■ 異なる鼓動のさきにあるのは



 コンラートの朝の日課は、魔王陛下であり恋仲であるユーリを起こすことから始まる。秋から冬に季節がゆっくりと移行してきているのか、廊下には冷えた空気が立ちこめていて、コンラートの頬を冷たく冷やす。
 もう少しすると、吐く息が白くなっていくのだろう。この時期になると長くあった日々がとても短いものに感じるから不思議だ。過ぎていく季節のなかで彼と一緒に過ごした記憶が頭のなかに巡っていく。そうして、数々の思い出に耽りながら歩けば、気付かぬうちに目的の場所、魔王陛下の自室前に到着していた。
「……陛下、失礼します」
 数回、控え目なノックをして返事を待つが普段と同様、部屋の主はまだ夢のなかのようだ。コンラートはもう一度「失礼します」と言うと静かにドアを開ける。
 寝台のほうにすぐさま目をやると、心地よさそうに寝息を立ててユーリが寝ていた。今日は毎日のように褥を共にしている弟のヴォルフラムは自室で寝ているようだ。寝台の横に設置してある窓のカーテンを開けて、部屋全体に日差しを入れるとコンラートはユーリの肩を揺する。
「……陛下、陛下。朝ですよ。お起きになってください」
「……っん」
 コンラートの呼びかけにユーリは小さく身じろぎをして眉根を顰めた。
 その表情に、もう少しだけ寝かせてあげたいという気持ちになるが彼が日課としている朝のロードワークがあるのだ。以前、可哀想だと思い朝食の時間を迎えるまでユーリを寝かせたときには、ロードワークができなかったことに不服そうに頬を膨らませて「今度はどんなにおれが気持ちよく寝ていても、起してほしい」と言われたことがある。それくらい、彼のなかではロードワークは大切な日課なのだろう。コンラートはもう一度、ユーリに揺すぶりをかけた。けれど、寒くなってきているためか、ユーリはなかなか目を覚まさない。
「さて、どうしたものか……」
 ユーリの仕草に思わず苦笑が漏れる。
 と、まじまじユーリの顔を見れば、会ったときよりもずいぶんと表情が大人っぽくなっているような気がする。それは内面からの成長もあるだろうが、まだユーリは魔族的成長ではなく、人間時間で成長しているからであろう。
 おもむろにコンラートは、ユーリの髪を梳いた。とくに特別手入れをしていないと言っていたが、指どおりのいい髪はさらさらとコンラートの指の間を抜けていく。その感触がとても心地がいい。そうして何度か髪を梳きながら声をかけているのだが、今日は起きる気配がない。
 そういえば、昨日は遅くまで執務室で書類を片付けていたから疲労しているのかもしれない。昨日のかいあって今日は一日休みをグウェンダルから許可がおりているし、今回はいま起こさなくても大丈夫だろうか。
「……陛下、いや、ユーリ」
 ユーリ、と名を呼ぶと意識は覚醒していないが、ユーリが反応をみせる。意識がなくとも『ユーリ』と呼ばれると反応する彼が可愛らしい。
「今日はもう少しおやすみになられますか?」
「ぅ、ん……」
 汚いやり方だとは思うが一応、彼の言質はとったのでこれで怒られることはないだろう。ぶすくれることはあるかもしれないが。ユーリが仰向けに寝がえりをうつ。小さく上下する胸にコンラートは耳を当てた。
 とくとく、と服越しに鼓動の音がする。彼がこの世で生きている証の音。
 コンラートは彼の心音を聴くのが好きだ。自分が護らなければいけない鼓動。たとえ、自分の命と引き換えしても惜しくはない。ありとあらゆる悪意から護らなければいけないたったひとつの命。
 けれども、どうしてもどんなことをしてもユーリを助けられないものが存在する。
 それを考えると目の前が真っ暗になっていく。自分がしていることが無意味な気がしてくるのだ。
 目を閉じてユーリの心音だけに集中する。
 この音は安心する。そしてこの音がとても怖い。
 矛盾だ。
「……こ、んらっど?」
「起きましたか、おはようございます。ユーリ」
