■ 可愛い子猫と風邪ひきライオン

 迂闊だった。テレビのニュースでは今年の冬は昨年よりも空気が乾いていて、晴天は続くが風が多く風邪を引かないようにお気をつけくださいと、言うわりには薄着にみえう格好の天気予報の女性のことばをもっと意識するべきだったとコンラートは後悔する。
「こんらっど、だいじょぶ?」
 黒猫子猫のユーリが心配そうに何度目かの『だいじょぶ』を尋ね、コンラートは「大丈夫だよ」と答えた。けれど、マスクをして定期的にゴホゴホとしている自分のそのことばは子猫を安心させるほどの説得力はもっていないだろう。案の定、ユーリの眉尻は下がったままだ。
 年末になると仕事量も通常より格段に増えていく。本来であれば三日、四日ほど余裕のある締め切りが指定されるが、この時期には三、四日期限のある仕事なんてない。膨大な量の仕事をいかに減らすか、締め切りのほとんどが手渡された当日付けのものばかりだった。
 この会社で働くようになって数年も経っているのだから、会社の職場事情などとうに把握しているが、以前と違うのは家に子猫がいることだ。
 できるだけ、子猫との時間を仕事で割きたくはなくて、コンラートは職場でできる仕事は休憩時間を仕事にまわしたり、すこし余裕のあるものはユーリが寝静まったあとや早朝に起きてこなしていた。
 そうして、仕事納めまで仕事をこなしていたのだが、それまでの過労と睡眠不足等々。肩の荷をおとしたとたん、どっとそれらのツケがまわってきたように風邪を引いてしまった。
 仕事、最後の日。コンラートは定時に帰宅した。あのときはすこし喉が痛いなと思う程度だったのだが、ぴよぴよとした足取りで出迎えにきたユーリは怪訝そうな顔をみせていた。
『きょうははやくねたほうがいいよ』
 ユーリの心配そうな声に、コンラートは申し訳なくなると同時に愛おしさが胸でふくらんだのを覚えている。しゃがんで、手を広げると子猫は当たり前のようにコンラートの胸に顔をうずめて『あしたは、しごとやすめないの?』と言った。
『明日からはしばらくお仕事はおやすみだよ』と返すとユーリはほっとしたように息をはく。
 冬は太陽が沈むのがはやく、寂しい思いをさせていたのかと思ったが、いま思えばもう子猫は悟っていたのだと思う。コンラートの体調の変化に。
 その次の日――今日、体調の悪さは如実に現れていたのだから。
 室内の温度はいつも適温を保っている。朝起きても寒さを感じないくらいの。しかし、起きるとコンラートは悪寒と喉におがらっぽさを感じた。普段ならユーリよりもはやく起床するのだが、どうやら寝過ごしたらしい。
 目をさますと抱いていた子猫がいない。一瞬、いままで感じていた悪寒よりもずっと寒いモノが背筋を走ったが、リビングにいるようだった。テレビから流れるアニメとはなし声がした。
「……ユーリ?」
 けだるいからだを起こし子猫のいるリビングに向かうと、ユーリと見覚えのあるふたりがいた。
 ひとりはキッチンでなにやら料理を作っている同僚のグリエ・ヨザック。もうひとりはソファーに腰をかけユーリに手渡してある五教科のドリルを採点をしている、ヨザックの恋人であるムラタケン。
「おはよ、こんらっど」
 ムラタのとなりに座っていたユーリが立ち上がり、こちらに歩みよってくる。が、数歩歩いたとたん「だめだよ」とムラタに注意されて子猫の足がとまる。
「ウェラーさん、風邪ひいてるんだから近寄っちゃだめ」
 自分にはおそらくぜったいに向けられないやさしい声でムラタが子猫の足取りをとめる。
 素直にユーリが足をとめるとムラタはゆるやかに笑んだが、ユーリからこちらに視線を向けたときには笑みは消え失せ、かわりに不機嫌そうな顔と口調でコンラートにはなしかけてくる。
「あのさあ、子猫のためを思って仕事を頑張っても、やっととれた休みに体調を崩したらもともこもないと思うんですけど? このくそ寒いなか、しかも朝に呼び出されるなんてまったく……」
「呼び出し……? ユーリ、電話したの」
 尋ねるとユーリの肩がびくりとふるえた。
「あ、あのね。あさおきたらこんらっど、ぜえぜえしてたし、おてておでこにあてたらあつかったらから、ゆーりしんぱいでよざっくにおでんわしたの。そしたらむらたもきてくれたの。ごめんなさい。こんらっどもよざっくも、むらたにもめいわくかけてごめんなさい」
 しゅん、とユーリのあたまに生えた猫耳と顔をさがったが「迷惑だなんておもってないですよぉ、ユーリちゃん。謝らなくていいの。ユーリちゃんは悪くないんだから」キッチンにいるヨザックが明るい声音でユーリをあやす。
 コンロの火をとめて鍋からお茶碗によそり、トレーに人数分をのせるとこちらへとやってきた。
「できないことをひとにちゃんとお願いできるのはいい子な証拠です。だからユーリはわるくないよ」
 テーブルにだされたのは卵のオジヤだった。
「でもいいなあ。ケンちゃんだったらオレが風邪をひいても来てくれないですもん」
「きみはいつも騒がしいから、風邪をひいたらひとりでいたほうがいいんだよ」
 採点した手をとめ、ドリルとまとめながらムラタはヨザックの愚痴を聞き流していく。
 ヨザックの作ったオジヤを食べながら、いままでの流れをまとめるとはなしはこうだ。
 朝、ユーリが起きると息が荒く、コンラートが魘されているようだと思い、起こそうとからだを揺らしても起きる気配がなく、おもむろに額に手をあてると普段の体温より熱いことに気がつき、風邪をひいたのだわかり看病したほうがいいと思ったが自分ひとりではどうしたらいいのかわからない。ので、緊急連絡先におしえていたヨザックに電話をかけてどう対処すべきか尋ねようとしたらしい。このときには、ユーリひとりで看病しようと考えていたのだが、ヨザックが涙声になっているユーリを心配してコンラートの家にムラタと様子をみにきたのだという。
 幸い熱はあるかないかというほどの微熱ではあったが、普段なら人の気配を感じればコンラートはすぐさま目を覚ますので、かなりの疲労がたまっていたのだと思う。
 咳きはマスクをしなければいけないほどだか、からだはだるくて動けないほどではない。差し入れにもってきてくれたゼリーやプリン。風邪薬。それから電子レンジであたためればすぐにでも食べられる料理。
 それらを受け取ると、ヨザックとムラタは朝食を食べ終わると「お大事に」とすぐさま家をあとにした。

