■ mellow


「これおいしいなー!」
「……そう」
 偏食がないことはいいことだと思う。
 コンラートの目の前で豪快かつ元気よく美味しそうに、パンに肉、スクランブルエッグ、サラダに手をつける少年はみているこちらまで気持ちよくなる。
 ……が、不満だ。
 たいへんコンラートは不満だった。
「ごちそうさま! グウェンの作るご飯は本当においしいな!」
 コンラートとは対照的に、ご機嫌に少年は腹をさする。
「……ユーリ、まだなにか食べる?」
「いや、いい。もうお腹いっぱい」
 ユーリの後ろにふりふりと右左に揺れる尻尾が映る。その動きからしても、彼の言動にうそはないようだ。それが余計にコンラートの機嫌を下げた。
「朝から憂鬱そうだな」とユーリは小首を傾げる。「昨日はよく眠れなかったからかな」とコンラートは適当にうそをつく。
 ……まったく馬鹿らしい。
 蟠る気持ちをぬるくなったコーヒーで流し込み、コンラートは窓のそとへと視線を移した。開口されている窓からは風に乗ってたくさんの音が聞こえる。今日が始まる音だ。
「あのさ、コンラッド」
「なんです?」
 視線はそのままに、返事をするとユーリは控え目な声音で言う。
「おれと一緒に寝るのがいやなら、べつにおれソファーで寝てもいいよ。居候だし」
 想定外のことばに驚いて、ユーリのほうに再度視線を移した。目が合う彼は居心地が悪いのかそっと目を逸らした。
 ユーリと出会ったハロウィンの夜、彼を連れて自宅へ帰るとやはりグウェンダルとヴォルフラムに色々と言われたがそれでもどうにか「……まあ、悪魔を使い魔としている者もいるしな」というグウェンダルの一言でユーリは一緒に住むことができるようになった。頑固で融通がきかないといわれるグウェンダルの心を動かしたのはほかでもなくユーリだったのだと思う。ユーリがあまりにも真っ直ぐで純粋だったからだろう。グウェンダルが了承すれば、兄を一番に慕う末弟のヴォルフラムはもうなにも言えない。若干、不服そうではあったが「コンラートの趣味の悪さはいまに始まったことではないからな」とヴォルフラムも許してくれた。口ではヴォルフラムも皮肉めいたことも言っていたが、ユーリとの相性はとてもいいようで、ことあるごとにふたりで出掛けたりもしている。性格上友達が少ない弟を心配していた兄たちにとってはうれしいことだ。 一応ではあるが、順調にみな新しい生活にも慣れはじめてきた。なにより、変わったのは自分自身だとコンラートは感じている。
 自分の部屋で一緒に過ごすというのは、少なからず不満やストレスを抱えるものだが、ユーリと過ごしてきてそのように感じたことは一度もないのだ。むしろ、自然ともいえるほどに違和感がない。ベッドもふたりで寝ている(念のために言うが、性行為はない。)が、寝れないということはない。むしろ、ひとりで寝ていたときも深い眠りにつくことができる。
「いや、べつにベッドが窮屈なわけじゃないのでこのままでいいです」
「じゃあ、なんで最近そんなに不機嫌なわけ?」
 不満そうにユーリが尋ね、コンラートはまた口を噤んだ。
 こんなこと言えるわけがない。
 穏やかであった室内に神妙な雰囲気が流れる。壁かけの時計の針がカチカチと大きく響いた。
 漂う雰囲気にさきに口を開いたのはユーリだった。
「あーそうですか。そういう態度とるワケ? あんたっておれのことに関してはなんでも知りたがるくせに、自分のことになるとすぐにだんまりを決め込むよな。そりゃ、おれはあんたに養われてる身ですけど、こういうのってフェアじゃないと思うんだよ。っていうか腹立つの! いいよ、あんたがそういう態度決め込むってんならおれだって考えがある!」
 勢いよく席を立ちあがり、ポールハンガーから上着を掴む。
「なんにも言わないあんたが悪いんだからな! あんたが本当のことを言うまでおれは口を聞かないことにする!」
 じゃあね! と、怒り口調でわざと音を立ててドアを閉めた。ヴォルフラムを呼ぶユーリの声がする。おそらく、これから自分の愚痴でも聞いてもらうのだろう。ヴォルフラムも以前ユーリと同じようなことを言っていたから意気投合してかなり盛り上がりそうだ。
 思わずため息がこぼれた。
