■ 8

 熱い。
 彼のものを迎えいれようとする場所が爛れてしまうんじゃないかと思うほどに熱い。
「ひ、ぁ……っ!」
 シーツを掻き毟るように掴んで一番太い部分を受け入れる。痛みはないが、内臓を圧迫しているんじゃないかって思うくらい、コンラッドが腰を進めるたび押し出されるようにして涙がこぼれた。
「ユーリ、息を吐いて……」
「わか、ってる……っ」
 そんな簡単に息が吸えるものなら、とっくに吸っている。
 悪態をつこうにも、息は詰まるし、なにより原因を作っているコンラッドが心配に眉根を顰めているから「そんな顔をするな」というほか言葉がみつからなかった。と、いうかごめんって謝るならもう少し考慮してこの大きなものをどうにかしてほしい。ワンサイズ小さくならないかな……。
 浅く呼吸を繰り返して、やっとのこと先端がなかに入ってくる。と、コンラッドはベッドサイドのチェストに手を伸ばすとなにかを取り出した。小瓶だ。透明な液体が入っているそれの蓋を口で開けると、後腔に垂らした。冷たい感覚にからだが揺れる。
「な、なにそれ?」
「あなたの精液と俺の先走りだけでは少々心もとないので。香油を使ったんですよ」
 体温で香油も熱を帯びてきたのか、甘い香りが鼻腔を擽る。どこかで嗅いだことのある香りだ。たぶん、花の香りだったような気がする。一体なんの香りであるのかを、理解すれば、彼を受け入れる場所にきゅっと力が入った。
 すべてを埋めたコンラッドが途端に顔を微かに顰めた。
「……っいきなり、締め付けるなんて。思わずイってしまうかと思いましたよ。どうしたんです?」
「この香り、あの花の匂いがする」
 言えば、コンラッドはわかりました? と、喉奥でくつりと笑った。
「ユーリがあの花が好きって言ってたから、嬉しくて。大地立つコンラートで、新しく香油を作ったんですよ」
「ばっか……!」
 こいつはわざとやっているに違いない。コンラッドに踊らされている気がする。でも、どうにもならないくらい香油の甘ったるい香りに感覚が酔いがとまらない。くらくらする。
 香油自体、おれは苦手だ。からだの負担が減るぶん、香油の滑りを利用してコンラッドがおれのからだを蹂躙してくるから。わけがわからなくなるっていうのに……。
 大地立つコンラートの香りは彼を思い出してしまう。コンラッドの体臭に混ざる花の匂いだからだ。五感すべてをコンラッドに支配されているような錯覚を起こす。
「一応言っておきますが、催淫作用はないですからね。でも、変だな。いつもより、なかの締め付けがすごいし、絡みついてきてるような気がするんですが……気のせいかな?」
 本当にこいつはタチが悪い。
 些細なことひとつ、ひとつに反応する自分が恥ずかしくて、シーツを掴んでいた手で自分の顔を覆う。無駄な抵抗だとはわかっている。いま、彼がどういう表情で自分を見つめているのか簡単に想像できるように、コンラッドもまた、おれがどういう顔をしているのか、見なくてもわかっているはずだから。
「も、あんたっしゃべるなっ」
 ぶっきらぼうな自分の声に、少々あきれてしまう。甘いムードも色気もなにもない。可愛げないなあ、と自分で思う。恥ずかしくても、もう少しコンラッドに優しくできるようになりたい。なのに、コンラッドは顔を覆う手を優しく取り去ると触れるようなキスをして笑みをみせる。
「……あなたは本当にかわいい。意地悪してごめんね」
 意地悪をしている自覚はやはりあったらしい。本当にこの男は! 無駄に色気をさらけ出している彼の頬を思いっきり抓る。それでも、機嫌よさそうな男の笑みに飽きれてものを言えない。そもそも謝罪の言葉に気持ちがこもってない。
「ね、ユーリ。動いてもいい?」
「コンラッド、ひとの話聞いてないだろ」
「聞いてますよ。めちゃくちゃにして欲しいんでしょう」
「ぁ、ん……っ」
 いやいや! 確かに言ったけど、そういうんじゃなくて、おれの思考をこれ以上おかしくさせるなとか、言葉で恥ずかしめるなっていう話なのに。
