
 大切なものができるということは、とても怖いことだ。と、コンラッドは言う。
 おれは思わず瞑っていた目を開けてコンラッドの顔を伺うように顔をうえへとそらしてみると、コンラッドと目が合った。
「笑うな、コンラッド」
 月夜の明かりに薄暗く顔が照らされる。コンラッドの瞳のなかにある銀の星が揺らいで見えたのは気のせいなのだろうか。薄く笑う彼の笑顔はいまにも声をあげてないてしまうのではと思うほど、悲しくてさびしくてそれを、必死に押し殺しているような顔で気がつくと頬に手を滑らせていた。
「泣きそうな顔で笑うな」
 そう答えた自分の声がすこし震えていた。たぶん、コンラッドの気持ちに共鳴してしまったのだ。コンラッドのことばの意味がわかって怖くなってしまったから。
 目を閉じて夢のなかに身を投じてしまえば、意識が保てない。そのとき突然なにが起きても身を守ることさえできなければ、大切なひとを守ることもできない。明日コンラッドから別れを言われることがあるかもしれないし、考えたくもないが――どちらかが死ぬことだってあるのだ。思うと「大丈夫だ」なんて気休めでも口にできなかった。しかし、恐怖と同時に生まれるもう一つの想いが自然に自分の顔に笑顔をもたらす。
「そんなうれしそうに笑わないで、ユーリ」
 コンラッドが怯える声音で、おれをさらに強く抱きしめる。
「だって、うれしいんだからしょうがないだろ」
 コンラッドが愛おしくてたまらない。おれは、彼の広い背中に手をまわす。こんなにも大きくてたくましいからだ。強い意志。英雄と言われるコンラッドの心をしめているのはおれ、渋谷有利なんだ。
「不安になるくらい愛されたんだって思うと恋人してすごくうれしいんだ。そうやって一生おれのことで頭いっぱいにしておけよ。おれは、与えられるぶんだけ返そうと思う性格してんの」
「俺が持つあなたへの想いは、かなり重いですが大丈夫ですか?」
 からかうようなそれでいて怯えるようにコンラッドが言う。
「もちろん。おれの一生をかけてあんたの愛にこたえてやる。だからそんな悲しいもしもを考えるな。もっと楽しいことを考えたほうがいいよ」
「楽しいこと、ですか?」
「そう。明日はふたりで城下町に行って食べて遊んで、それからおれはコンラッドの注意も聞かないで走りまわってはぐれちゃうの」
「はぐれちゃうのはちょっと……」
 言って、コンラッドは苦笑いを浮かべ、おれはそんな彼のことを無視してはなしを続ける。
「はぐれて、迷って気がつくと空が薄暗くなってそろそろ本格的にやばいなって焦って心細くなったところで……コンラッドがおれを見つけてくれるんだ。「ユーリ!」って声かけて「心配しました」って言っておれを抱きしめてそれからお説教タイム」
「すごいな。ユーリはなんでもお見通しだ。きっとあなたを見つけたら俺は同じことをするでしょう」
 くすくすとコンラッドが小さく笑う。抱きしめたままの状態で笑うからお互いのからだが共鳴したように震える。おれしか知らないコンラッドの笑い方それから体温。すべてがとても愛おしい。
「でもそれでは俺は楽しいけれど、楽しい以上にあなたが心配で仕方ないことになるよ?」
「わかってるさ。それにこれで一日が終わるわけじゃないだろ。いまのはなしは夕方まで。まだ一日は残ってる。グウェンに明日の予定を聞いて、ご飯食べてお風呂に入ってそれから――あんたとまたエッチするんだ」
 おれは恥ずかしげもなく言う。わずかにコンラッドの目が見開いた。それもそうだろう。いままでおれがエッチなんてさらりと言えたことなんてなかったんだ。でも、今日は、今日からはちょっと違う。
「エッチの最中は、あんたはとても意地悪でいやらしいことばばかり耳元で囁く。城下町での出来事をお仕置きだって言って、おれをいじめて焦らして泣いてすがるまでイカせてくれないの。で、おれはあんたに言うんだ」
 おれはからだを動かして、コンラッドの耳に唇を寄せると数十分まえの自分の声を思い描きながら「コンラッド、イカせて」と囁いた。コンラッドが息を飲んだ気配がする。
「……あなたのことをすこし勘違いしていたみたいだ。恥ずかしがり屋だと思っていたのに」
 苦々しい口調で言うコンラッドに、一瞬心臓がきゅっと締め付けられる。こういうのは好かないのかと不安になって彼の顔を見れば案の定、苦笑いではなく苦い顔をしていた。ぶつかった視線を逸らされて、より不安が煽られ、コンラッドのさきほどのことばが頭を巡る――が、続くことばにおれはすぐに笑顔を取り戻すことになる。
「どこでそんな煽るようなことばを覚えてきたんですか。やっと熱が引いてきたというのに、また抱きたくなるでしょう?」
 薄暗いあかりのなかでもわかる。コンラッドが照れていること。
「言ったろ? おれはちゃんとあんたの愛に答えたい。それならちっぽけなプライドなんて捨てられちゃうんだ。……このさきどんなことがあるのか、わからない。でもおれはコンラッドを愛して、信頼して、コンラッドがおれを愛して、信頼してくれたらきっと明日も明後日もそのさきも辛いことがあっても生きていける。だから眠るのは怖いことじゃない。起きてしあわせでたのしい一日を過ごすための、休憩時間だよ」
 コンラッドが愛おしそうにおれを見つめて微笑む。その瞳に輝く星は雲が晴れたようにきらきらと輝いていて、おれはとてもうれしくなる。
「それにさ、はぐれちゃうのが嫌だったらずっと手を握ってればいい。嫌な予想を変えちゃえばいいんだ」 コンラッドの前髪を梳いて額にキスをする。
「ほら、こわくなんてないだろ?」
 コンラッドは頷いて、おれの手を取ると指先にキスをした。
「ユーリ、愛しています」
「おれも」
「でもね、少々困ったことが」
 なに? と、尋ねようと口を開くと同時に視界が反転した。見えるのはコンラッドの顔というのは変わらないけどそのうしろにある景色だ。シーツではなくて、高い天井。
「すっかり、目が覚めちゃいまして。それに、熱が引かない」
 コンラッドがなにを求めているのかわかって、思わず声を立てて笑った。これじゃあ、明日城下町に遊びに出掛けられる気がしない。
 でも、それでもいい。
「じゃ、熱を下げなきゃいけないな。おれも目がさえちゃったし」
 コンラッドの首に手を回すと、ゆっくりと顔が近づいてくる。
 明日、城下町に出掛けられなくても、コンラッドが笑ってくれさえすればいい。それほどのまでにおれは男のことが好きだから。
 触れあう口唇は柔らかくて、とても心地がいい。
 眠るのはもうすこし、あと。

END


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