■ 4

「さて、ユーリはなんの勉強の復習がしたいのかな?」
 自室に設置してある円卓テーブルにコンラッドと向い合わせに座るとお茶会もそこそこにすぐさま本題に突入した。
 ああ、やばい。美味しい焼き菓子とお茶を夢中で飲み食いしてたからどうやって彼からさきほどの話題を逸らそうか考えるのを忘れていた。……おれ、なんてばかなんだろう。心のなかでおれは自分の失態に頭を抱えたくなる。
「ええっと……」
「さきほどの猊下との会話から推測すると、英語の復習という感じではありませんでしたね。と、言ってもあまり日本の文化に詳しくない俺があなたに教えることなどそれこそ英語くらいしか検討がつかないのですが……。ねえ、ユーリなにかな?」
 邪気のない瞳がかち合い、おれは思わず目を逸らした。逸らせば逆に怪しまれるとはわかっているものの、もう条件反射というべきか。きっとこういう行動しちゃうからおれは嘘をつくのが下手なタイプだとか村田に言われるんだろうな、なんて混乱する思考の片隅で思った。
「ユーリ?」
 しかも、彼のまえではとくにしらばっくれることなんてできるはずがない。発言にしろ脱走にしろ、いつもばれてしまう。ああ、でも本当にどうしよう。優しく微笑むコンラッドに本当に申し訳ない。いやでも、おれは彼と出会ったときよりはいくらか嘘をつくのは上手くなったはずなのだ。そのおかげでヨザックに頼みこんで城下町でアルバイトだってしたことあるし(二日もしないうちに嗅ぎつけた彼に血盟城に強制送還されたけど。ヨザックはヨザックできつい仕打ちを彼に受けたとかなんとか。ああ、ヨザックにはあのとき本当に悪いことをした)。……たぶん、いまからでも遅くはない。どうにかしてこの状況をやりすごさないといけないんだ。
 言ったら最後、何をされるかわからない。
 そう、えっちなこととか、えっちなこととか、えっちなこととか。
 ……どうしてだろう。目の前にいる彼はこんなに神士な面持ちなのに、えっちなことしか思い浮かばないのだろう。それこそ、こんな答えにしか辿りつかないおれの筋肉脳みそに不甲斐なさを感じる。
「……いやいや、そうやって脳に擦り込んだコンラッドがいけないんじゃないか?」
「ユーリ、何かいいました?」
「あ、いや、なんでもないよ! ……あははは! こっちもいい天気だなー! 日本みたいに湿気がないから快適、快適!」
 なんて、後頭部をかりかりとヨザックのように掻いておどけてみたが、コンラッドはさらに眉根を顰めるだけだった。やばい、やばいぞ。この展開は。
「うーん。こちらに来てまで勉強したくないのはわかるけど、猊下にも仰せつかわれたし、一応なんの勉強かくらいは教えてほしいな。俺にも無理なことだったらやらなくていいから」
 ね? と、言われてやはりなんの勉強かは言わなくちゃならない展開になってしまった。
「コンラッドが言ったように英語の勉強だよ、勉強。おれ、リスニング下手だから教えてほしいと思ったんだけど、あいにく教科書とか持ってくるの忘れたしさ。だから、今回はいいよ。帰ってから勉強するから。ほら、お茶会の続きしようよ。終わったら中庭でキャッチボールしたいな。……だめ?」
 こうなれば奥の手だ。
 コンラッドに効くかは不明だが、ギュンターと勝利には絶大な効果を発揮する上目づかい(って、村田が言ってた。男のおれがやっても気色悪いと思うんだけど)をする。じっと瞬きもせず、目が渇いてくると少し涙が溢れてきて水膜をつくると上目づかいはより威力を増すらしい。
 自分のプライドなんてあんな勉強するくらいなら捨ててしまったほうがいい。ダメ押しで小首を傾げてみればコンラッドは手で口を塞いで嘆息した。おお、効いているのか?
「You must not tell a lie」
「ん?」
 突然の英語で一瞬頭に疑問符がぴょこんと浮かんだが、前々から村田のスパルタ勉強とコンラッドの勉強で教わった知識が勝手に英語を日本語に翻訳をしてくれて、おれはさらにやばいことをしでかしたと思った。
「こ、コンラッド……?」
 なんかコンラッドの笑顔が怖いものに変わったような気がする。彼がこういう笑顔を浮かべるときは大抵良くないことが起きる。
「英語のリスニングは完璧なようですね。ユーリ、俺がいまなんて言ったのか仰ってください」
 ここでさらにしらばっくれたら、それこそなにをされるかわかったもんじゃない。コンラッドは本当に優しいんだけど、おれの隠しごとに関してはときどき固執することがある。そういうときは言うまで粘り強く聞いてくるんだ。あの手この手を使って。
 いよいよやばい展開に向かっているからこそ、ここでうそをつき通さなきゃいけないんだけど、彼にうまいこと調教されてしまったおれは自分の意に反して自然と口がひらいていた。
「……うそをついてはいけません」
「大変よくできました。正解です。そう、答えは嘘をついてはいけない。どういう意味かわかるよね?」
「うう……」
 ええ、それはもう痛いほど存じております。
 彼の問いにこくこくと頷きながらもやっぱり言い出せなくて口をもごもごしていると、コンラッドは笑顔一層深めた。
「言わなくてもいいですよ? 俺が言いたくなるようにお願いすればいいんですよね」
 あーもうだめだ。これじゃあ、どっちみちひどいことされるに違いない。コンラッドがお願いと指さした場所はおれのベッドだ。
 これ以上はもうとぼけることは難しい。