 それらの話をすべて流してしまいましょう、と言わんばかりに、再び行為を再開した男に口を開いた声は、甘い声にかならない。なかを擦り、突かれ、蹂躙される快楽を十分すぎるほどに知ったからだは、緩やかに旋律を始めた動きに貪欲なまでに絡みつく。初めてコンラッドと交わうときには痛みしか感じなったというのに、いまではまるで女のような高く甘い嬌声が殺そうとしても、口端がもれてしまう。
 おれはまた彼に腕を伸ばした。
 コンラッドはその腕を取ると、自分の背中へと誘導する。
「また、爪を立ててもいいですから」
 言われて、またきゅっ、と彼のものを締め付けてしまった。コンラッドの背中、肩甲骨の辺りには無数の引っかき傷がある。与えられる快感に思わず、指先に力がこもってしまうのだ。あまり、彼の背中に傷痕を残したくないけど本人はそうは思わないのか、言われてひっこめようとすれば、腰をより引き寄せられた。
「たくさんあなたが感じてくれた証拠をからだに刻みつけておきたいんです」
「んん、っは……ぁ」
 緩やかだった動きが徐々に激しさを増して、理性がぐずぐずに溶けていく。鍛え上げられた腹筋の割れたコンラッドの腹に起立したものが絶妙に擦れて、一度ひっこめようとした腕は縋るように背中を掴んでしまう。
 粘る水音と荒い息使い、香油の香り。そのすべてが淫猥な自分を否応なく引きずりだす。
 もう、どうにでもしてくれ、と思うほどに。
「コンラ、も……っと」
 強請ると、コンラッドは背中からおれの手を剥がしたかわりに、片足を肩にのせた。さらに奥に彼のものが侵入してきて、自分でも知らない内部をかき乱す。
 めちゃくちゃにして、おれのすべてをコンラッドで征服しろ。
 心のなかで呟く。
 夜の帝王と、誰も愛さないと言われた男が、愛したやつはこのおれなんだということをおれに見せつけてほしい。おれの心のなかにもある、あんたへの独占欲を満たしてほしい。
「あ、ぁ……んっ!」
 ぎりぎりまで抜かれて、勢いよく奥まで突かれるピストンに足の指が丸くなる。腹で擦られていた起立に指が絡められて快感が一層増す。感じすぎて、思わず起立を愛撫するコンラッドの手をうえから握る。
 擦らないで、といいたいのにもう声にならない。攻め立てるコンラッドの視線を捕らえると力なく首を横に振ってみせる。しかし、彼は優しい獣の笑みを浮かべたままおれの願いを聞き入れることはしてくれなかった。それどころか、なかを抉るものがおれがもっとも感じる場所だと言っていた前立腺を中心的に押しつぶすように攻め立てる。
「先走りに、白が混じってきた。でも、まだイかせないよ」
「な、んで、っも、くるし……っ」
 擦りあげられていた起立の根本を硬く戒められる。さきほどキスをしていたときはすぐに絶頂に導いてくれたのに。
 あと少し、何度か扱きあげてくれれば吐きだすことのできる欲望のかたまり。それが吐きだし口を求めて暴れまわる。尿意を堪えるときより何倍もつらい。思わず「助けて」と請えば、コンラッドは宥めるようなキスを額に落とした。
「我慢して、普段の何十倍の快楽をあなたに教えてあげる」
 これが最後の勉強だよ。
 彼はもう片方の足も自分の肩に乗せてきつくおれのからだを折り曲げた。コンラッドの陰毛が肌に触れる感触に背中がふるえる。奥の奥まで、彼を受け入れている証拠だ。
 自分の声がまた高くなる。
「やっ……ぁん、ん……っ」
「それに、俺もつぎはあなたと一緒にイきたいので……」
 もう少し我慢して、というコンラッドの声はおれの嬌声でかき消された。
 肉をかきわけて突きあげる肉棒が旋律のペースをはやくする。目の奥が白くちかちかとスパンコールがきらめくように光る。いままでも、目の奥が光るような感覚を経験したことはあったが、ここまできらきらと輝いたことはない。嬌声が止まらない。また、強くコンラッドが前立腺を突く。その途端、根本を戒められているはずなのに強い射精感を覚えて、おれは驚いた。
