■ 2

 小さな円卓テーブルには母親が準備してくれたオレンジジュースとポテトチップス。向かいに座っているのはすでにはなしを聞く体勢になっている村田。
 もう逃げられない。
 ユーリは、ため息をついた。
「さあ、長いはなしであっても時間はたっぷりあるからね。遠慮せずにはなしてくれてかまわないよ」
 かまわない。と言われても、もとよりだれかに聞いてもらいたいと思ったはなしではない。それにどこからはなしていいのかわからない。
 考えがまとまらずに、小さく唸り声をあげ後頭部を掻くも村田はジュースとポテトチップスを交互に手をつけて自分がはなしはじめるのを待っている。やはり言うまで帰るつもりはないらしい。
「……村田は、恋人できたことある?」
「ん? まあ、あるよ」
 村田は言い、それから口角をつりあげる。その表情からは「やっぱり、ウェラー卿とのことなんだ」と言いたげで、ちょっとばかり腹が立つ。村田は、コンラッドと自分のことに関して妙に悟いところがあるのだ。それもまあ、自分のことを気にしてくれているからかもしれないが、それでも「ああ、やっぱり」と思われるのも少々複雑な気持ちになる。
 だが、もうはなしを切りだしてしまった以上、途中でやめるわけにもいかずユーリははなしを続けた。
「あのさ、そういうのって相手が好きだから付き合うんだよな」
「だねえ、じゃなきゃ付き合ったりしないよ。意味ないし」
「……じゃあ、好きだったら恋人にいろんなこと求めたりするよな。手を繋ぐのもそのさきももっと進みたいって思ったりするのが普通なんだよね」
 コンラッドとの付き合いかたを思い出しながら、言葉を口にするとなんだか自然と口内が苦くなる感覚を覚える。
「なに? ウェラー卿は渋谷に手を出さないほどへたれなの? 日頃あんなにべったべたしてるのに」
 そういうわけじゃないけど、とユーリが言葉を濁せば「なんだ。やることはやってるんだ」と村田は言う。たしかに、恋人としての特権行為は一応は形にはしている。
「でも、それじゃあもの足りなくて。……おれが恋愛初心者だからこんなこと思うのかもしれないけど、ふたりっきりになってもおれにキスとかしてこないし」
 蟠っていた思いがずるずると喉の奥から零れだして、言わなくてもいいのではないかということまで口走っているような気がするが、もう理性では抑えられない。まるで、コップの口切りいっぱいに入った水にさらに水が注がれているような感覚で、ユーリは恋人への想いを村田に語る。
「……だけど、コンラッドに言うのは恥ずかしいし、どうしたらいいのかわかんなくて。でも、欲求不満とかあいつに対しての想いがさ最近変なところに行って……村田、引くかもしんないけど、てか、引くはなしだけどおれ、そういう気持ちを止めることができなくてコンラッドのシャツ持ってきちゃったんだ」
「シャツ?」
 村田が不思議そうに小首を傾げた。そんな村田の様子をみていると、やっぱり言わなきゃよかったかもと後悔するが、やはり途中ではなしをやめることはできなくて、小さくズボンの布を握りしめてユーリは村田を置いて、そして眞魔国に帰りたくないのかの原因を口にした。
「コンラッドのシャツで……ひとりえっちしっちゃってる」
 そこまで言って、村田は盛大に飲んでいたオレンジジュースをふき出した。まさかこんなことをするなんてだれだって思わないし、驚いて当然だと言えば当然なのだが、目のあたりにすると頬が燃えるように熱くなってしまう。
 ああ、本当に自分はなにを村田に言ってるんだろう。
 一瞬にして張り詰めた室内の空気がひしひしと痛い。しかし、しばしの無言の続いたあと口を開いたのは村田だった。
「なんていうかまあ……渋谷もかわいいことするよね」
「……はあ?」
