■ 1

 とある夏の日。有利は恋人であるコンラッドとはじめてキスをした。キスといっても触れあうようなものではなく、もっと大人のキス。
 大人のキスはバニラアイスの味がした。
 初恋は甘酸っぱいカルピスの味、みたいなフレーズがふと脳裏に浮かんでしまい乙女思考モードになっている自分がものすごくはずかしい。
「あー……」
 有利はあの日のことを思い出して、頬が熱くなる。
 以降、時折コンラッドとはああいうキスをするようになった。当初よりは慣れてきたものの、羞恥心は抜けるわけではない。キスをしている最中はそのことに夢中になっているのでまだいいのだけれど、あとが問題なのだ。
 あわさって口唇それから絡んだ舌が離れると、ふたりのあいだに糸を伝い、快感からか酸欠からかわからないが、ぼやけた視界のさきでコンラッドが微笑んでいる……それがなによりはずかしい。
 でも抱え込む羞恥心とはうらはらに、つぎのステップのことを想像している。
 ――しかたないだろ。だってこれが初恋だし、ただいま青春真っ盛りだし。
 想像するたび、だれにいうわけでもなく有利は言い訳を繰り返す。……それに、胸でうずまく不満もどうにかして解消したいのだ。
 有利は己の胸に手を置き、再確認した。
 真っ平らな胸。それから肉づきのわるいからだ全体を。どこもかしこも健全な『男』というからだ、骨格をしている。いつかは、キスを過ぎてもっと深い関係――セックス、をコンラッドとするだろう。
「……大丈夫かな。こんなからだで」
 夜の帝王と異名をもつコンラッドは男女問わず好かれ告白されたと聞いている。ただその告白を承諾したのは、女性だけでいままで男性とは付き合ったことはないのだ。と、いうことはいわずもがなコンラッドも自分も同性とからだを重ねるというのははじめてだということ。
 性別とか関係なしに自分はコンラッドのことを好きになったのだ。いまさら考えても、気にしてもしかたのない。
 開き直りきれないまま有利はふと視界のはしに映った壁掛け時計がしめす時間に慌ててベッドから起き上がり出かける準備をはじめる。今日は、村田と草野球で使用する備品を買いだしに行く。いくつかののスポーツ用品店ではセールが行われると村田が下調べをしておいてくれている。
 遅刻をしたときの村田のお説教はこれまた長いのだ。自分がいけないということはわかるのだけど、できればお説教は避けたい。
 有利は手早く服を着替え、財布をポケットにねじこむと家をあとにした。



 ――そうして、すべての買出しを終えるころにはちょうどお昼を過ぎたころ。最後に寄ったスポーツ用品店は、繁華街のちかく。両腕は買ったものですごく重いし、腹も空いてきた。
 有利は、あたりを見渡す。飲食店は数多く並んでいるが、どこも昼どきとあってどこもひとであふれている。
「どこも混んでるね。ほんとうはもっとゆったりしたいからファミレスとかがいいけど、これじゃあそんなこと言ってられないし、いつものお店にはいろうよ」
 いつものお店というのは、某ハンバーガーショップのことだ。そこがいやだということではないが、テーブルの距離がどこも近いのだ。ふだんであれば気にならないが、すこし疲労感を感じているときにはいささかひとのこえが気になってしまう。
 まあ、背に腹はかえられない。
 有利は「そうだな」と頷き、手に握る重い荷物を握りかえすとふと村田の視線を感じる。
「チーズバーガーセット四百九十円。飲み物はコーラ。それから一息ついたらバニラシェイクSサイズ百円合計五百九十円っていうのは破格の安さだと思うんだよね」
「……なにそれ、村田の食べたいもの?」
 もともと村田はメニューで悩むタイプではないが、これを食べたいと公表するタイプでもない。もちろんいまから向かうハンバーガーショップは安いことでも知られているが、高校生にはそれでも懐が痛いとも思える値段なのに。
 一体どうしたのだろう?
 曖昧に小首を傾げると村田はにっこりと笑みを浮かべた。
「んーまあ、ほんとうはチキンナゲットとかもつけたいし、ポテトもLサイズにしたいしお持ちかえりにアップルパイもつけたいけど……それだと、渋谷がきついでしょ?」
「なんでおれがきついんだよ。おれには関係ないじゃん」
 言うとさきほどの有利がしたように村田は小首をかしげた。でもその小首の傾げかたや浮かべている笑みに有利の脳裏には『あざとい』ということばが瞬時に掠めた。
「……アノ、ムラタサン?」
 嫌な予感がし、おもわずこえが上擦ってしまう。それを村田も察したのかより不安を煽るよう猫なでこで「やだなあ」と言い、つぎに放たれた彼のセリフに有利はおもわずぐっと息を詰まらせた。
「夜の帝王ことウェラー卿と恋人居ない歴=年齢からつい最近卒業した渋谷有利くん。そんな渋谷くんは、いろいろと悩んでいるだろう。僕は友だち想いだからね。五百九十円で親身になって相談にのってあげしょう」
 なにで悩んでいるのか、村田はお見通しのようだ。たじろぐ有利をよそに村田が言う。
「な、なんのことかな?」
「とぼけてもいいよ。野球道具の買出しも終わったし。まあお腹はすくけど我慢できないほどではないから、これをコンテナハウスにいれてバイバイでもぼくはかまわないよ」
 どうする?
 有利は優柔不断ではないと自分で思っているが、そう選択肢を与えられると悩んでしまう。きっと村田はわかっている。有利が悩んでいることを。しかも、彼はすくなくとも有利よりもどうしたらいいのかわかっている。
 村田がそっとこちらに距離をつめて、小声で追いうちをかけてきた。
「ひとの目が気になるなら、昼食をお持ち帰りして僕の家で相談にのってあげますけど?」
 昼食をおごらされる上に相談に『のってあげる』といううえから目線にまったく何様なんだとおもったが、彼は四千年の記憶を保持し眞魔国を創設した初代魔王眞王と肩を並べていた大賢者様であり、全国模試第二位という神々しい成績を持つ村田様だったことを思い出す。
「しーぶーやーくん」
 返事を催促するように村田に名を呼ばれ、有利はちいさく息をはいて、答えを決める。
「……村田の家に行こう」
 ひとには言いづらい悩みだけど、このままひとりで悩んでいても解決策をみいだせる気がしない。
「はい、決定! じゃあ、さっさとお昼ごはん買っちゃおうね」
「……おう」
 きっと村田は、有利のはなしをにやにやと某童話のへんてこで奇怪なねこのような笑みをしながら聞くんだろうなあ、とぼんやり思いながらもハンバーガーショップへ向けて歩み出した彼のあとを追うことにしたのだ。

