■ bakuri!

 コンラッドは、変な性癖を持っている。
 それはおそらく自分だけが知っている、彼の性癖。
 彼の爽やかな好青年と呼ばれる笑顔の裏には、想像もつかない獣が。
 ……いや、獣といよりもおっさんという表現があっているだろう。
 有利は、地球で普段使っているお風呂場とは比べものにならないくらいに大きな浴場で肩まで湯に浸かり自分の名づけ親であり、護衛であり――密やかな恋仲である男のことを思い浮かべた。
 乳白色に染まる湯のなかでわずかに身を浮かし、あらわれた自分の鎖骨のしたあたりに目をやる。そこには無数に散らばる、うっすら鬱血した痕。
 キスマークといえば、聞こえはいいが彼からつけられたこれは『キスマーク』と呼べるような可愛げのあるのではない。
 ここに残されているのは彼の『噛み痕』。いわゆる『歯形』だ。
 そう、コンラッドの変な性癖というのは情事の最中にひとのからだを『噛むこと』。
 毎回「痛いからやめろ」と咎めても彼は悪びれる素振りも見せずに「すみません」と謝罪して、こちらの物言いを右から左へと受け流す。
 しかも『ユーリっておいしそうだから、食べたくなってしまうんです』とわけのわからないことを言い出す始末だ。
 そうしたやりとりを最後にしたのはもうずいぶんとまえのはなしだ。あれから三日も経たないうちにいま浸かっている魔王専用大浴場から地球にある自宅の風呂場へとスタツアして、おそらく二週間ほどこちらの世界へ戻っていなかった。
 散々からだじゅうにつけられた噛み痕はどれほ薄くなってきている。
 本気でやめさせようと思っても『キスマークも好きですが、歯型のほうが充足感があるんですよ。こういうことを許してくれるのは俺だけだって感じがして』なんて子供じみた独占欲が含まれたセリフに不覚にもうれしいと感じ、それだけならまだしも調子に乗っているコンラッドにあなたも噛んでみますかと唆されて言われるがまま彼の肩に歯を立てた。
 コンラッドの肩に歯を立てた瞬間、なんともいえない充足感を覚えた自分がいてあんなに嫌だと言ったっくせに噛まれてうれしいと思うようになってしまった。
 こちらの世界に戻ってきて、まだコンラッドには会っていない。
 噛み痕があると体育の授業まえに着替えるのもたいへんで、だれにも見られずに着替えを済ませたとしてもなにかの拍子に噛み痕を指摘されるかもしれないと
思うのに。
「……おれってほんとにバカだよなあ」
 有利は、噛まれた部位をひとつひとつ撫でつけながらぽつりと呟く。
 どんどんコンラッドに感化されてしまった。
 痛いのは嫌いなのに、嫌いなはずなのに情事の際、心のどこかでコンラッドに噛まれることを期待している自分がいる。
 まったく色気のない歯形をからだに残してほしいと思ってしまっている。
 こんなことくちが裂けてもコンラッドには言えないが、言わずともおそらくすでに彼にはバレているのかもしれない。ひどい悪態をどんなについても、表情ですぐにばれてしまう。
 だからきっと笑うのだろう。
 コンラッドが任務のために城を空けて今日が六日目。はやくて明日には帰ってくることになっている。
 もう癖とはいえない出会いがしらのあいさつを交わして、穏やかな一日を過ごし、褥を共にする際、きっと彼はこちらを見て笑いながら尋ねるのだ。
『からだにつけた歯形はどうなりましたか?』と。
 わかっていて、聞くのだろう。
 歯形が消えかけていること。そして、また痕を欲していることを。
「あー……おれもバカだけど、コンラッドはもっとバカ」
 目の前に本人がいないことをいいことに、半ば八つ当たりと言っていいような愚痴を吐く。
 まさか、こんな性癖を自分が持ってしまうなんて考えたこともなかったのに。
 知らぬ間にコンラッドに自分が変えられてしまっている。そうして知らぬまに変化していく自分に戸惑う反面うれしいと思ってしまう自分がいる。
 自分がコンラッドに変えられたことで、コンラッドが喜んでくれる。反対に自分が影響して彼もまた自分に変化しているのかもしれない。
 どんどん『好き』な気持ちが深くなるように。
「……コンラッド」
 ちいさく恋しいひとの名をくちにする。
 しかし、それは場所が浴場だからか室内に反響して鼓膜を震わせた。
 ――と。
「はい、なんでしょうか」
 聞こえるはずのない声を耳にし、有利は思わず目を見張る。
「……え?」
 もしかして、気がつかないうちに自分はのぼせて夢のなかにスタツアでもしてしまったのかと思ったがそうではないらしい。
 コンコン、と浴室と脱衣所を繋ぐドアが叩かれる。