 口を噤んでしまうのはもう、癖だ。言っても言わなくても結果は同じなのだろうと思うとなら最初から言わなくていい。言って幻滅されるのは面倒だ。……それに今回の件については自分勝手な思い。羞恥心も強くある。
「……なにを考えているんだろう、自分は。こんなこと考えたこともなかったのに」
 とりあえず、頭を冷やさなければ。
 コンラートはテーブルに残された食器を片づけると、ユーリと同じようにして上着をポールハンガーから外して、部屋をあとにした。
 奥の部屋からは、ヴォルフラムとユーリの声が聞こえた。



 通勤時間を過ぎた街はすこし静かだ。時間がゆったりと流れている。
 コンラートの住む場所は都会というほど活気のある街ではないが、田舎と言われるほどでもない。そのあいだにあるような街だ。
 大通りには様々な店が並んでいる。街をぶらりと徘徊をしながらユーリが興味を持ちそうなものを探す。彼をモノで釣ろうなどは考えてはいないが、はなすきっかけになればとは思う。なにか、きっかけがないと話しかけることができないくらいさきほどのユーリのことばに不安を感じている自分に自傷的な笑みが浮かぶ。
 ユーリといると楽しいがそれと同じくらい情けない己の本性がかいまみえる。
 好き――かもしれない、と自分から想いを寄せることは、はじめてで正直どうしたらいいのかわからない。
「――あら、ずいぶんと後姿が哀愁が漂ってるんじゃない?」
 突然、後方から声をかけられた。どこかひとをばかにするような口調。
 コンラートは顔をしかめた。電車にでも乗って今日は遠出すればよかった。今日は本当に朝からツイていない。
「コンラート隊長さんよ」
「その呼び方はやめろ。……ヨザック」
 肩を叩かれ、やっとコンラートは振り向いた。ニタリ、と口元を歪めた笑みはこれこそ悪魔という微笑みだ。
「会いたくなかったって顔に出てるぞ」
「言わなくても伝わるなんて、おめでたいことじゃないか。俺の顔に書いてあることは真実だ。さっさとどこかへ行ってくれ」
 言うが、コンラートが予想をしていたとおり、ヨザックは聞かなかった。ただいつものように笑ってみせる。なんでもないように、笑う。コンラートの気分を知っていて笑うのだ。
 グリエ・ヨザック。彼もまた自分と同じくエクソシストだ。しかしヨザックはコンラートのように実践で悪魔と戦うことはあまりない。ヨザックはコンラートの兄であるグウェンダルをとてもよく慕っていて、グウェンダルの下で悪魔の情報を集めるのが主な仕事だ。風のうわさがグウェンダルの耳に届き気になるものがあれば、すぐにどんなに遠い国でも飛びかい、的確な情報だけを拾い集める。また、その国々にいる悪魔の特徴も大まかにリストにまとめる。見かけはちゃらんぽらんに見えるがとても仕事ができる男だ。
 それとヨザックは、ひとの距離をはかるのもうまい。ひとそれぞれ、ひとつの感情にのまれてしまうときがある。そんなときどのように自分と接してほしいのか対応してほしいのかというのがあるものだ。笑い飛ばしてほしかったり、叱咤してほしかったり、ほっといてほしいなど色々とある。それが、ヨザックはできる。ヨザックのことを悪友と呼んでしまうくらい彼に憎らしいと思うときもあるが、それでも長く関係が続いているのは、ヨザックができた人間だからなのだろう。
 本人には一生言うつもりはないけど。(言ったら最後、上機嫌になって酒の席になるたびにべらべらとはなしをするからだ)
「数多くのエクソシストを束ねた隊長もとい、夜な夜などんな女も一発で仕留めちまう夜の帝王さんは、小悪魔ユーリちゃんに頭を悩ませてらっしゃるんで?」
 さすがは、と言うべきか三か月はこの国にいなかったのにもうヨザックの耳にはユーリのことは届いているようだ。
「閣下からユーリちゃんのことは聞いてますよ。ひとに興味を持たない隊長が、過保護だと思うくらいに構ってるそうで。……隊長が、ひとのために頭を使うなんてめずらしいですね」
「ひとのことをさらりと人でなしのように言うな」
 強く否定ができるほど、できた人間でもないが。所詮、上辺だけの人間だ。
