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逃走の手引き
人知れずそれを望むなら





























彼女の存在は殊に、公にはされていなかった
影の宮殿に住まう光の少女
広く知れ渡れば、その光を求め利用しようと企む者はこの陰りの世界にも当然いるのだ






「えーと、君…エレ、?」


「自分はクレ、です」



黒衣の下に光を隠す女は、罰の悪さを誤魔化すように苦笑を溢す

彼女の存在は殊に、公にはされていなかった
しかしながら族長に近しい身分の者には必然的に知られる
族長と世話役の男の元、彼女はちょこちょこと着いて回るのだから必然
クレの目にも留まる
そして当然顔を覚えられ、名を知られることとなる




「イクサ様は此処には居られません」


「知ってるよ、俺いま逃げてきたところなんだ」


へらり、と笑って、姫の私室にあたるその場所の、バルコニーから、どうやってよじ登ったのか、侵入して
彼女は少し悪びれながらクレにそう説明する
そんな過激な内容も、少なからず彼の日常にも織り込まれつつあるので、特に言及するものではなかった
ただ少し、世話役の男の苦労を察する



「えーと…ミドナ姫は?」


広い部屋に足を踏み入れ、中を見回し、目的の部屋の主が居ないと知るや戸惑いがちにクレに尋ねた
彼は常に族長、ミドナの傍らに控えている印象があっただけに驚きがあったのだ


「…姫は湯浴み中です」


「あぁー、そっか」


彼女は手を打って頷いた
だから傍にいられないのだろう
いくら護衛が務めとはいえ、女の湯浴みに男は付き添えない

しかし何にも興味を示さないようなこの彼は、一体今どんな気持ちを無表情に隠したまま姫の湯上がりを待っているのだろうと、彼女は思い、微笑を溢した



「何でもいいや、ちょっと此処にかくまってくれないかな」


「………」


「やっぱり、駄目、かな?」


「……いえ」


クレはピクリと微かに跳ね髪を揺らし、少し反応したが歯切れ悪そうに、しかし色素の薄い目を彼女の顔の方に固定したまま言う
この無表情に黙ったまま凝視され続けては、何も悪いことがなくとも、大きく謝罪して逃げてしまいたくなると彼女は常々感じていたが、今はまだそんな時では無いらしい

クレが歯切れ悪い理由は大方予想がつく
恐らくは主が居ない部屋で何かが起こるのをよしとできないのだろう
彼女は察して言葉を付け足した



「姫なら許してくれると思うんだ…」


「それは解っています…ただ」



おや、と彼女の顔から力が抜ける
予想を裏切られたので、彼の抑揚の無い声の続きの為に耳を澄ませた



「此処に隠れるなら、すぐに発見されてしまうかと思います」


「え?」


「身を隠したいとお考えなら、適切な場所が他にありますが…」


「あ、案内してくれるの…君が?」


「はい、ご迷惑で無ければ」




開いた口の締まりが悪くなる
何故そう世話を焼いてくれるのか、否むしろ世話役からの逃亡という悪巧みに加担する行為
それに姫が戻って来るのを待たずしていいのか
疑問は多い場面であったが彼女の頭からはすぐに消え失せる




「迷惑なんか…!、お願いするよ、クレ」



黒衣の中で、彼女が笑顔を咲かす
クレは、眩しさに目を細めていくのが悟られぬように、頭を下げて一礼に変える


それから先導するように、クレが先を行き
彼女は黒衣を引き摺りながら、歩幅を二割増しで青髪の男の背を追った
















どうしてこんな場所を知っているのだろう、なんて愚問だろう
だが、彼女のそんな疑念を何処から悟ったのか、クレが勝手に喋り出していた


「此処はザントの書斎でした」


山積みになっていた書籍やら紙の束を、心なしか煩雑に寄せながら、人が居られるスペースをクレは見繕う

床から天井までを貫く本の塔がいくつも敷き詰められている
この影の住人の生きる地に、これ程紙に残された情報があるのを彼女は驚くのだが
それ以上に、書斎と称されたこの空間の広さが驚くべきこと

