■ RABBIT


『コンラッドってほんと、大人だよな!』

 我が主であり大切な恋人である、少年はことあるごとにこのことばを口にする。ひとまわり以上に年が離れているのだから、少年、ユーリが言うのも無理もないことだと思う。自分はそのたびによくわからない笑みを浮かべることしかできない。しかし正直なところ、自分はそこまで大人ではない。胸のうちに秘めた感情はいつも幼いこどものように暴れ回っているのだから。
 けれどその感情のほとんどは一時の波を立てるだけが多く、次第にゆるゆると落ち着いていくもので、これはこれで大人なのだろうかともどうでもいいことを考えて終了する。
 しかし、ごくたまに抑えることが難しいときもある。たとえば、いまがまさにその状態だ。
 地球へと帰還したユーリがこちらの世界に戻ってくるまで二週間ほどあった。理由としては、学校であった抜き打ちテストでひどい点数を取ったことにより補習授業がありこちらに帰還する予定日より遅くなったそうだ。
 コンラートとしても、学業はおろそかにしてはいけないと思っているし、あちらでの生活もとても大切なものだとはわかっている。地球で過ごした時間が長いほど、話題のベースが地球のことばかりになるのも当たり前――なんて、理解をしているつもりでいるだけなのだ。
 昨晩、スタツアした彼に急を要する書類もはなしもなく今日一日は休み。日課である朝のロードワークも終わり汗を流すために魔王大浴場へと向かう途中。普段であればなんでもないことなのに、浴場に向かう長い廊下で自分にはなしをする少年がすこしだけ負の感情が胸へと渦巻く。
 自分の知らないひとの名前、日常、風景。 ユーリは、自分のことを一番理解してくれるひとだと言ってくれる。けれども彼の持つ知らない世界を知るたびにさびしくなってしまう。
 もう百年以上生きていて理解しているつもりなのに、欲してしまう。ひとはどんなに愛し合って理解し合って生きていても与えられた一日の時間が同じでも、個人は個人。すべてを共有できない。わかっているのに、理不尽だと感じている自分はなんと愚かなのだろう。
「コンラッド、どうかした?」
 ユーリは卑怯だ。口調は疑問形なのに声音はわずかに低く、コンラートの抱える暗い感情を知っているような尋ね方。「いえ、なんでもありません」と否定することを許さない雰囲気は卑怯だ。
 コンラートの口をわずかに開いたがすぐに閉じ、曖昧な微笑を浮かべる。はなしを逸らすことやうそをつくのは得意だが、この少年のまえではうまくいかない。
 芯の強い瞳。漆黒の瞳には曖昧に笑う男がひとり。
「コンラッド」
 さきほどよりもはっきりとした口調は、否定も逸らすことも許してはくれない。コンラートはすっと短く息を吸うと、抑揚のない声でことばを口にする。
「……食べられたいな」
「は?」
「いや、食べてしまいたいな。食的意味で」
 言うと、ユーリは顔を顰めた。
「げ、なになにコンラッド。あんたってカニバリズムなの?」
「……そんな性癖じゃないですよ。ただ、悔しくて。どうにもならないことを受け入れられないだけです。なんであなたとすべてが共有できないのかな、と。ならいっそからだの一部になってしまいたい、なんて思っていました」
 血肉となって細胞になりたい。自分の感情などなくなってただユーリの一部になりたいのです。その反対でもいい。
 と、コンラートが言うとユーリははにかむように口を歪めて顔を逸らした。
「ほんとあんたって考えることが重いよな」
「ええ、自分でもそう思います」
 だから、彼の言う『大人』ということばは自分には似合わない。
「……しかし、こんな愛情の重い俺をあなたは捨てることなんてできないでしょう?」
 だんだんと自分の感情が制御できなくなり、自傷発言を口走る。自傷することばはユーリがもっとも嫌いだとわかっているのに。
「あんたはバカだなあ。そんな卑怯なこと口にしてさ。そんなこと言うと本当に捨てちゃうからな」
 呆れ口調にユーリは言い、それから再びコンラートのほうを振り向いた。その表情は、どこか意地悪そうにみえる。
「あのさ、おれがなんで地球のはなしばっかりあんたに聞かせてると思ってんの? もちろん、楽しいことやぐちを言いたいからっていうのもあるけど、コンラッドが嫉妬してくれたらって思ってんだよ、おれは」
 予想もしなかった彼のことばに目を見開く。
「ま、コンラッドがこんなこというってことは嫉妬してくれたってことだからさっきの捨てる発言には目をつぶってやるよ」
 おれは、手に入れたものはとっても大事にする男なんだ。
 ユーリは、男前な台詞を口にして、コンラートの頬に触れる。ユーリのほうが背が低いため上目づかいになるのはあたり前だが、彼のすこし意地の悪い笑みをみるとそれすらもいままで計算だったのだろうかと思う。
 まあ、それでもいいと思ってしまうのはやはりどうしようもなく彼を自分が愛しているからなのだろう。