 ひとのシャツを無断で持ち帰ったあげくに自慰をする行為が変態であるといわれる自覚はあるもかわいいといわれることなど思ってもみなくて思わず素っ頓狂な声音を出してしまう。村田は飛び散ったジュースをテッシュで拭いながらもう一度ユーリに対して「かわいいよ」と言った。
「渋谷の行為が片思い中だったらちょっとやばいかなって思うけど、きみたちは両思いだし、反対を考えてみたらどうだい? もし、ウェラー卿が渋谷のシャツを借りてまでとはいかずもきみを思ってオナニーしてたら引くの? 好きなひとのおかずになるってうれしいって思うんじゃない」
 言われてみればその通りだ。もし、コンラッドが自分を想ってしてくれたらそれはそれで恥ずかしいが、それでもうれしいと思う気持ちがある。
 ユーリは言葉をオレンジジュースで濁しながら村田の言葉を肯定した。
「無断でシャツ持ってっていうのは、よくないとは思うけどそういう態度や行動していたウェラー卿も悪いと思うね、僕は」
「そう、なのかな」
「そうさ。あっちはあっちでどうせ、本当はもっと渋谷といちゃいちゃしたいって思っていても肝心なところで引け腰になるところがある癖だもの。どうせ、こっちは大人なんだからとか思ってるんじゃない? もっと恋人として触れあいたいなら渋谷もそういう態度みせてあげたら?」
 ウェラー卿は絶対に引かないから、と村田は豪語してまたコップにオレンジジュースをなみなみと注ぐ。
「……でも、どうやって」
 そんな態度をコンラッドにみせたらいいのか、と続く言葉は村田に遮られた。ユーリの言葉のさきを予測していたようだ。
「簡単さ。恥ずかしくても勢いがあればなんだってできる。とりあえずウェラー卿を押し倒して、馬乗りになって言いたいこと言えばいいのさ。そのあとのことなんて考えなくたって大丈夫。無事にお砂糖が口からバケツいっぱいくらい吐ける甘いハッピーエンドが待ってるから」
 言って、村田はユーリのあまり減ってもいないコップにもジュースを注いで、にやり、と笑う。
 本日二度めの意地の悪そうな笑顔だ。嫌な予感しかない。
 村田はふたつのコップを手に持ってさらにはなしを続ける。
「渋谷が眞魔国に帰りたくなかったっていう理由はよくわかった。でも、そういうことはやっぱり本人同士ではなしあわなきゃ解決しないし……それに、僕は根に持つタイプだからね。僕を置いて行ったことに関してはまだ怒りが収まらないんだ。だからね、」
「うわっ!」
 両手に持ったオレンジジュースを思いっきり頭のうえから掛けられる。途端に、いままで避けていたあの感覚。異世界へと引き寄せられる感覚がユーリを襲う。
「村田……っ」
「大丈夫。僕はきみを置いて地球に残らないさ。一緒に行ってあげるよ、眞魔国に」
 濡れた手を強く握りしめられてだんだんとからだ全体が水に浸かっていくような錯覚を覚える。
 そしてからだ全体が地球から離れていく刹那、村田は言う。
「僕もさ、ウェラー卿と同じで渋谷を勘違いしてたみたいだ」
「?」
「きみが純粋で清純だって。安心してよ、渋谷。きみはおかしくない。本当は好きなひとに対して、たっぷり下心があってえっちだってところウェラー卿に教えてあげればいい」
 みんな、そんなもんなんだから。
 そこで、ユーリの意識は一瞬途切れた。いつもと同じスタツア。
 つぎに意識が戻ったときには、心の準備もできてないのに異世界にいるだろう。
「ちくしょう!」
 ユーリの言葉は、オレンジジュースのなかへと飲みこまれていった。


* * *


 オレンジジュースからスタツアしたさきは、眞王廟の中庭の噴水で村田はすぐに噴水から出ると巫女さん方に連れて部屋へ行きユーリは白鳩便で連絡受けたコンラッドが出迎えてくれて再び地球へ戻るひまもなくノーカンティにタンデムで血盟城へと連れていかれた。