 閣下とヨザックが呼ぶのはグウェンダルのことだ。家が昔貴族呼ばれる身分の家柄であったと現代まで伝えられていることと、ヨザック個人がグウェンダルを崇拝していることから閣下と呼ぶのだそうだ。グウェンダルは一見、近寄りがたいなにも言わずとも相手を威圧している雰囲気を漂わせている男だが、情には熱く信念を貫き、仲間を大事にする。口数はすくないが、少ないぶん余計なことは言わない。グウェンダルを一言で表すなら男のなかの男、だろう。
 そんな男の憧れとも言える彼は、今日も仕事の合間をぬってせっせと編みぐるみを作っているのだろうかとぼんやりと考えていると、現実に引き戻すようにヨザックが肘で脇を突いた。
「で、ユーリちゃんのなにで悩んでるのさ、アンタは」
 ひとどおりはすくないとはいえ、いないわけではない。道の真ん中で大の男がふたりはなしこんでいる姿はひとの目をひいた。
 コンラートは、今日何度目かのため息を吐き、場所を移動するようヨザックに視線を送る。ヨザックは意地の悪そうな笑みのまま歩きだす。どこに行こうとは口にはしていないが、このさきにあるのは毎回ふたりでくる酒場と喫茶店がある。昼に酒屋が開店していることはない。となれば、必然的に選択肢はひとつ。
 古びたドアを開けると、カランカランと出迎えの鐘がなり、コーヒーの香りがふたりの鼻孔を擽った。
「いらっしゃいませ」
 喫茶店に入る。今日はなにをすることもない。ここのコーヒーはおいしい。案内された席へ歩を進めながら注文しようと決めながら、このあとヨザックにいろいろと聞かれるのだろうとコンラートは思った。



 コンラートはコーヒーを注文し、ヨザックはコーヒーとハムサンドを頼んだ。サンドウィッチを大口でかぶりつきながら「……で?」とヨザックは、はなしを切り出す。
「淫魔ちゃんとの夜の営みが激しくてつらいの?」
「……太陽がまだ出ているとのに、おまえは下品なことばがよくためらいもなく出るな」
 たしなめて、コーヒーを啜りコンラートは「そうじゃない」と答えた。
「ユーリとはそういうことをしていない」
 ヨザックに言ったとして他言することはないと思いコンラートは渋々と言う。
「へえ! コンラートが!」
「うるさい」
 馬鹿にはするとは思っていたが。
 コンラートは長兄のように眉間にしわをよせ、わざと音をたててコーヒーを啜る。
「……若いころは、誰構わずということはあったが、いままでの付き合いは流れでそういうことになっただけだ。そこまで俺はふしだらではない。……ユーリと恋人になったわけではないし」
 一応、表面上ユーリとの関係は『エクソシストとその使い魔』だ。もちろん、ユーリもそれを承諾している。
 コンラート個人が好意を寄せていても、ユーリに告げるようなことはいまのところ考えてはいない。ユーリにとってコンラートは人間の友達でしかない。
 まあ、普通友達にキスをするということはしないだろうが、ユーリがそのことを知らないのならそのままにしておこうとコンラートは考えている。
「ユーリはインクブスではあるが、その性質をよくわかっていない。それにあの子はまだ十六歳なんだ。どうこうしたいとは思ってないよ」
 言うとヨザックは「うそくせえな」と喉奥でくつくつと笑いを噛み殺した。
「でもどうこうなりたいとは思ってるくせによ。じゃなきゃ、アンタが同室を許したりしねえだろ。……まあ、いままでひとに心を開くことをしなかったコンラートが、いまさら自分と感情を相手に向けるのはむずかしいかもしんねえな。だけど、はなしあいは必要だぜ」
 サンドウィッチをぺろりと平らげて、コーヒーを飲みヨザックは言い、コンラートの背中の後ろにあるドアを指さした。
 嫌な予感しかしない。
 耳を澄ませ、足音を分別し神経を研し――思わず、目の前の男の顔を殴ってやりたくなった。「おお怖い」と肩をすくませるヨザックはとても楽しそうだ。
「オレが任務から帰った途中でアンタに会ったからってはなしこんだりするか? 閣下が待ってるっていうのに。閣下に報告して、ユーリちゃんのことを詳しく聞き、小悪魔ちゃん本人に会ってるに決まってるって。そんなことにも気がつかないなんて相当いまアンタの頭んなかはユーリちゃんでいっぱいなんだな」
 すこしずつ足音が近づいてくる。その足音にはわずかに怒りが含まれていた。
「ユーリちゃん、いい子じゃねえか。オレの趣味じゃないが、オレの好きなタイプだ。大切にしてやれよ」
 言われなくてもそうしているつもりだ。