* * *

 一か月の有利のお小遣いは三千円。自分の昼飯と村田の昼飯を購入して、もうお財布のなかはさびしいことになっている。
 あと半月。無駄遣いはできない。
 有利はハンバーガーを味わいながら平らげた。そうして村田に買ったチーズバーガーのポテトをつまみにのこし、本題である悩みをどう打ち明けようと考えていたのだが……。
「渋谷ってウェラー卿とどこまで済ませたの?」
 と、なんの前ふりもなしに言うから咀嚼中のポテトを思いっきり吹き出しそうになった。飲み物じゃなくてほんとうによかった。飲み物だったらぜったいにくちから出てた。
「ど、どこまでって」
 どうにかポテトを飲み込んで、返答すれば「だからキスはすませてるんでしょ」と飄然と村田が述べるからどう対応したらいいのかわからなくなる。村田の態度はコンラッドと似ていてこまる。
 なんで、ふたりとも羞恥心がないんだろう。『キス』という単語に頬があつくなるのを感じていると「渋谷はほんとうに初心だよねえ」と関心したように村田が言う。
「小学生でも『キス』って聞いただけで頬を赤らめたりなんかしないよ。……っと、それはおいといて。『キス』だけでもじもじしてたらはなしが進まないから。渋谷が聞きたいことってそれ以上のことなんでしょ。ちがう?」「ちがわ……ない」
 村田のいうとおりだ。有利が聞きたいのは『キス』のそのさきのこと。
「あ、あのさ。おとこ同士でもほんとうに……えっちってできるわけ?」
 これ以上村田に相談内容を促され、ことばをにごしながら答えるのはフェアじゃない気がして、有利は恥ずかしさにあたまを掻きむしりたくなる衝動を抑えて相談しかたかったことをくちにする。
「おとこ同士のえっちってぜんぜん想像ができないし、なにより……おれに魅力あるのかな」
 言うと村田がおおげさに肩をすくめる。
「前者はまあ、一般的にもあまり知られていないからわかるけど、後者にいたってはなにをいってるの? っておもっちゃうよ。魅力がなかったから、相手が恋心を抱くこともましてや付き合うわけないだろう」
「それは、そうなんだけど……」
 正論を述べられ、有利は口ごもる。
「きみの長所は何事もポジティブに考えるってことだろうけど、やっぱり恋愛に関してとなると不安になっちゃうか。ま、しかたのないことだろうけどね。でも自分の魅力っていうのは自分よりも相手がみつけるものだと思うよ」
 村田のやさしいことばにふかくにもうるっときてしまう。が、彼の言う「たとえば僕が思う渋谷の性的魅力なんだけど」と挙げられたものになにひとつ意味がわからなくなって困惑した。
 すねたときに唇が尖るのがかわいいとか、おずおずとなにか相談ごとを持ちかけるときは上目づかいになる等々自覚のない行動やしぐさがどれもこれも男らしくなくて有利はテーブルに突っ伏した。
 そんなことをしてたのかと想像するとものすごく気持ち悪い。村田に「かわいいから、へこまなくたって大丈夫だって」と宥められたが……やめよう。これから意識しよう。と有利は無自覚な行動を反省する。
「もうそれは癖みたいなものなんだからなおそうと思ってもむずかしいと思うけどなあ。そんなことよりお勉強しようか、お勉強」
「べんきょう?」
 唐突な『勉強』ということばに有利は眉を寄せるが、村田はそんな有利のことを気にせずテーブルに散らかる食べものをはしに寄せると、ノートパソコンを起動させた。
「だから、男同士のセックス。わかんないんでしょ。くちで説明してもいいけど、納得してくれなさそうだし、実際に目でみたほうがいいだろう」
「え、え?!」
 もしかして、もしかしなくてもお勉強っていうのは……。
「邦画モノと洋画モノ。どっちがいい?」
 僕としては、邦画をおすすめするよ。
 なんて無邪気に言う村田のことばに有利はあたまをこんどこそあたまを抱えることになった。
 
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TEXT/交際二週間目のアイスクリームと宣戦布告の続編です。


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