まずこの書斎への扉がおかしかった
何かの部屋と部屋の扉間の狭い壁、こんなところに扉などあっただろうかと一つ首を傾げたくなるようにそれは浮いていて
入ってみればこの広さ


漸く紙の山から姿を表した一人掛けのソファーを綺麗に整え、クレが彼女に座るように促す


「此処は複雑な呪印が施されているため、知らない者は知り得ない空間です」


「へぇ…、あれか、『知る人ぞ知る』」


「…はい」


ソファーに腰を下ろす彼女はどうも自分だけそうしているのが落ち着かなく思って辺りを忙しなく伺った
それを察してクレは、彼女の座るソファーの横に、両膝を抱えるようにして座った

それがなんとも、彼には想像も出来ない姿だったので、彼女は驚く
何か叱りつけられた子供の塞ぎ込む様に似ていた




「ザント、って言ったっけ?…どうしてこんな隠し部屋作ったんだろうな」


彼女は今一理解していない
ザントという者がどんな罪を犯したかを
影の世界の大罪人として広がるその名は知っていたのだが
実際に目の当たりにした記憶の欠落した彼女は、ご近所の噂話でも興じるように、自然に、ザントの名を口にした
それが何より、クレに安堵を与えていたか彼女は知り得ない



「ザントは此処に隠れ光を研究していました」


「何で隠れて…?」


「光の情報はそのごく一部足りとも、本来厳重な管理下に置かれ、無許可に光を知り求めることは罪となります」


「え…!?」



彼女は嫌な汗を一瞬にして滲ませ声を上げた
自分の身体にはその光が宿っているのだ
情報だけでも神経質に扱われる光の現物がここにいるのだと思うと、彼女は、これ迄の腫れ物のようにされてきた自身の生活も少し合点がいった

だがそれでもこの世界を嫌うようなことはなく
孤独を感じないでいられたのは
この目の前の彼を始め、一癖も二癖もある人達が彼女を守っていたから

そういえば自分はそんな世話役の男から逃げてきたのだった、と彼女は思い出す
そしていつもはあっという間に終わるかくれんぼの様なやり取りも、今日は違うのだとも
今頃心配しているだろうか、必死に探し回っているだろうか、姫君にも責任を追求されているのだろうか

何よりも彼女が寂しくなっていた




「こんなところに居るのは、寂しいもんだね…」



誰にも知られぬ事なく居れば
自身の体など意味なく消えていきそうで

名も失っている彼女だからこその寂寥も
しかしクレには少しばかりでも思うところがあった



「…では、戻りましょうか」



たった数分しか使わなかった書斎
だが文句など言う筈もなくクレはあっさりそう促す
もしかしたらこんな遠回しな説教を自分に与えたかったのだろうか、と彼女は思うものの、真意は図れない

そうしてクレがゆっくりとした動作で立ち上がる
普段から何かと素早く隙を見せない彼とはやはり違いがあり
彼女も緩く立ち上がりながらそんな様子を眺めおかしさを込み上げていた


そんな折りに、蒼白い男の手が一方差し出されて、彼女は目を見張る




「お手をどうぞ」


「でも、俺は……、君…」



触れ合えばどうなってしまうかは彼女がよく知っていた
しかし構わずに、クレは惑う彼女の手を取る

冷たくも確かな手だった
焦がせども安らぐ手だった

彼女は薄く触れるクレの手に引かれる
足元を危うくする書物の障害を、もたもた歩む彼女の黒衣が引っ掛けぬよう
直に先導する彼を追えばそれは容易だった


知る人ぞ知る書斎の扉を出て
たった数秒熱を送りあったそれは離れる

空いてしまう手が惜しいと、どちらも思い、手の余韻に耽る


「参りましょう」


「あぁ、うん……」



クレがまた背を見せて先を行く
手は預けられないものの、距離は幾分か近くなったよう





その後、二人は揃って族長と世話役にこっぴどく叱られる命運にあった









fin.








* * *

翡翠様へ!


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