「なにしてんの? ひとの胸で朝っぱらからっていうかいつもより起こすの遅いじゃん」
「あなたがもう少し遅く起こしてもいいっていいましたよ」
 コンラートが言うと彼は呆れたようにため息をついた。それから甘やかすようにユーリはさきほどのようにコンラートの髪に指を差し込んで梳く。まるで犬をあやすように。
「意識が覚醒してないおれに聞くのは汚いぞ、コンラッド。……ま、だけど今日はおれがちゃんと一日プライベートってわかって最初から名前で起してくれたことに免じて許してやるよ」
「……ありがとうございます」
 本当は名を呼ぶまえに何度か『陛下』と呼んだことは黙っておこう。わざわざ言って彼の機嫌を損ねるのはよくない。
 コンラートは甘えるように、ユーリの胸に頬を擦りつけた。
「一日オフだから、ロードワークは遅くたっていいけどさ。で、あんたはどうしてこんなことしてんの? 冗談でも朝からサカってますとか言ったらげんこつお見舞いするからな」
「ユーリのげんこつは痛いから嫌だなあ……」
 ユーリの言葉に思わず笑い声をこぼすと、彼は「お袋直伝だからな」と意地悪そうに口角をあげた。
「殴られたくなきゃ、朝っぱから辛気臭いをしないこと」
「起きたばかりなのに、そういうのわかっちゃうんですか」
「わかるよ。わかんないって思ってんの?」
 くあ、と猫のように欠伸をすると退屈そうに答えた。
 さもあたり前だと言うように答える彼の言葉が自分の心の隙間をじんわりと埋める。
 こんな素敵なひとが恋人だなんて、なんて自分は幸せものなのだろう。
「ねえ、ユーリ。俺はあなたが好きです」
「知ってる」
「愛してるんです」
「知ってる」
「だから、失いたくなくない」
「うん」
「だけど、あなたはいつか死んでしまうんですね」
「そうだね」
「……なんでこの世には寿命があるんですかね」
 毎日変わらないようにみえる世界。けれど生きている限り、日々は死は皆の隣にあって、時間もある。
 時間とは死神のようだ、とコンラートは思う。
 ひとを成長させる変わりに、ひとの生きる時間を奪っていく。この鼓膜を震わせる小さな心音は毎日死に近づいていくのだ。そう考えると恐ろしくなるのだ。彼の存在が。生きているということが。
 生きるということはいつか死ぬということだ。
 また、コンラートは魔族寿命でこの世を生きている。けれども、ユーリはどうなのだろう。半分魔族の血が混ざっているとはいえ、必ず魔族の寿命でこのさきを生きていくとは限らない。人間の寿命かもしれない。そうなれば、必ず彼は自分よりもさきに永遠の眠りにつくことになる。
 このさきのことなどだれにもわからない。
 でも、必ず死は平等にやってくるのだ。
「おれは頭もよくないし、神様でもないから寿命がこの世にあることなんてわかんないよ。考えても答えなんか見つからないし」
「……そうですね」
 コンラート自身もそれは、よく、わかっている。
 この世界に答えのあるものなど少ないのだ。答えなんて、ひとそれぞれが勝手に決め付けているだけで、愛や恋だって本当はどの感情がその答えにあてはまるのかもわからない。その単語ですら、合っているのかもわからないのに、生死の有無など彼がわかるはずもないのだ。
「コンラッド」
「はい」
「決まってるもんはしかたないんだよ。捻じ曲げたところで、どっかがバランスを崩しておかしくなるんだ。しかたない」
「しかた、ない、ですか……」
 そんな簡単な言葉で、この気持ちは抑えられないのに。ユーリの言葉は残酷だ。
「だって、考えたところでどうにもならないじゃん。でも、その代わりおれが生きてる時間はあんたにあげるよ。おれは最近守られることもちゃんと理解したから、コンラッドにおれを守る権利をあげる。全部あげる。これってすごいことなんだから、見えない未来を考えるよりも、いまある現実だけを考えたほうが得だと思うぞ」
 言ってユーリはコンラートの頭を手で包む。