 お互いの腹のあいだにある自分のものを見れば、とろとろと白い液が先走りと同じようにゆっくりと流れ出ていた。おそらく、おれはイったのだろう。だが、すべてを吐きだしきれていないそこは未だに勃起したままだった。
 これは一体、なんなのか。
「……一緒にイきたかったんですけど。ああ、ユーリ、またイっちゃいましたね」
 コンラッドは肩に乗っていた両足をベッドに落とすと、おれの唇にキスをした。
「う、そっだ。だってまだ」
「こういうの空イキっていうんですよ。からだに負担がかかるのであまりいい射精方法ではありませんが、開放感はすごいらしいです。一緒にイケなかったのは少々さびしいですが、いいものがみれた」
「らしいって、コンラッドは経験したことないの?」
「ええ」
「この絶倫」
「お褒めの言葉として受けとっておきます」
 恍惚ともいえる表情で、コンラッドは飄々と答える。
 空イキの意味を教えられても、朦朧としている頭ではよく理解できないけど、また自分が目の前の男にからだを開発されたことはわかった。
 と、コンラッドが不思議そうにおれの顔をみつめていた。
「なぜ、ユーリ笑っているんです? 事故とはいえ、あなたに負担をかけたのに」
 おれは無意識に笑っていたようだ。
 だって、仕方がないだろう。考えることは乙女でもおれは思ってしまったんだ。
「だって、またおれのはじめてをあんたがもらってくれたってことだろ」
 キスもセックスも恋愛感情もぜんぶ、コンラッドがおれにくれて、もらってくれたってことだ。
 そのぶん、不安もあるけど。いつかこの男に捨てられたらどうしようかって。でも、そんなさきのことはわからない。もしそうなるときがくるとしたら、そのまえにどうにかすればいい。
「コンラッド、おれのこと好き?」
「愛しています」
 さきほどと同じ質問に、コンラッドはまたも即答した。
 おれはだれもが、知ってる脳みそ筋肉族。暗い未来なんて考えない。
 彼がおれを愛している。その事実を、いまを、素直に受け入れる。
「あなたってひとは、俺を煽るのが本当にお上手ですよね」
 それも、例のDVDで勉強されたんですか? 男を煽る方法。
 そう言って、コンラッドが笑う。話の途中でいつの間にか中断されていたが、まだおれのなかには彼のものがあるのだ。しかも心なしかそれはさきほどよりなかで肥大している気がする。笑う振動が少し治まっていた熱を燻ぶった。
「ちがうよ。たしかにキス講座は濃厚だったけど、そこまでエッチなDVDじゃない。……っていうか、そこから手を離してくれない?」
 忘れかけていたけど、コンラッドの指はおれのものを戒めたままだ。彼は言われると「ああ、そうでしたね」とけろりとした口調で答えるが、こちらとしては少々複雑な心境になる。……しかも、そこからまだ手を離そうとしないし。
 雰囲気が甘くなったり、穏やかになったり、冗談が言えるほど明るくなったり。セックスってもっと情欲に濡れたものかと思っていたけど、コンラッドと触れ合うたびにそうではないんだと思うようになってきた。これも全部、コンラッドが教えてくれた。 
「いま、手を外したらおそらくちゃんとはイケないからまた、からだを熱くしましょう」
 コンラッドの腰が揺れる。おれは、頷くとそれにあわせるように腰を動かした。
「なあ、コンラッド。キス、したい」
「また、復習ですか?」
「違うよ」
 おれは、彼の腰に足を絡めて顔を近づける。それから、コンラッドの下唇を焦らすように舌でなぞった。
「もう、あんなの忘れた。コンラッドの教えてくれたやり方しか覚えてない」
 なにか言おうと開いた彼の口を塞ぐ。喋りかけたのはおれのほうだけど、もうそろそろ限界だった。互いの口のなかを貪るようにあわせて、舌で行きかって、唾液を飲んで、飲まれてもうどこから水音がするのかわからなくなる。
 そうして、再び絶頂が近づいた。
 今度は一緒に果てを向かいましょうと、コンラッドが唸るような声で言うそれに、おれは目を瞑って頷いた。それから間もなく同時に果てる。
 コンラッドの精が最奥で弾ける。
 なかが濡れる感覚にからだが撓りひどく熱い。
