■ TEKUTEKU

 ユーリは、外出するのが好きだ。彼の住む魔界にはないものがたくさん溢れているという。コンラートには当たり前に見える退屈な光景だが、淫魔であるユーリと暮らしはじめてからは、なかなかこの街で生活するのも悪くない、と思うようになっている。
 ユーリと暮らしはじめて、自分は以前より素行が良くなったとちらほら言われるようになった。そういわれるほどに、悪かったのかとヨザックに問うと腹を抱えて笑い「なんていうか、偽善者ぽいっつーか機械みたいだったな」と答えた。
「素行はたいして変わってない。人間っぽくなったよ、アンタ」


「……」
「ん、コンラッドなにかいった?」
「いや、なんでもないよ。ユーリは準備できた」
 クローゼットまえの姿見の鏡に立つ少年に視線をうつす。ニット帽子に丈のながい上着はユーリの外出時の必需品だ。ニット帽子はツノを。上着は尻尾を隠すためだ。地球には害のない悪魔が多く存在していることは人々の一般知識にある。けれど、それは知識の奥へとしまわれて、実際に悪魔を目にした人間の目は厳しいものだ。数百年と培われた偏見というのは、そう簡単に払拭できない。ユーリにもそれがわかっている。だから、隠す。
 コンラートは、窓を開けた。すっと冷たい風が頬をなぞる。しかし、すぐに窓をしめたくなるような肌に刺さる寒さではない。もうすこし陽があがればあたたかくなるような雰囲気がある。
「……ユーリ、今日は練習してみる?」
 尋ねると、ユーリはぱっと目を輝かせてニット帽子をはずす。
「いいの!?」
「体調がよければ。でも、ニット帽はちゃんと持って行ってくださいね」
「おう!」
 はしゃいでいまにもぴょんぴょんとうさぎのように跳ねそうだ。
 ユーリがとことことこちらに近づいて、嬉しそうに微笑む。自分よりも身長が低い彼が見上げる仕草は無意識に上目づかいになってその愛らしさに思わず頬が緩んでしまいそうになる。
 警戒心がまるでない、ユーリの頤を掬い、口唇をあわせた。ふくり、とした弾力に少年の腰に手をまわして引き寄せたくなるのを理性で押しとどめた。ユーリが袖を掴む指先に力がはいったのがわかった。
 一度はなし、もう一度。バードキスを繰り返し、離す。
 ユーリが味わうように下唇を舐めて、笑う。
 妖艶な雰囲気に理性が崩れそうになるのを、笑顔で隠してコンラートは尋ねた。
「どう?」
「ん、今日は調子いい感じ」
 わずかに甘さをふくんだ声音と威力を増した魔力にコンラートの背中がぞくり、とあわ立つ。コンラートの腕を掴む手の力が一層強くなる。苦しそうに喘ぐような、呻く声は何度聞いても慣れない。
「あ、あ……っ」
「頑張って、ユーリ」
 なにもできない自分ができることは声をかけることぐらいだ。徐々に悪魔の象徴であるくるりとしたヤギを彷彿させるようなツノが、小さくなり――ふっと視界から消えた。同様に、猫や犬のように感情を表現する長いしなやかな尻尾も消えた。
「っおっしゃ! できた、コンラッド!」
 ツノのあった部分をたしかめるように、ユーリは何度も頭をさする。
「いつもあるものがないというのはなんかへんな感覚があるな、やっぱ。どっかおかしいところない?」
「ないよ。とてもかわいい」
 いうと、ツンと唇を尖らせた。ユーリは、かわいいと言われるのが不服らしい。どちらかというと、格好いいといわれたいらしい。お風呂上がりに、髪の毛をオールバックにしていたこともある。(その姿も正直格好いいというよりはかわいかった)なんとか彼を宥めて、すこしマフラーの位値を直してあげる。
 悪魔はその気になれば、ツノや尻尾を魔力で消すことができる。けれど、それには常に魔力を消費し続けなければならない。消費、と言ってもごくわずかなもので本来であれば使っているのかいないのかわからないほどごく微量なもの。しかし、ユーリは変身についてコツをつかめずに魔力をすぐに消失してしまって、一定の時間になるとまた悪魔のすがたに戻ってしまう。
 春先までには、一日中外に出ていても平気なように練習をしているのだ。
 ……だが。
「……はあ」
「どうしたんだよ、ため息なんてついちゃってさ。そんなに心配しなくても、春までにはどうにかするから安心してよ」
「ええ」
 もちろん、彼が変身するたびに苦しそうな表情を浮かべるのをみて心配にはなる。けれど、それ以上に率直にいえば――ムラムラとしてくるのだ。このまま口唇を舌で割って、小さな舌を捕え吸い上げてみたいとか、腕を掴みベッドに放り投げて思うさまからだを蹂躙してみたい。ユーリが魔力を使うまでもなく、彼の自然な動作に好感を覚えたり、欲情してしまう自分を毎回理性で宥めるとこちらもこちらで体力を消耗する。
「今日は、買い物だよな。なにか帰りに屋台で買ってもいい?」
 コンラートが悶悶としているなか、ユーリは無邪気な顔でそんなことを言う。彼にとっては接吻は食事で愛の行為とは違うのだ。それゆえに、簡単に唇を許してくれるのだろうが、どこか悔しい気持ちもある。
 ユーリは、恋愛に関してにぶそうだからなあ。思いまたため息をつきそうになってコンラートはきゅっと口をむすぶ。
 悔しいと思うほどに自分も行動していないのだから、彼に八つあたりみたいな思いを持つのはいけないことだ。
「ぼんやりしてないでほら、コンラッド! はやく行こうぜ!」
 外へ出たくてしかたがないのだろうユーリが、コンラートの手をとった。
 彼の手は、自分の体温より高くて、やわらかい。その手をそっと握りかえす。だんだんと日が暮れるのははやくなり、肌にふれる風はつめたくなってきている。
 そのずっとさきに、とてもちかくにあたたかな春があるのをいままで考えたことはなかった。なにも感じず、無意識に受容して一日を過ごしていたが、いまは毎日がたのしくて、毎日がこわい。ユーリといるのがたのしい。でも、いつか自分の目の前から消えてしまう日がとつぜんくるのではないのか。疲れて、深い睡魔に誘われて眠りに落ちてもふとユーリがいない部屋が夢に出て目が覚めたことが何度かある。
 まだユーリと出会って半年もたっていないのに、コンラートの部屋も世界も彼で埋め尽くされている。
 明日なにが起こるのかわからない。怖くて――それでも、それ以上にたのしみで。
「ああ、こういうことか」
「は?」
 自分にもあった錆びてしまったたくさんの歯車の感情。わすれてしまったモノがいま、ゆっくり動きだそうとしている。
「人間っぽいってこと」
「あたりまえだろ。だっておれいまツノも尻尾もないもん」
 小首をかしげるユーリに「そうですね」とコンラートは答えた。
 ふたりで手を繋いだまま、扉をあけ、冷たい風を全身で感じる。
 この冷たい季節のさきにあるあたたかい春。ユーリは、あたりまえのように春先のことをはなしていた。
 来年の春は、いまのようにユーリが隣にいてくれたらいい。
「ユーリ、一応のためにもう一回キスをしておこう」
 彼の返事も聞かずに唇を掠めとる。
 いつか、この気持ちが伝わりますようにと願いを込めて。


END

僕らは冷たい季節を歩く。ゆっくり、手を繋いで。

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