ヴァルバジアが塔に沿い空を昇る
ある高度を越えるのを境に、ぐんと風も空気の圧も減った気がして、腹の中が浮き上がる
息苦しさは寧ろ増したようだがそれを嘆いてもいられない
「来たよ!」
キィィィ、と空気を裂く高音を引き連れながら、急降下してきたナルドブレアが一頭
確実にヴァルバジア目掛けて向かって来ていた
蛇のように長い体で素早く軌道を変えるのは難しいらしく、警告の言葉もなくヴァルバジアはその身を目一杯くねらせ避けつつ、上昇は止めない
力の限りでしがみつく三人を振り落としそうになってようやくナルドブレアの突進の軌道から外れたかと思えば、しかし
すれ違い際、ばっ、と翼を下に扇いだ黒竜は難なく赤龍に張り付いて追ってくるのだ
振り切れない、と咄嗟に感じたのは主人公
だがほぼ地面に垂直に上を向くヴァルバジアにしがみついたままでは何ともできない
それを察した訳ではないが飛び出していったのはムジュラだった
「ちょっとトオリまスよーだ!!」
「ムジュラ!?」
ヴァルバジアの首下あたりにしがみついていたのを離れ、火炎を吐き出そうと大口を開けるナルドブレアの、上顎に両足揃えて踏み乗り無理矢理口を閉ざしてそれを阻止
「クレ、そっチ!」
「指図しないでください」
いつの間に主人公の影からそちらに移動していたのか、ナルドブレアの背中に落とされたムジュラの影から出てきたクレが足止めに、鋼鉄の鱗の節に刃を突き立てる
嫌がるナルドブレアががむしゃらに暴れるのを、更にジャンプしたムジュラがそれの尻尾にぶらさがりバランスを崩させた
「翼竜め、いい気味じゃ」
「何だかあの二人やけに息合ってない?」
ふふん、とナルドブレアを嘲るヴァルバジアの顔のすぐ側で、主人公も些か楽しそうにムジュラとクレのコンビを見た
つい昨日、険悪に睨み合っていたのが嘘のよう
そんな風に見られるのが不服なのか、クレの方は普段より険しく顔を強張らせているが
「主人公、鎖を寄越せ!」
斜め下から勇者の影の声が張られる
主人公は頷き、手に巻いていた鎖の先をヴァルバジアの足の方、勇者の影が掴まっている方へ放った
鎖をしっかり捕まえると、勇者の影は支えにしていた龍の爪から手を離した
ヴァルバジアの首輪に繋がった鎖は振り子のように勇者の影を運び、ナルドブレアの目の前へ
鎖すらも手離すと同時に勇者の影は背の鞘からマスターソードを抜いて両手で振り上げた
未だクレとムジュラがナルドブレアの翼を重くさせている
咆哮を上げるのに覗く竜の舌なんかを貫いてやれば十分な深手だろう
何せ相手はまだ小さいといえ空の主、それに二体もつるんでいると聞かされては、もう一体が加勢にくる前に叩くのが常套
加えてここは圧倒的に不安定で足場の無い天空なのだ
勇者の影が急いて剣を振り上げたのはそんな通常の心理で
誤算は一つ、三人がかりでもナルドブレアを倒すには及ばなかったということだった
「っ――!!」
「ぅエェエぇぇ!!」
しがみつくムジュラの身体ごと、振り回されたナルドブレアの尻尾に打たれ、勇者の影は叩かれたハエのようにあっという間に下に突き落とされる
吹き飛ばされたムジュラは、いくらか宙をホバーして体勢を立て直したが、拠り所なくてはそう長くも浮いていられないのか、直ぐ様通りがかったヴァルバジアにへばりついていた
鉄のハンマーで思いっきり打たれたような衝撃に、かすむ意識の中で勇者の影は名を呼ばれたのを聞いた
ぼすッ、と
まだ空の途中だというのに何か
雲ではない障害に確かな手応えで背中からぶつかった
そのままそれを巻き込み、勇者の影はとうとうどこかの地面に落ち鞭打ちのようになったが、未だ背にある何かがいくらかクッションとなっていた
「イタイっピ!」
「……板、一品?」
叩きつけられたのは遥か雲の下の下のハイラルの大地
ではなく
塔の天辺の芝の上だった
そして下敷きにされてピーピー鳴いたのは、大樹がこさえたコブの独り歩きしてきたような、ふっくら丸々育った姿のデクナッツ族
普段は草の根のごとく地表下に隠れているその体の全容は、勇者の影の背と変わらない程に大きく、ユニークな顔かたちに似合わず迫力がある
見た目の樹幹らしい肌の印象とは裏腹に、ぶつかってみた感触は粉を詰め込んだ麻袋か竹のカゴでも押し潰したそれに似ていた
「ピー!よく見たら、お客さん、地上の人だっピ!?」
「なんだ、貴様…」
「オイラ、こういうものだッピ」
細い手足を駆使して勇者の影の下から這い出た彼は
小さい帽子の下を探り紙切れを取り出すと、恭しく両手で勇者の影の方に差し出してきた