 一体自分はこの少年のどこに惹かれたのだろう。考えるととめどなくて、それでいてとても些細なものだったように思える。それはおそらく、考える必要がないほど最初から恋ではなくて愛していたからかもしれない。
「コンラッドってうさぎみたいだ」
「うさぎ、ですか……?」
「そう、うさぎ」言って頬にあてた手を滑らせる。「うさぎは、さびしがり屋だからひとりだとさびしくてさびしくて死んじゃうんだ」
 すこし甘さを含んだ声音に甘えるようにコンラートは、ユーリの手を唇に寄せる。ふっくらとしていてあたたかい。
「そうかもしれませんね。俺は怖いんですよ」
「怖い?」
 ユーリは小首を傾げた。
「あなたが俺のことを大人だと言ってくれるたびに、自分はそんなに大人でもないと思うし、あなたと生きた時間の距離を感じる。埋められない時間。いまこうしてユーリと恋人になってきっとだれよりもあなたの時間を手にしている。同じときを過ごし、同じものを見てもすべてがまったく同じものではない。それだけでも、悔しいのに俺の知らないユーリが存在しているなんて、正直考えたくもないんですよ」
 なんて強欲なのだろう。どんなに愚痴を本人に伝えてもこればかりはどうにもならないのに。
「ああ、だからおれを食べるか食べられたいなんて言ったのか」
「ええ」
 捨てることはないにしても、幻滅はしただろうか。いまさら後悔する。でも一度口にしたものが戻るわけでもない。ただ、後悔するしか自分にはない。自分にできることは自己嫌悪に陥ることと、犬のように彼に甘えることだけ。審判の答えを億秒に待つ。その答えはちいさな笑いとともに下された。
「あんたって、どうしようもなくかわいいんだな」
 唇に押し当てていた手が離れて、コンラートの背中へと回る。ユーリの両方の腕で。
「……あなたは俺に甘すぎる」
「それぐらいじゃないと不安になるくせになに言ってるんだか」
 ユーリがとても優しい声で言う。
 背中をゆっくり撫でられるたびに呼吸とともに、胸で渦巻いていた黒い感情が穏やかになるのをコンラートは感じ、同時にこうして甘やかして欲しかったのだと実感する。
 ああ、本当に自分はうさぎなのかもしれない。とても寂しがり屋の面倒な、うさぎ。泣き方すら知らず、ただ静かに訴えることしか知らない。
「あんたには、おれの一生をやる。すべてをあげる。――おれの命も死体もなにもかも。あんたにあげるよ。コンラッドだけに、やる」
「ユーリ」
「でもなあ、コンラッド。全部一緒ってのはきっとつまらないことだよ。どこかが噛みあわないから毎日楽しいこともあって辛くて悲しいこともある。もし、あんたがおれの一部になったら、同じことしか共有できない。前を向くきっかけや恋をする相手はコンラッド、あんたじゃないんだ。そんなのおれは嫌だね」
 これまた、男前なことを言ってくれる。コンラートは、肩をわずかに震えせて喉奥で笑う。
「笑ってんじゃねえよ。あんたのほうが数倍恥ずかしいこと言ってるんだからな」
「いえ、あなたのことばがプロポーズに聞こえてしまって」
「ったく、いままであんたに言ったことばすべて前言撤回するぜ。あんたはどうしようもない大人だわ」
「ありがとうございます、うれしいです」
 ユーリの腰に腕を巻きつけてより一層距離をつめる。汗のにおいが鼻を掠めた。汗のにおいを嗅ぎながらコンラートはまたどうしようもないことを思う。この光景をだれが見てくれないかと。神様のような少年王を抱きしめている、ひとりの男を見て、嫉妬や悲しみを抱いてほしい。
 このひとは、だれにもやるものか。
 何百回目かの、想いを口のなかに転がす。
「うれしいとか、コンラッドってマゾだな」
 ユーリは声を立てて笑い、それからからだを離すと進行方向へとからだを向けた。
「なーんも解決してないけど、もう大丈夫だろ。ほら、お風呂行こうぜ」
「はい」
 頷いて、ユーリの数歩後ろを歩む。何気ないそぶりで窓の外を見てみるとそこにはだれもいなかった。気配もない。とても残念だ。
「あーなんか腹へってきた」
 柔軟をするように手を天井へと伸ばしてユーリが言う。
「今日の朝食はなんでしょうね」
 話題を広げるような答えを返すと、ユーリは手をのばしたままの状態で顔だけを後方へと逸らした。
「朝食まで待てない。いますぐ食べたい」
 とユーリは言い、一拍置いて紡いだことばにコンラートは笑ってしまった。
「いや、食べられたいかな――性的意味で」
 きらきらと光る漆黒の瞳。意味ありげに歪められた唇。わずかに低い声音。そこにはコンラートしか知らないユーリがいる。
「では僭越ながら、俺が頂いてもよろしいですか?」
 ユーリは答えない。ただ未だ意地悪そうな笑みを浮かべるだけ。コンラートはゆっくりとユーリに近づくと彼の耳に彼が待っているだろうことばを囁いた。
「もちろん、性的意味で」
 

END

たぶんこのあと寂しがり屋もどきのウサギ次男は男前陛下とお風呂でいちゃいちゃしてます。

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