 血盟城に到着してからも、コンラッドはいつもと変わらずユーリを大浴場へ連れていき、新しい服を渡し、タオルで乾き切っていない髪をソファーで拭ってくれた。もちろん、場所はコンラッドの自室だ。
 ふだんと変わらないのに、漂う雰囲気はどこかぎこちない。自分も、彼も。互いに言いたいことを隠しているような、そんな感じ。
「今日はあまり気分が優れないようですね、ユーリ」
「あ、うん。まあ……」
 適当に他愛のないはなしをしていても、部屋に流れる空気のせいで盛り上がることもない。コンラッドにどうやって村田に言われたことを切りだすべきか考えていると、さきに口を開いたのはコンラッドだった。
「あの、ユーリ。俺になにか不満があるんでしょうか?」
「え?」
 余分な水分を拭ったタオルを片付けながらコンラッドはどこか緊張した面持ちで尋ねる。
「あなたが突然帰ったあの日。ふだん一緒に帰還される猊下は、こちらにいましたし猊下はユーリが帰ったことを知らなかったと仰っていました。あなたの意志で地球で帰還されたのでしょう。急用があれば、いつもあなたは俺に一言残してくださるのに」
 あの日はなにもなかった。
 強い口調ではなく、淡々としたはなしかたが逆にユーリの心をひどく苛む。
「それは、俺に言いにくいことでもあるからですか?」
 ユーリを責めるというよりは、非があると思っているコンラッド自身を責めた口調に「欲求不満で、あんたの使用済みのシャツを持ち帰って自慰をしてました」なんてとても言えない。
 改めて自分のしたことへの羞恥心と罪悪感で湯を浴びてひいて汗が背中に伝うのを感じる。
 やっぱり、本当のことを言ったらコンラッドは引くよな……。
 ユーリが躊躇いを見せると、小さくコンラッドは嘆息した。
「俺には、言えないことですか」
「……え、と」
 しかし、このまま本当のことを言わないのも、相手の信頼を失うことに繋がるのではないかとも思う。言っても言わなくても幻滅されてしまうのではないというこの状況。
 一体、どうしたらこの状況から奪還できるのか。
 頭をフル回転して考えていると、ふいに両肩を押されて力の入れていなかったユーリの肢体はソファーへと沈みこんだ。
「……俺のなにがあなたにお気召さないのか、お教えしてくれないなら。俺にだって考えがある」
「コンラ、ッド?」
 自分を見る彼の瞳が、いままで見たことがないほどに冷たい。コンラッドを怒らせた。一瞬にして、背筋が凍るような感覚がからだじゅうにはしる。
 なにか言いたいのに、コンラッドの瞳が恐ろしくてなにも言えない。
「俺たちは恋人同士ですよね。いまは、主従関係ではない。……なら、少したがを外してもかまわないはずだ」
「な、なに……っ」
 ユーリの腕をさきほど髪を拭いていたタオルでひとまとめにする。外そうとしても動けば動くほど結び目は硬くなっていく。コンラッドは混乱するユーリをよそに学ランのボタンを外す。
「恋人の隠しごとを受け入れるほど、俺の器は大きくないんですよ」
「……っ痛!」
 首筋をいきなり噛まれて声を上げる。愛撫という範囲ではない強さで噛まれた首筋にはきっと彼の歯型がついているだろう。あまりの痛みに思わず涙が浮かぶもコンラッドは未だに怒りを宿した瞳で静かに口角に笑みを浮かべてユーリを見つめるだけだった。
「でも、あなたに対して傷をつけることはできませんから。あくまでもユーリから言いたくなるように……肢体にお願いしたいと思います」
 口を開くまでは、それ以外のことは聞きませんから。
 言って、コンラッドはユーリの反論を飲む込むようなキスで唇を塞いだ。


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