受け取ってみると、スカイパーク総取締役というよくわからない肩書きと共に名前が記されている
「アキンドナッツのカキピーだッピ」
「カキピー脱皮?」
「カキピー!次代の観光スポットだと思って店を構えたけど、天空がこんなにサムイところとは思わなかったピー」
「確かに風は強いな」
寒いの意味を取り違える勇者の影にカキピーは少々肩透かしを食らい、蔓のような巻き髭を撫でて誤魔化した
しかし勇者の影もそれどころではなく、遠くなってしまった上空の景色に舞うナルドブレアとヴァルバジアへ舌打ちをした
あんな化け物の更に大きいものを、勇者は討ち取ったのか
そういえばこの見晴らしの良すぎる天を貫く塔のその頂上
勇者の記憶が染み付いているのが鼻についてすぐに解ったが
勇者の影に食欲は沸かなかった
その記憶を取り込めば、或いはあの竜を倒す方法が見つけられたかも知れないのに
「お客さん、空飛びたいっピ?」
不意にカキピーがそう言って顔を覗き込んでくる
それもなかなか浮わついた声で訊ねてくるものだから
勇者の影は不快さを露にして彼を押し退けた
「何か方法を知っているようだな」
「ピー、オイラ空飛べるっピ!お客さん、オイラに掴まるっピー!」
カキピーはとんがり帽子を取り去ると、頭から大きな葉を数枚生やし、それをプロペラのようにカラカラ回転させてゆっくり浮いて見せたのである
贅沢を言うなら風を切るほど早く飛んで欲しいところだがそうも言っていられない
一先ず仲間達のいる上空まで戻らなくてはと、勇者の影は真上までゆっくり飛んできたアキンドナッツの彼の足にぶら下がった
「お客さん、あのナルドブレアと戦ってるっピ?」
「ああ、…近付けるか?」
「あんな高いところで飛べない人が戦うのは難儀だっピ…オイラのプロペラの実を貸すっピ!」
カキピーは声を弾ませて提案すると、勇者の影の応答も待たず、すぼめた口からラッパに似た口笛を響かせる
塔の天辺に生えた緑の至るところから、合図に答えたプロペラの実、パイナップルのような不思議な植物が多数、自慢のプロペラを使ってまっすぐに上に飛んできて、あっという間にカキピーと勇者の影の高度も追い越して、ナルドブレアを囲む配置に浮かび始めたのだ
足場と言うには頼りないが、このアキンドナッツと同じくらいの大きさのそれらは、人一人しがみつくくらいならその場しのぎでも役に立つかもしれない
「やけに気前がいいな」
「本当はアトラクション用のだっピ、全然使ってないから役立てて欲しいっピ!でも一個につきレンタル料は1分5ルピーで貰うピ」
「5ルピー…破格の安さだな」
1分で、とか一個あたり、とか
そんな金額の落とし穴など気付かず勇者の影はあっさり納得し契約は結ばれてしまう
ただでさえ戦闘で頭がいっぱいの勇者の影には、そんなこと違和感にもならないのだから誰も彼を責められない
現に既に戦いの場で、ムジュラもクレも、プロペラの実の出現に驚きつつそれを活用しているようだった
激しい戦いの光景が近付くにつれ、火の粉が襲ってきたり、雄叫びがビリビリ伝わってきたり
明らかに最初より激しさを増しながら二頭の竜は空を上っていた
そんな中、一人の影が振り落とされ此方に向かって落ちてくるのが見え、勇者の影は背筋を凍らせたが、それがクレと解るとすぐに息をついた
「あれ、お仲間だっピ!?」
カキピーは気を利かせて勇者の影の仲間たる彼を助けようと少し飛ぶ軌道をそちらに寄せていった
落ちてきたクレを受け止めようと手を差し出し近付くアキンドナッツ
それをクレも視認すると手を伸ばした
――グサッ
「ピッーーー!!!」
なんと掴みやすいように差し出したカキピーの手を無視し
プロペラの実にしがみつくのと同じ要領で短剣を丸い体に突き刺してクレが掴まってきたのだ
「お身体失礼します」
「失礼ダッピ!!失礼も失礼ダッピ!」
「その割には平気そうだな、貴様」
「イ、痛くはないけど気持ちいいわけナイッピ!!」
「…卑猥です」
「ドコがピ!!?」
二人分の人間の重量を受け、剣で貫かれ、更にはツッコミまでする労力は相当なものだったという
急に脱力し、ひょろひょろと蛇行し始めたカキピーを見限り、クレは傍に浮いていたプロペラの実へと早々に飛び移って空中戦に戻った
勇者の影もそれに倣って一度空を仰ぐ
すると赤龍の上、勇者の影の無事を確認し笑った主人公と目が合う
同時にその更に上空、薄い雲を破ってもう一頭の翼竜が現れたのをいち早く気づいてしまった
「主人公――――!!!」
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