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さて、どうしたことだろう
この修羅場の痛々しい空気を



「あなた、何かあればいつも『それ』じゃない」



愛妻マトーニャからの冷ややかな視線を受けて、ドサンコフはその巨体をもじもじと縮こまらせる


あの青い炎を手にいれ、更に下りよりも険しい登り道を越えて戻った末がこれか、とムジュラは思う
自分がこんなにも苦労して叶えてやった獣人の望みは、いったい誰を満足させられたというのか
ドサンコフの心苦しさが、隣に立つムジュラの心にも強く染み入り、何のやましさも無いくせに、彼もいたたまれずに俯いていた



「だけんど…ほれ、おめぇ、雪の華が好きじゃろう?」


「好きなのはあなたの方でしょう…もう、雪の華と結婚すればいいんだわ」


「んん…?」



只でさえ丸い目をよくよく丸くして、疑問符を大量に飛ばしながら、ドサンコフは未だ大事そうに雪の華の小瓶を手のなかで擦っている



「ヤキモチ…じゃンか」



暖炉部屋の真ん中で、顔を背けるマトーニャと、俯くばかりのドサンコフの、その間に進み出てムジュラは指を立てる
長い袖からぴょこんと覗いたムジュラの人差し指に、二人はハッとし、注目し、そうして互いの目を合わせると、妙にキラキラした瞳で、頼んでもいないのに見つめ合い続けるのであった


くだらない、たった一言を間に添えてやるだけで解消され叶う願いの一方で
努力が踏みにじられるが如く、ドサンコフの手から、ぽん、と明後日の方向に投げ捨てられる小瓶


いつもならば、その事に憤慨するムジュラだが、そうではない
随分と清々しい気持ちで揺らめき放られる青い炎を、彼が笑って眺められたのは

人目憚らず抱き留め合いハートを飛ばしまくる夫妻の幸福感が、やはり自分のことの様に、胸に入ってくるからだ

不思議な感覚であった
何か、今はその目の前の二人の心情に敏感に影響されてしまう
それは彼の身の内を占めていた、『何か』が、抜け落ちたことへの代わりであった








「嬉しそうだね、ムジュラ」


「!?…オマエ」



弧を描き、落ちていった瓶を追っていった先
それをキャッチした少年の姿があった
少年は赤紫の装束を引き摺った出で立ち、今の人型のムジュラを丁度縮めた外観だったが、最たる違いは、顔を覆う仮面をしていることだろうか



「楽しそうだね、ムジュラ…すごく」



不気味な、抑揚の無い声と、表情の無い、毒々しい仮面


呼び掛けられたムジュラは目を奪われ、息を飲んだ

少年の周囲の空間だけ、何か異質であるように感じる
獣人夫妻には、見えていないのだろうか、と勘繰るが、如何せん、彼らも自分達だけの世界を形成していて参考にならない


少年は青い炎の瓶を両手に持ち、ゆっくりと暖炉部屋の正面扉に歩いていく
扉はひとりでに開き、少年をエントランスの方へ通す
ムジュラはそれらを理解して、咄嗟に少年を追いかけていた





「ねえ、お面屋さんの言っていたことを、覚えてる?」


「…忘れテナイよ」


「でも君は、確かに望んでしまったね」




誰かの欲と錯覚した結果か、彼自信の純粋な願いか
どちらとて大差はない
それをムジュラは知っていた



「う、ン……」


少年とムジュラは、冷たく凍り付いたエントランスの床を通り過ぎ、外の雪景色にまで踏み込む
外は夕空に染められ、無限に黄昏色が敷き詰められていた






「ムジュラ…僕が望んだことを、覚えている?」




緩い傾斜にさしかかるところで、少年は歩みを止め、ふらりと振り返った
顔はやはり、仮面
子供の彼の顔には大きすぎる仮面

ムジュラも立ち止まり、頷く
その表情は何も読み取れない、何も示さない無表情で、それはそのまま、目の前の少年の心だった




「ノロイの仮面のボクに、オマエが望んだんだ、ヒトの欲がホシイって、…このボクの欲さえも」







仮面の少年は、コクン、一つ頷き
一歩、二歩、戻ってくる

ムジュラに寄って行く







「僕に欲を差し出して、ムジュラ…それで君の役目はもう終わり」



「…ボクの…欲…」



「僕が君を自由にしてあげる、僕が全ての欲を食べてあげる、僕が全ての悲しみを無くしてあげる、それが」





それが


それが僕の最後の欲だったんだから



















「ちがう」






唇を戦慄かせ、喉を震わせたのは、少年のような弱々しい声だが、少年の方ではない







「チガウ…違う……ねぇ、ムジュラは、『僕』は、…本当はね」




ムジュラは、ひくひくと、縮む喉に言葉を阻まれながら
口隅を横に引き、言い聞かせるべきを紡ぐ
それは目の前の彼に、そして、自身に、自身を成す全てに









「本当はただ、愛されたかった、だけなんだよ、ネ」









ムジュラはサラサラと涙を流して笑った
鼻も頬も赤くして、しかし晴れやかに泣いていた

それは同時に目の前の少年の顔でもあった


悲しい魂が寄り添って、心を覆い隠して、多くを傷付けて、自分を守ってきた

こんなにも悲鳴を上げていて、ようやく気付いた








「ありがとう」






そしてずっと、気付かれたかった

六歩、七歩、そして白い足を雪上揃え、目の前に来た少年は瓶の蓋を開き、ムジュラの手を引き寄せた





「もう君の力は失われる、でも消えるのは君じゃない」



「…あ」




「僕はもう力を貸してあげられない、…だからコレをムジュラにあげる」





おもむろに、逆さまにされた瓶から、ムジュラの掌に炎は注がれた

あんなにも熱く感じた炎が、今はひんやりと冷たい
雪解けを手伝う春風のような心地好い低温でムジュラを撫でている
そこに、小さい手が添えられ、パチ、パチと燃え広がる

少年は青い炎に身を包まれ
ホロホロと灰になり消え


色の無い仮面だけが、さく、と雪上に落ちた






それを震える手で拾い上げて、仮面の表に、額を擦り当てる






「っ、…ひッ、く、ぅ…う」







遠い遠い昔
ハイラルとは違う、暗紫空の世界のこと
少年は魔法の仮面に言った
全ての人の欲が欲しい、その仮面の欲さえも
ムジュラは仮面になり、仮面もムジュラになった

もはやどちらがどちらかの区別もない

だからたった今、仮面だけを残し消え去ったのが誰かも分からない

男はわけもわからず涙が溢れて
哀しくて
哀しくて
哀しくて
仕方がないのだ

自分の望みを初めて理解した、己の半身、否、己自身が、もう心の何処にも感じられない






ただ独り残されたのではない
彼が孤独ではないと知っていたからこそ、青い力は託された










「ムジュラー!!」



空から降る仲間の迎えの声
淡い夕陽色の空に紛れて舞う赤竜は迷わずに彼に向かって来ていた


ムジュラは冷たくも優しさを湛えた手で頬を拭い、それに応える









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