 手が解かれると、おれは彼の宣言通り長く吐精をして普段よりも数十倍の快楽を身をもって知ることとなった。それから何度も啄むようなキスをコンラッドと繰り返した。
 
 
* * *


「――で、勉強の成果はちゃんと出たかい? 渋谷」
 その翌日。自室に村田が訪れた。
 あのあとも、何度かコンラッドと交えて体力を消耗したおれは夕食にも出ず、コンラッドと部屋で食事をし一日を部屋で過ごした。いまはもう体力的にはすっかり回復したものの、腰が痛くてコンラッドに頼んで体調不良という名目で臨時休業をもらうことに。まあ、あながちうそでもないので見舞いに訪れたみんなには疑われることはなかった。目の前で、にやにやと笑う大賢者ただひとりを除いては。
 声も枯れているし、なによりこういう展開になることを予想して村田はコンラッドにけしかけたのだから、ばれないはずもないのだけど、やはり彼との仲を知っているとはいえ改めて言われると恥ずかしいものはある。
 寝台のヘッドボードに背中を預けて、尋ねられた言葉に頬がかすかに熱くなるを感じて顔を村田から逸らせば、くすくすと笑われた。
「初心だねえ、きみは。あのむっつりウェラー卿のことだ、色々と勉強させられちゃったんだろう」
「うーるーさーいー!」
 たしかに昨日は、色々と勉強っていうかまた開発されてしまった。まだ、昨日の出来事を鮮明に思い出せる。あんな濃厚なことすぐに忘れられるわけがない。後悔はしてないけど。
「ねえ、キスはうまくできた? どんな勉強した?」
「……ヒミツ。そういう村田はどうなんだよ?」
「ん? ……まあ、僕のことなんていいじゃないか。話しても面白いことないし」
 一瞬、間があった。みれば、心なしか口角が引きつっているように思えた。
 ……たぶん、ヨザックになんらかの逆襲を受けたのだろう。おれはそれ以上、村田の事情に深入りするのをやめることにした。なんてったって、村田の背後から迸るオーラが黒過ぎる。触らぬ神に祟りなし、だ。
「正直、キスでコンラッドを翻弄はできなかったけど、村田には感謝してるよ。あいつ、いまのままのおれでいいって言ってくれたから。……あんまり、おれは背のびしないことにした」
「感謝されるのはありがたいけど、惚気られるのはね。っていうかバカップルらしいよ」
 口を尖らせて、村田は拗ねた顔を見せた。
「バカップルっていうな!」
 そんなどこかれ構わず、べたべたしてるみたいじゃないか! と言えば、「きみたちは一日の生活のほとんどを共にしてるじゃないか」とさらりと言われた。その言葉におれは思わず言葉を詰まらせた。……くそ、反論できない。
 でも、仕方ないじゃないか! 彼は護衛なんだから!
 ぐぅ、と言葉を詰まらせていると自室のドアをノックする音がして、彼の声がした。
 どうやら昼食を厨房から取りに戻っていたようだ。
「コンラッド、いいよ。入って」
 失礼します、と扉を開けた彼の手にはやはり二人分の昼食がトレイに乗せられていた。
「猊下もいらしていたんですね。……陛下のお見舞いですか?」
 近くにある円卓に昼食の乗ったトレイを置くと、お茶はいかがですかと尋ねたコンラッドに村田は首を横に振る。
「ありがとう。でも、もうそろそろ眞王廟に戻るからいいや。……それよりも、ウェラー卿」
「なんです?」
「渋谷の勉強は、はかどったかい? 復習も」
 冷やかすような声音に、思わずひくり、と喉が鳴る。意味深なもの言いに問われたことが一体なにをさしているのかわかってしまいおれは布団にもぐりこみたい衝動に駆られる。けれど、コンラッドは表情を変えず笑顔のままに村田の問いに答えた。
「猊下が仰る通り、陛下はもの覚えがいいですから」
 ご自分で勉学に励んだ復習の成果にもたいへん驚きました。ね、陛下?
 話を振られたおれは今度こそ布団にもぐりこんだ。毎度おなじみの「陛下って言うな、名づけ親!」というセリフも出てこない。
 絶対コンラッドは村田に言われた意味をわかっていて答えたに違いない。
 お前らふたりはそんなにおれを辱めたいのかっ!