 それから数分もしないうちにユーリが、喫茶店に現れた。くるんとした大きなツノは黒ニット帽子で隠し、すこしサイズの大きいパーカーのなかに尻尾は隠しているようだ。手には紙切れを掴んでいる。おそらく、ヨザックに手渡されたこの喫茶店までの地図だろう。不機嫌そうに口をきゅっと一文字に結んでいる。
 しかし、ヨザックが手を振るとわずかに顔をほころばせた。自分がいない間にずいぶんと交流を深めていたようだ。
「一時間ぶりだね、ヨザック!」
 自分の横を素通りし、ユーリはヨザックにはなしかけた。しかし、自分もユーリも互いのことを意識しているのはわかる。ヨザックにもそれがわかるのか、苦笑いを浮かべユーリの頭をぽんぽんと叩き、視線をこちらに移して「ユーリちゃん、怒ってるぞ?」と目で合図する。コンラートは同じように「わかっている」と目で訴えそれから「本当に余計なことをしたな」と瞳に力を入れた。
 ヨザックは伝票を一度取るとひとりぶんのコーヒーとハムサンドの代金をテーブルに置く。テーブルに置かれた金をみてユーリもヨザックが喫茶店を出ることを悟ったらしい。
「もう行くの?」
「そんな顔しないでくださいよ、小悪魔ちゃん。さきに閣下のいる家に戻るだけです。それに坊ちゃんはこいつとちゃんとはなしがしたかったんでしょう?」
 そこまで言うと、ヨザックはユーリの肩を抱きコンラートに背を向けた。わかりやすい内緒はなしだ。
 ユーリが、自分以外の男と肩を抱いている姿を見るのは気分が悪い。だが、それを言う勇気が自分にはない。底が見え隠れしていているコーヒーをすくう。なんでもないようなそぶりを無意識にしている自分はとても滑稽だ。
「それじゃあ、おふたりさん。楽しい一日を!」
 あえて最後にことばを残していくのがじつにヨザックらしい。あとから来たユーリは、左右に視線を泳がせながらゆっくりと椅子に腰をかけた。
 朝の延長戦みたいだ。室内に穏やかに流れる曲が壁掛け時計の針にかわっただけでなにもかもが静かにときの流れをふたりに教える。
「……で、教えてくれないの?」
 そして今回もさきに口を開いたのはユーリだった。コンラートはユーリを見たが彼はヨザックが残した空になったハムサンドの皿をじっとみていた。一文字にしていた唇がうっすらと開き今度は下唇を前歯ですこし噛んでいる。
 たぶんそれはユーリの無意識の仕草なのだろう。元々の性格というのもあるのだろうが彼はまだ少年だ。自分よりも一回り幼い子になにをさせているんだろう。
「ヨザックには言えて、おれには言えない?」
 小さく呟くユーリの声は怒りというよりも寂しさがあった。
 こんな顔させたいわけではないのに。
「……本人には言いづらいとは思ってはいます」
「本人ってやっぱりおれのこと?」
 不安そうにユーリがコンラートの顔を見る。コンラートは頷いた。
「ユーリは……なぜ、ちゃんとした食事を摂ろうとしないのですか?」
 コーヒーが空になったのに気がついて、いれにきたホールスタッフがコンラートにおかわりを聞き、コンラートは頷きユーリにメニュー表をみせた。「なんでも頼んでいいですよ」と言うとユーリは周りを見渡して窓際でおじいさんときている幼女と同じものがいいと答えた。
「あと、チョコレートパフェを追加で」
 スタッフは「かしこまりました」と仕事用の笑みを絶やさずに伝票も持ってテーブルをあとにし、ユーリは「ご飯食べてるよ」と言った。
「朝も食べてただろ?」
「でもそれは、あなたの適切な食事ではないでしょう。……キスをあんまりしようとはしないじゃないですか。それは、なぜ?」
 ユーリがここに暮らしはじめてもう数日は経っている。けれど、食事――キスをねだったことはたったの三回。するたびに満足そうな顔をしていたのに一体なぜなのか。コンラートはずっと気になっていた。
「それは……」
 ユーリはことばを濁らせ、それから「人間のご飯もおいしいし代用できるから」と言った。
「人間のご飯のほうがキスよりおいしい?」
「いや、キスのほうがおいしいけど……」
「では、なぜ?」
 ずっと聞きたかったこと。いざ口にすると止まらなくなり、責めるような口調になってしまいコンラートはふつふつと高ぶり始めた感情を落ち着かせるようにコーヒーを口にふくんだ。