 ――そうして、いまにいたる。
 あれから数時間も経つと熱もすっかりさがり、体調もずいぶんとよくなった。しかしまだ、完全に治ったわけではない。
 今日は、年越しのために子猫といろいろと買いだしに出かけようと思っていたのに。年越しそばやおせちにおもち。それから年賀状。
 テレビで流れる番組もおおよそ、新年に向けての特番がおおく、コンラートはそのたびため息をつきそうになる。
 明日、風邪が治っても病みあがりのからだではいつぶりかえすのかわからない。
 もくもくとドリルの問題を解く子猫の傍らで、コンラートはノートパソコンを開き、おせち料理のレシピなどをブックマークをしていく。寝正月で貴重な休暇を過ごすことだけはさけたい。
 喉が痛い。ちくちくあるいはいがいがとしたものが取り除きたくて吐き出す。もちろん吸ってはいてもそれらはコンラートの喉から出ていくはずもなく、かわりにごほごほと咳きこむ音がこぼれおちていく。
 そのたびに子猫が手をとめ、ドリルから目をはなしこちらをみる。心配そうにゆらゆらとしっぽを揺らめかせてまた「だいじょぶ?」と言った。
「大丈夫だよ」も「大丈夫じゃないよ」もたぶんユーリの表情はかわらないだろう。
 コンラートは『だいじょぶ?』には答えず「明日、でかけようね」と言った。近場でのすこしの外出ならそう体調を崩すこともないだろう。
 と、ユーリがおもむろにコンラートのそばに寄ってきた。
「ユーリ?」
「ゆーりね。おでかけするのもすきだけど、こんらっどが元気になってくれるほうがいいの。ぎゅーってしたりいっしょにおふろはいったり、してるほうがね、すきなの。だから、」
 だから、そこで子猫のはなしが途切れたかと思うとマスク越しになにかが唇にふれた。
 ユーリの唇だとわかったのは、アップになった子猫の顔がはなれてからだ。
「だから、いたいのいたいのとんでけー!」
 いたいのいたいのとんでいけーはちょっと違う気がするけど、憂鬱な気持ちはたしかにふっとんでしまったように思える。
 ユーリにはたくさんのものを見て、触れて笑ってほしいとばかり考えてここのところ休日をとれば様々な場所に出向いていたけど、そんなことばかり考えて大切なことをわすれていた。
 どこに行くのかが大切ではなくて、だれと一緒にいるのかが大切だということを。
 けれど、一緒にいるだけでたのしいと思えるのは、自分だけだと思っていたから、子猫も同じ気持ちなのだと思うとそれだけでこうも暗い気持が払拭されてしまうなんて。
「……ほんとうに、ユーリには敵わないなあ」
「ん? なあに」
 コンラートのつぶやきを子猫は聞き取れなかったらしい。コンラートはユーリを抱きしめたい思いを必死でおさえて子猫のあたまに手を伸ばして撫でる。
「いや、はやく風邪をなおりますようにって言ったんだ」
 はやく、治して思う存分この愛しい子猫を抱きしめて、こんどはちゃんとマスク越しではないキスをしてほしい。
 黒猫子猫のユーリにはほんとうにかなわない。
 この一年で好きになった以上に来年はもっともっと自分はユーリのことが好きになるのだろう。
 やわらかく、艶のある黒髪に指をとおしながらコンラートは確信するのだった。
「ユーリ、だいすきだよ」


END


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