 有利は勢いよく後方を振り返ると磨りガラスに見慣れたシルエットがそこにはあった。
「コン、ラッド……?」
 おそるおそるもう一度名をくちにしてみれば「そうです」とすぐさま返答を返される。顔は見えないはずなのに、どうしてだがドアを隔てたところに居る男がいたずらに成功した子どもの笑顔を浮かべているようにみえる。
「ただいま、帰りました。任務に赴いているあいだにあなたが帰還したとグウェンダルから白鳩便が届いて、いても経ってもいられなくなりまして。急いで仕事を終わらせてきました」
 もちろん、手抜きはしていませんから安心してくださいね。
 そう言いかけている途中で有利はドアを開け放す。そこには、言うまでもなくコンラッドがいて予想したとおりの笑みを浮かべていた。
「床は水で濡れているのですから、走ったら危ないですよ。――ユーリ」
 あえて一拍、間をおいて『陛下』と呼ばず『ユーリ』と呼ぶのがずるいと思う。それからタオルでからだを覆い、すぐに濡れた髪を拭うのも卑怯だ。柄にもなく無意識ににやけてしまいそうになる。
 髪をされるがままに拭かれていると、鼻腔を砂の香りが掠めた。
 急いで帰ってきたというわりには、涼しい顔をしていたからにわかには信じられなかったが、本当に彼は自分に会うために仕事を急ぎで終わらせてきてくれたのだろう。
 そう思うと笑いがこみ上げてきて、堪えようとくちを噤むも肩が震えてしまう。
「……ユーリ?」
 とつぜん、笑いだした自分を怪訝そうな表情でコンラッドが覗き込み、尋ねる。
「どうかしましたか」
「いや、おれとあんた似てるなって思って」
 なにが似ているのか主語をあえて抜いて返答すれば、案の定返ってきた答えが理解できずにコンラッドは小首を傾げた。
 気になるのだろう。しかし、それ以上答えるつもりは毛頭ない。代わりに有利はコンラッドと同じように小首を傾げて質問を返した。
「なあ、コンラッド。いま帰ってきたんだろ?」
「ええ」
 予想していた答えにさきほどまではにかんでいた有利の口元はつりあがる。
「じゃ、どうする。おれの髪を拭き終わったら、お風呂にする? ご飯にする? ……それとも、」
 ――おれ?
 最後の一言はあえて音量を下げて低く問えば、コンラッドが一瞬、目を大きくした。
 自分が甘い言葉を言うなんて彼は思わなかったのだろう。
 自分だって、彼と会うまではこのようなことを言うつもりはなければ、考えてもみなかった。
 しかし、普段よりもくたびれた軍服と鼻腔をかすめた砂の香り。それからなんでもないように見せる態度が自分をそうさせたのだと思う。コンラッドのことが好きでどうしようもないという自分の感情が。
 有利は返事を待たずに言葉を紡ぐ。
「おれとしては最後をおすすめするけど、コンラッドが疲れたって言うんならこのまま部屋に戻るよ。……な、どれがいい? どれにする?」
 答えを促すと、コンラッドは短く息を吐いてようやくくちを開いた。
「……俺があなたのからだにつけた歯形どうなりました?」
 場所は違えど、予測していた彼のセリフに今度は耐えきれずに有利は吹き出し、声をたてて笑う。
「気になるんなら、確認してみる? コンラッドの部屋で」
 有利が言えば「そうですね」と笑い寝巻きを手渡した。
「ご飯はあなたとベッドで。お風呂は明け方にでも一緒に行きましょうか」
 そんなまわりくどい言い方しないでさっさと『おれ』って言えばいいのに。そう思うが、いまはそんな憎まれ口をきく気分にもならず、かわりに髪をタオルで拭いていたコンラッドの手をつかみ有利はバクリと噛んだ。
 有利の行動が合図になったのか、もう一方の髪を拭いていたコンラッドの後頭部へ移動し互いの距離が迫り瞬きするよりもはやく口唇が合わさっていた。
 ……本当に似てるよな。
 余裕がないのに余裕のある振りをしてみせる天邪鬼なトコロ。
 駆け引きがヘタクソなトコロが似ていて、似てきて――くすぐったいような気持ちになる。
 啄ばむキスから徐々に深くなるキスのなか、有利はあることを思い出して息つぎの合間にことばを紡いだ。
「おかえり、コンラッド」
 それにたいして「ただいま、ユーリ」と返事が返ってきたのはつぎの息つぎの合間だった。
 明日はまた全身が新しい噛み痕のせいでぴりぴりと痛むだろう。
 痛いけど、まあ、悪くない。
 有利は新しく増える噛み痕を想像しながら、コンラッドの首に腕をまわした。
 彼の部屋に向かうのは、もう少しあとになりそうだ。


END

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