 優しい彼の指先が朝の冷え込みでほんのり冷たい。頭を覆う指をコンラートは口元に運ぶと一本、一本に口づけを落とす。
「楽しいことも悲しいことも全部いつか終わりがあるから、大切なんだよ。そりゃいつかコンラッドが死ぬことを考えたらおれだって不安にある。だけど、考えたってどうしようもないんだ。死ぬことは悲しい。でも、終わりははじまりなんだっていつかだれかが言ってた」
「終わりは、はじまり……」
 コンラートが小さく呟くと「うん」とユーリは相槌を打って話を続ける。
「おれやコンラッドが死ぬことによって悲しい思いをするひとはきっといる。おれはおれが死んだことによって泣いてくれるような人生を謳歌したい。おれが死んだあと、おれの想いをだれかが受け継いでくれる。おれが死んだことによって、誰かの夢が形になるんだっておれは思うんだ」
 たった十六年しか、この世を生きているとは思えないような言葉をユーリは淡々と紡いでいく。自分の鼓膜を震わせる彼の想いと声に彼こそがこの世を統べる王だとコンラートは改めて実感する。
「でも、そんなの理想論だ。……おれはきっとあんたが死んだら生きていける自信はない。たぶん、コンラッドもそうなんだろう。だから、いま、こうして悩んでる」
「ええ、そうですね」
 そうだ。自分は彼がいなくなったあとも続く世界が怖いのだ。
 だから、こうして暗い未来を考える。そして、泣きたくなってしまう。自分はユーリの存在しない未来などいらないのだ。
 自分の想いをいつだって見透かしている彼にはわかっているのだろう。
「だから、あんたには特別な権利をあんたにやるよ。きっと、みんなおれに怒りを覚えるかもしれないけど、おれはあんたに選択権をあげる」
 ユーリは上半身を起して、コンラートの額の髪を掻きあげると、そこに柔らかなキスをする。
「もし、おれがさきに死んだら、あんたも死んでいい。でも、そのときはおれの息も心臓も完全に止まってからにしてくれ。おれは最後の最後まであんたの名前を呼ぶ。最後の最後まであんたの泣き顔を目に焼き付けてから死ぬつもりだから」
 その選択する権利をコンラッドだけにあげる。
 ユーリは目を細めて優しく微笑んだ。
 ああ、なんて優しいひとなのだろうとコンラートは目の奥が熱くなるのを感じながら「ありがとうございます」と喉奥が震えるようなか細い声で返答した。
 こんなことで涙腺が弱くなるなんて自分も歳をとったものだ、とコンラートは苦笑を洩らした。
「おれもコンラッドが死んだら同じことをする。おれたちは重いくらいの恋愛してるんだからこれぐらいが丁度いい。……怖くなっても安心して。おれの命はいつもコンラッドと一緒なんだ。鼓動の心音が異なる早さを鳴らしても、終わるときは一緒。最後まで一緒」
「ユーリは優しいんですね……」
「ただ愛情があんたと一緒で重いだけだよ」
 そう言ってユーリは声を立てて笑った。
「まあ、こんなくだらないこと話していても時間がもったいないからそろそろロードワーク行こう。そのあと、城下町に出掛けよう。買いたいものがあるんだ」
 ユーリは腕を上へと伸ばすとシーツから出て床にしっかり足をつけると運動着の閉まってあるクローゼットへと向かった。
 そのあとをコンラートはついていく。
「ユーリ」
「なに?」
「……長生きしてくださいね」
「もちろん、そのつもりだよ」
 ユーリが笑う。その笑顔にコンラートは今日も幸福だと感じる。
 やはり、死を考えれば恐ろしくなる。けれども、もし、今日どちらかが死ぬことになっても終わりが共にあるのならそれも悪くないとユーリの小さくて大きな背中を見つめながらコンラートは思った。
 異なる鼓動を奏でても、もう、恐れることはない。
「あ、コンラッド言い忘れてた」
「なんです」
「おはよう、コンラッド」
「おはようございます、ユーリ」
 そう、いまも未来も自分は彼と共にあるのだから。


END


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