「あれ、渋谷具合悪くなった?」
「どうしましたか? 陛下」
「……もー、この腹黒コンビやだ」
 おれだけが完全に遊ばれているような気がする。
 こういうときは、グレタ、そうグレタに会って、抱き締めて癒されたい。ああ、可愛い娘は今度はいつこっちに戻って来るんだろう。心底恋しい。
 ぶすくれた顔を布団で隠せば、村田の手がぽんぽんとおれの頭を叩いた。
「ごめん、ごめん。そんなにいじけるなよ。もう昨日のことは聞かないからさ。それに思いのほか元気そうで安心した。じゃあ、僕はもう行くから見送りぐらいしてよ」
「……わかった」
 村田の言葉に顔を出すことにした。コンラッドとグルになって突かれてはいたが、喧嘩をしたわけではないから見送りぐらいはちゃんとしたい。それに忘れかけていたが、村田も忙しい仕事の合間を縫って一応お見舞いにきてくれたんだから。
 ベッドから降りて、扉のまえまで村田を見送ろうと考えていたけど、ベッドから降りるまえに「腰、痛いんだろう? 無理しなくてもいいよ」と言われて、再び顔が熱くなる。実際、腰はめちゃめちゃ痛い。些細な動作ひとつでも、ずきん、と鋭い痛みは走る。……うん、村田に昨日のことを話さなくてもおおよそどういうことがあったかやっぱりばれていたんだと友人の優しい心遣いに苦い気持ちになりながら、おれは思った。
 じゃあ、試験勉強あと一ヶ月頑張ろうね、とひらりと手を仰いで村田は部屋を出て行った。
 そうして部屋に残ったのは部屋の主と意地悪な男のふたりだけだ。
「コンラッドのバカ」
「……すみません、陛下」
「……ウェラー卿のばか」
「ごめんなさい、ユーリ。そんなに拗ねないで。どうにも猊下とお話をしていると、ついつられてしまって」
 つい、ね。つい、は彼の口癖だと思う。陛下を訂正するときもほとんど、ついって言う。
 小さな円卓テーブルにコンラッドが食事の準備を始めた。銀のふたが外されると美味しそうな匂いは鼻をくすぐり、空腹を覚える。
「あー、村田の言葉で思い出したけど、試験まであと一ヶ月なんだよなあ。せっかく頭がおかしくなるまで覚えた公式、覚えてるかな、おれ」
 昨日の濃厚な勉強会で抜け落ちような気がする。少し不安を覚えると、コンラッドは、紅茶をおれに差し出して「大丈夫ですよ」と笑う。
「猊下のスパルタ勉強ですから、ちょっとやそっとでは忘れません。かりに忘れていたとしても、猊下はちゃんと教えてくれますよ。……あなたはもの覚えのいいひとだから」
「……それってどっちの意味で言われてるのか、わからない」
「両方、ですかね」
 いやらしいことも、そうでないことも、と続けたコンラッドに飽きれてものも言えない。
 紅茶を受け取ると、コンラッドは掠めるように頬にキスをした。昨日といい、今日といい普段よりもキスをたくさんしているような気がする。まあ、キスは嫌いじゃない。

「……えっちするのもいいけどさ、やっぱりあれはほどほどでいつもはキスとかハグのほうがいいな。からだの負担もないし」
「ユーリは淡泊ですね。俺はいつだってセックスしたいですけど」
 臆面もなくよく言えるやつだ。いまさらだけど、こいつの性格を思い違えていたのかもしれない。わざと紅茶を音を立ててコンラッドの発言に聞こえないフリをすれば彼は苦笑して「つれないですね」と呟いた。
「まあ、俺もkiss and hugは嫌いじゃないですけど」
「ハグアンドキス?」
「ええ、アメリカでは書くとき、こうやって書くひとがいて驚きましたよ」
 コンラッドはトレイにのっていたナプキンに近くにあった羽根ペンでそれを綴る。
 綴られていたのは「XOXO」
 まるで、なにかの暗号のようだ。
「カトリック信者が右手で十字を切り、最後に親指にキスをするそうです。それが若者の間で流行して、X(エックス)をキス、O(オー)は両手で相手を抱きしめる形にしたそうです。初めてみたとき、まるでなにかの暗号かと思いました」
 彼も同じことを思っていたらしい。おれはうんうん、と頷いた。
 文字の書かれたナプキンを手にとり、それからふと、面白いことを思い立つ。
「なあ、これおれたちも使わない?」
「使う?」
「うん。コンラッドが任務でどこか赴いているときに、帰ってきたらこういうことをしようって白鳩便でコンラッドに手紙でおれが使うの、どう?」
 これならだれにもわからないし、と言えば、コンラッドはおかしそうに笑った。
「そんな可愛らしいことされたら、一秒でも早く帰ってこなければなりませんね。なら、これも使用許可を頂きたいな」
 コンラッドは、おれの手からナプキンを取るとそこに指で大きくまるを描いた。
「これにまるをつけたら、今夜は一夜を共にしませんか? ってどうです?」
 いたずらっ子のように言う彼におれは笑う。
「おれ、絶対まるつけないよ」

 ―――そうして、XOXOが使われたのは次の日の執務中。
 コンラッドにわからない単語を聞こうとしたときだった。彼は紙の端に例の暗号を綴り、とんとんとペン先で紙を叩いた。驚いて、コンラッドの顔をみれば瞳だけが妖艶な色を帯びていた。つられて笑い、大きくばってんを書こうとしたペンは彼の手を重ねられ大きなまるをつけられた。
「決定、ということで」
 囁かれる甘い言葉に、おれは仕方ないなと笑った。
 最近、もの覚えがいいと大賢者にお墨付きをもらったおれが勉強で覚えた単語のひとつだ。


END


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