■ 僕はどうあってもあなたのことが好きです

 ――本当に自分がやっていることは正しいのか。
 そんなことを考えるようになったのは、魔王に就任してからだ。
 提示された選択はいつも自分でしか選べないものであり、自分個人だけの責任ではない。決めた選択が国を多くのひとの人生を左右する。
 自分はきっとひとの命を選択しているのだ。
 自分で決断した選択次第で多くのひとが泣き、苦しむ。大切なものを失う。そう思うと選択することが怖くてたまらなくなるが、それでも選ばなければいけないのが一国の主の責任なのだろう。決断したそれが良くても悪くても自分が王である限り逃れられないことなのだ。
 後悔しない選択などないことを理解したうえで選ばなければいけないことがある。
 ――わかっている。
 わかったうえで自分……渋谷有利は第二十七代魔王に就任したのだ。
 けれども情けないことに、選択するたびに声やからだが震えてしまう。きっと、どんなに月日が過ぎようとも自分は選ぶことに慣れることはないのだろう。
 さきほど終えた執務だってそうだ。最後に目を通した書類はいままで魔族を敵対視していた国との討議を許可するもの。自分が目指す国の在り方。そして世界は魔族と人間が互い種族を差別することなく平等で平和な世界を築くことではあるが、もう何千年とお互いを敵対してきたのだ。刷り込まれてきた憎しみを数年で払拭することなどむずかしい。ようやく、会合ができるまでの関係になったとはいえ、今回の討議の結果次第では、さらに国同士の関係が悪化することも考えられる。最悪、戦争ということになるかもしれない。たった紙切れ一枚。サインひとつで、運命は大きく変わる。
 最後に書いたあのサインは見るからに文字が震えていた。
 有利は、どっかりと自室のソファーで横になり、クッションにかおを埋め、じわじわと胸を浸食する恐怖に耐えているとコンコン、とドアをノックされ埋めた顔をあげて返事を返す。
「失礼します。今日も執務お疲れさまでした、ユーリ」
 部屋を訪れたのは、コンラッドだった。
「……うん」
 やわらかく緩められた目元と声音に不覚にも泣きそうになる。
 コンラッドは、ずるい。ふだんは仕事が終わっても自分のことを『陛下』と呼ぶくせに、こういうときは素直に自分を『ユーリ』と言う。こちらの心境を察しているように甘やかしてくれる彼がずるい。
「今日はハーブティーにしてみました」とワゴンに乗せて持ってきた紅茶を差し出してきたあたりからして、やはりコンラッドはわかっているのだろう。淹れてくれたハーブティーは以前、鎮静作用があると教えてくれたものだった。
「……ありがと、あとでもらうよ」
 だがいまの自分はソファーに投げ出した肢体を起き上がらせるほどの余力がない。せっかく淹れてもらったのにと申し訳ない気持ちにはなったが、いまコンラッドを目にしてしまうと泣いてしまいそうな気がした。
 有利が紅茶を断れば、それ以上お茶や菓子をコンラッドは進めることはせず「そうですか」と言ってふたたび紅茶をトレイに乗せた音がし、ふいにあたまを撫でられた。
「大丈夫ですよ。ユーリがどのような選択をして結果が出たとしても、おれはあなたについていきます。……たとえ世界を敵にまわしても」
 若干、くさいとも思えるセリフ。
 コンラッドの声音は軽くて、冗談にも聞こえるがそれでも本心からそう言ってくれているのだと感じることができる。
 こちらも表面上であれ、軽口を叩いてやろう。普段通りの自分をコンラッドに見せようと思うのに、そんな自分の思いとは裏腹にことばが出てこない。代わりに喉の奥から熱いものがせりあがってくる。
 どうにも表現できないものが溢れだしてくるのを奥歯を噛んで殺し、有利はひとつ息を吐いてようやく口を開いた。
「……うん」
 言えたのはたった一言だけだった。でも、その一言に自分の言いたい思いはきっとコンラッドには伝わったのだろう。うつ伏せにソファーに横になっている自分のとなりへと彼が座り、あやすように頭を撫でた。
「ユーリ、顔をあげて」
 頭を撫でながらそう問いかけるコンラッドに有利は無言で首を横に振る。
「まえに言ったでしょう? 俺の腕の中なら泣いていい、と。あなたは確かに王ではあるけれど、それ以前に『人』だ。だれと比べられることもない『人』。たまには弱音を吐いたって、泣いたっていいんです。それを咎めるひとなどいません。……もし、いたとするなら俺はどんな相手だろうと許しません」
 言いながら、有利の頭を撫でつけていたコンラッドの手は下降してクッションと顔のあいだに入り込んで有利の両頬まで滑らせるとゆっくりと顔を持ちあげた。
「ユーリ。大丈夫、ですよ」
 こちらにまっすぐに向けられた笑みがあまりにもやさしい。
 そうして、とうとう堪えきれない涙が堰をきったように溢れだして、有利はいきおいよく目のまえの男の胸に顔を押し付けた。
『魔王』になることを、自分の背中に多くのひとの命を背負う覚悟を決めたのは間違えなく自分だ。けれど、きっと自分の覚悟と意志だけではいま抱える恐怖にとっくに押しつぶされていただろう。
 だが、こうして『王』として現在もいられるのは怖くて、苦しくても自分を命を預けてくれる人々となによりこの男がいるからだ。
 自分の泣く場所をくれるコンラッドがいるからだ。
 背中に腕をまわし、ぎゅっとちからを込めれば同じようにコンラッドもまた強く抱きしめてくれる。
「ユーリはひとりじゃないですよ」
 コンラッドのことばひとつひとつが胸に沁み込んでくるのを感じながら、自分はときおりしゃっくりをまじえながら泣き続ける。
 ひとしきり泣き終えたらまた、前を向こう。
 そして選択し、決断していこう。
 へなちょこな魔王でも、これは自分にしか選べないことで責任なのだ。魔族も人間も混血もだれもがしあわせだと思える未来を目指して決断をし続ける。
「……ありがとう、コンラッド」
 ここでようやく自分の意思で顔をあげ、彼の顔をみる涙でぐちゃぐちゃだが、見上げた瞬間コンラッドは「やっとあなたの笑顔がみれた」と前髪をすいて額にキスをした。
 名づけ親で、護衛で――恋人のコンラート・ウェラー。彼の存在が自分を強くしてくれる。

END
(title 衡行)

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