* * *


「キスの勉強ですか?」
「……」
 おれは無言で頷く。もう居たたまれなさマックス。
 親にエロ本見つかったときの心境ってきっとこんな感じなのだろうか。もう恥ずかしくて、恥ずかしくて顔があげられない。
 村田に半ば無理やり一緒に観賞しちゃったとはいえ、見てそれなりに勉強をしていたのは事実だし、おれかなり欲求不満っていうか猿だと思われていたらどうしようかと思うとそれこそいますぐスタツアしてベッドにもぐりこみたい気分だ。
 普段となんら変わらない彼の声音が一層自分が恥ずかしいことをしでかしていたような気がして、本当に恥ずかしくてたまらない。
「……飽きれた? おれのこと。べつにコンラッドのキスに不満があるわけとかじゃないよ。でも、おれだって男だし、たまにはリードしてみたいっていうか……」
 言えば、コンラッドがテーブルに設置してあった相向かいの椅子をおれの隣に寄せて背中を優しく撫でてくれた。おれの羞恥心を和らげるように。
「飽きれるわけないでしょう。むしろ、そこまで俺のことを想ってくれたことがとても嬉しいです」
「本当に?」と聞くとコンラッドはさきほどとは違う甘い笑みを浮かべて「ええ」と答えた。
「ねえ、ユーリ。キスの復習しましょう?」
 コンラッドの手がおれのこみかみの髪をさらりと誘うように梳く。
「……やっぱりこういう展開になるのか」
 そう答える自分もいつの間にか甘い彼の仕草に煽られてしまったのか、声音が幾分普段よりも甘くなっている気がする。
 コンラッドはキスもうまいが雰囲気を作るのも、くやしいくらいにうまい。おれもまあ、いいかな、なんて気分にさせてしまうのだから。
「いいじゃないですか。あなたにもう数日も触れてはいない。本当はもう限界なんですよ」
 髪を梳いていた手が、意味ありげにおれの下唇をそろりとなぞる。
 もうどこにも抗う気力はなかった。いや、最初からこういう展開になることを頭の片隅で思っていたのは事実だ。本当は、こうされるのを望んでたのかもしれない、おれは。そんなことを言うほどおれも大人になれないので黙っていたけど。
「さあ、教えて? ユーリ」
 もう、勉強も復習もどうだっていいや。コンラッドの声におれは抗えない。
 おれは返事をする代わりにかしり、と彼の指を柔く食んだ。


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