 またどちらともなく口を噤み、ぎこちない空気な流れになると絶妙なタイミングで注文したチョコレートパフェが運ばれてきた。ユーリはその瞬間目をきらきらと輝かせていたが、コンラートと目が合うと表情を曇らせ、チョコレートパフェに手を出そうとはしない。
「いいよ、気にせずに食べて。アイスが溶けてしまう」
「でも……」
「俺が気にし過ぎただけですから。ユーリがいまのままでいいならそれでいいです」
 大人げないことをしたな、と思う。
 キスをしないのは、きっといろいろな食べ物に興味があるからだ。おそらく、キスを嫌いになったわけではない。……そう、思いたい。
 ユーリはそっと柄のながいスプーンを持つとひとくちチョコレートのかかったアイスクリームを口に含んだ。
「……おれだって気にしてるんだ。あんたは遠慮なくいつでもおれが好きなときにキスをしていいって言ったけど、あんたは毎日仕事をして疲れてるじゃないか」
「疲れるけど、それとキスとなんの関係があるんですか?」
「キスって、体力を使うもんなんだぞ」
「……は?」
 予想もしていなかったことばに思わず呆けた声がこぼれる。
「一分間キスしていれば、およそ六キロカロリー。一時間もすれば三百六十キロカロリーを消費するんだ。人間同士がすると。悪魔とするとその倍以上は消費されるの」
 言われて、どうしてユーリがキスをねだらなかったのかやっと理解した。そして思わず笑みがこぼれた。
「ユーリは俺の心配してくれたんですか?」
「あったり前だろ!」
 ユーリの声が大きくなる。だが、ひとの目に気付いたのか、ちいさな声ではなしをはじめた。
「コンラートの仕事がきついのをおれはちゃんと知ってる。おれのわがままであんたに迷惑をかけるようなことはしたくないんだよ。わかれよ、それくらい」
「そんなの言ってくれなきゃわからないじゃないですか」
 苦笑まじりで答えれば、ユーリもまた「それはおれだってそうなんだよ」と生クリームの山をくずした。
「心配してくれてありがとう。でも、俺はそんなこと気にしてないですよ。たとえ毎日あなたに何十回キスをせがまれても仕事に支障なんて出ません」
「なんで言いきれるの?」
「……ユーリとキスするとね、満たされるんです。それに、またしたいって思う。するためにはどんなことがあったって生きてみようって思うんです」
 舞い上がった感情は食道と伝い、ことばとなって溢れてくる。そこに、恥ずかしさなんてもうなかった。
 いままでどんな気持ちも胸の奥底にしまっておこうと思っていたのに、いまは彼に自分の気持ちを知ってもらいたいと思っている。
「コンラッドは人間なのに?」
「人間には特別な感情があるんですよ。俺もいままで知らなかったけど、からだがどんなに疲れても心が満たされるとからだも元気になるんです」
「……よくわかんない」
 ユーリは首を傾げた。頬についた生クリームを拭い「悪魔であるあなたにもきっとあるものです。それが自分と同じだと、とてもうれしいな」と指についたそれを舐めとった。
「さっきのあんたのことばは本当?」
「ユーリにはうそをつきません。それに最近太った気もします。ダイエットのためにもユーリに協力してほしいな」
 ダイエット、と聞いてユーリは吹きだすように笑い声を立てた。
「コンラッド、気にしてるの?」
「もちろん、ずっといい男でいたいからね」
 あなたが、いつか好いてくれるようないい男に。
 ユーリに伝えたい想い。でもやはりというのか、最後のことばはコーヒーとともに飲み込んでしまった。
 大人になると、億秒になる。
 自分でも、もどかしいと感じる。けれど、いつか言うつもりだ。たくさんの想いを積み重ねたぶんだけきっとなによりも真実になる。
「ユーリ、家に帰ったらキスしましょう」
 いまは、言えないことばを彼の食事にたっぷり込めていこうと思う。
 
END

 帰り際、ヨザックにあのときなんて言われたですか、と聞くとユーリは「コンラートの悩みなんてどうせくだらないから安心してくださいよ」と言われたそうだ。「ほんと、心配してソンした」と笑うユーリに自分もつられるように笑ったのだった。




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