■ 可愛い子猫と夏の夜1

 今年も去年に負けず劣らずの猛暑。日中はほとんど社内で過ごしているのもあって、暑さにうなだれることはないが、冷房の効いた社内から退社するため一歩外へと踏み出せば熱風が冷えたからだを一気に温度をあげる。もうとっくに日は暮れているというのに。うっすらと額に滲む汗を拭うと後方から声をかけられた。
「よっ!」
「……ヨザ」
「今日もおつかれさん! っていうか、あからさまに嫌そうな顔すんなよ」
「そりゃそんな顔もしたくなるだろ……」
 大事な企画書のバックアップもこまめにとらないで適当にやっていたからパソコンがフリーズしてすべてが台無しになりそうになったのを自分の仕事を後回しに助けてやったのだから。
「……この貸しは高くつくからな。ちゃんと覚えておけよ」
 わざと声を低く言えば、ヨザックはひくりと肩をすくめて拝むように顔のまえで手をあわせた。
「わかってます、わかってますって! 必ずこの礼はするから!」
「そのことば忘れるなよ。……さて、お前に構っているひまはないんだ。俺は帰るぞ、じゃあな」
 あの子がひとり、部屋で自分の帰りを待っているのだ。ヨザックからの謝罪のことばも大切なものだが、それ以上に大切な存在が待っている。
 すぐに踵をかえすと慌てたようにヨザックは俺の肩を叩くと、鞄からなにかを取り出した。
「ちょっと待てくれよ。これ、アンタに渡したかったんだ、はい」
 手渡されたのは、線香花火の入った小ぶりの袋。
「昼飯買うんでコンビニ立ち寄ったら、商品のおまけで付いてきたんだよ。黒猫ちゃん手持ち花火とかやったことなさそうだし、線香花火喜ぶんじゃないかって思ってさ」
 それじゃ! オレもケンちゃんのところ寄っていくからおさきに! と、振り向きもせず早々と立ち去ってしまった。
「……線香花火、ね」
 ちいさいユーリには、手持ち花火よりも火の弱い線香花火のほうが危険がなくていいかもしれない。最近は忙しくて一緒に食べ物などの買い出しや外食もしていなかったからたまには夜に外へ出てみるのもいいかもしれない。
 かわいい黒猫子猫がはしゃぐ姿を想像すると、自然に顔に笑みが浮かぶ。子猫のことを思うと仕事の疲れも嫌な出来事も胸からすっと消えていく。
『こんらっど、おかえり!』
 とてとてと走って玄関まで迎えにくるユーリの姿が恋しくなって、おれは家路へ向かう歩くペースを速めた。


* * *


「――……ユーリ、ちょっと公園までお散歩しようか?」
 夕食(今夜は冷やし中華)を食べ終えて、お風呂も一緒に入って、ユーリのお勉強も終わったとき、子猫を散歩へと誘う。
「いまから? もうおそとまっくらだよ?」
「そういまから。ちょっとユーリにみせたいものがあってね。夜の散歩は暗いから怖いかな?」
 誘ってみてから、ふと子猫のことが心配になる。ユーリは、暗いところが苦手らしい。たぶん、ユーリと自分が出会ったあの日は、深夜近くだったこともありどこを見渡しても真っ暗だった。以前、ユーリが熱を出して寝込んだとき寝室の明かりを消したときはそのときのことがフラッシュバックしたようにとり乱していたから。
 目をまんまるにしてこちらをみつめる子猫に若干ヒヤリとしたが、小さく唾を飲み込んだとき、ユーリはうれしそうに笑顔をみせた。
「おさんぽいく! こんらっどといっしょならぜんぜんこわくないもん!」
 ぎゅっと抱きついて、長い尾を左右に揺らして様子からして子猫のことばにうそはないようだ。自分と一緒なら……そのことばがうれしくてたまらない。
「よかった! じゃあ、出掛ける準備したら行こうね」
「うん!」
 虫に刺されないように虫よけスプレーを子猫のからだにかけて、自分のジーンズのポケットにひっそりとライターとヨザックからもらった線香花火を入れる。
 べつにユーリに隠すことはことなのだろうけれど、子猫をびっくりさせてあげたいと幼いころにはあまり湧きあがることのなかったいたずら心がうずうずとするのだ。
 こんなこどもっぽいことを思っていることをヨザックが知れば「どっちがこどもなんだか」とあきれるような気がした。でもそんなこどもっぽい自分をおれはきらいじゃない。
「よし、準備もできたし行こうか」
「ん!」
 子猫を抱き上げて、玄関のドアを開ける。あの会社を出たときのような生ぬるい暑い風ではなく、涼しい柔らかい風が頬を撫でた。
「かぜ、すずしくてきもちがいいね!」
 と、心地良さそうに柔和に表情を和らげる子猫を頬にキスをする。
「そうだね」
 子猫が笑う。それだけで、愛しくてたまらないなんて自分がどれほど重症なのか。
 そんな自分がおかしくて、でもそんな自分も好きで、笑ってしまう。
「どうかしたの?」
 不思議そうに小首を傾げるユーリに俺は「なんでもないよ」と答えた。


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