AM | ナノ




雪山の中で北も南もわからないでは、ただただ無作為に白の中を泳いでいるように錯覚する
ただ不変の重力が斜面を下っているという感覚だけを教えているがそれも微々たる情報に過ぎない、今のムジュラには

広い足に体重を載せ行く雪男は、その重々しいモーションに似合わず、歩みの速さは軽快なそれ
凍り固まった雪地にも、深く積もった雲雪にも、漏れなく足を取られ、酷く汗をかきながら寒いのか熱いのか解らず疲弊するムジュラとは大違いである

氷の洞窟は、山を降りきった麓の泉により道を閉ざされてひっそりと入り口を覗かせていた
それも、視界を阻む吹雪などがあれば到底人目につくことはないだろう


「あれが氷の窟だで、あそこの奥まで行けば雪の華が咲いちょる」

「ワカッたけど、ボク、ちょ…疲れて」

「まあ、ちぃと道が紛らわしいけんど、そう広くねぇ、いっちょ頼むぞぉ!」


そう言って、息も絶え絶えのムジュラに、リュックから取り出した空き瓶を渡して持たせるドサンコフ
彼はやはり人の話を聞いていない
それもこれも愛する妻との不和に余裕を欠いてるからこそなのか

少し休ませて、と小さく頼むムジュラの声も聞かず、獣人は彼の襟首をひっ掴み身体を高々と持ち上げ振りかざすと


「は?ハ?え?」

「行ってこぉい!」


ムジュラの人型の身体はブォンと酷い音で風を切りながら投げ飛ばされた



「びゃぁぁぁァァああ嗚呼!!!!!!」



彼らの立つ瀬と洞窟の入口
その間を数十メートルも隔てて広がる泉を飛んで、否投げられて越えるとは夢にも思うまい
ムジュラとて、破天荒な旅の仲間に散々無下に扱われ、夜の森の彼方まで遠投された経験が無いことも無いのだが
人間の姿で、しかも力も思うように発揮できない状況で、これはない、これは酷い、そんな人並みの悲嘆しか出来なかった



「ぎゃヒっ」


カチカチの氷の足場の上、しっかりと泉を越えてそこに落ちることが出来たのは喜ぶべきことか
背中と頭を酷く打ち付けてチカチカと色が飛んで見える視界に気を取られ、ムジュラは数秒何も考えられなかった


「ア、ノ、デカブツ!!」


遠くに望める対岸に、大きく手を振るドサンコフの姿が見えたが、ムジュラは舌を見せ悪態を向け更に届く筈もないが唾を飛ばして、そうして白毛皮のコートを着直すとさっさと洞窟の入口へ消えていった











洞窟は思った以上にいりくんだ道で構成されていた
そう広くは無いと溢した獣人の言葉も疑わしい、何しろ彼は大きいからだ
サファイアのように青の光を通す氷の壁は見るだけでに清涼感を倍増させる上、何も特徴が無くて目印にならない
早い話が、ムジュラは道に迷っていた
何処かの黒い馬鹿でもあるまいに、この自分が迷子になるなど信じられない、とでも思っていたのか、明らかに彼の気分は苛立ち、荒み、そして









 そこから何が見エル?



「別に何モ…」




 何もッテこと無いでショ


一人で在って会話が成立しているこのおかしな状況を
ムジュラはわかってはいても、打破できない


「青いばっかり、ダヨ…」


泣きそうな声音だった
寂しさからか、寒さからか、声がどうしても震えて直らないのだ
鼻水が垂れて仕方ないのを、放って置きながら
漂う冷気の尋常ならざる冷たさに、多くの感覚の奪われ、こつこつ、足を進めていく



 気が狂いそうダネ

「…この、ボクが?」」

 所詮、小さい存在、ダッタんだよ、ムジュラって

「バカじゃないの」

 誰にいッテるの?

「オマエだよ…ムジュラ」

 ムジュラはオマエだ



幻聴との会話は思いの外、現実逃避を許さない
フワフワした感覚の片隅で、確かに体が凍えに侵されて、苦痛を送っていた
厚い上着が意味をなさない訳ではない
意識が寒さばかりを拾ってしまうのだ



「さむい…よ」

 ダメだよ

「何で 、こんなノ、嫌ダ…」

 それ以上は、クチにしちゃ


「帰りタイ…寒くないトコ…」





 望んジャ、ダメナノニ





「主人公…」






大きく膨らむ、抑えがたい、己の、欲

察した身体は心臓を活発にさせて彼の胸を叩く
痛い程の鼓動に息が詰まり、ムジュラは嗚咽も無くその場に、氷の地面に倒れこんだ




「ア、 ゥ、アあ…―――!!!!」


辛うじて出せる声もただの音でしかなく
目の前の氷の粒を少し溶かしてくぐもるのみ
元より誰にも届かない












「まったくそなたは…貧弱な男よのう…それに独り言も多い」




「ァ、ゥギ、…だ、レ?」




何かが、自身から抜け出たかのようにな、別の寒気が背筋を駆け
気付けばそれは目の前にあった

ゾーラ族の、女が、伏すムジュラの目の前に居たのだ


「わらわはルト…そなたに宿った記憶の一つゾラ」

「キオク、そっか、アハ…ハハ、ハ…」

「さぁ歩きたもれ、この地ならばわらわにも幾分か案内できるゾラ」

「もウ、嫌だナ、サムクテ、…動かナイんダ」

「泣き言を申すでない、それでも男児か!?」


ぺちん、と頭の黒髪の部分を叩かれて、ムジュラは不本意ながらハッと気付けされる
半透明の、氷の如く透ける姿の彼女は幻のようであるのに確かに叩かれた
続けざま、背中や尻まで叩かれ蹴られ、やむを得ず立ち上がる羽目になり、ムジュラは地団駄を踏みながらルトから距離を置いた


「しもうた…はしたない真似をしたゾラ、赦したもれ父上」

「ボクに謝れヨおマエ!!」

「わらわのことはルト姫と呼ぶが良いゾラ、ささ、参ろうぞ、雪の華を見つけるのであろう?」

「…フン!オマエキライ」


こんな場所にわざわざ来る羽目になったお使いの話を承知しているらしい
ムジュラの喚きも無視し、迷い無くルト姫は前を歩き出した

ゾーラ族の四肢の剥き出しの姿は此処では随分と寒そうだが、彼女には関係が無いらしい
それも『記憶』であるが故か
先程は確かにムジュラを蹴った足は、氷の床の上でペタペタと音がしそうなものだが、何も聞こえなかった



「ナンで出てきたのサ、オマエ、キオクのくせに」

「懐かしい泉の声を聴いたゾラ、この地はわらわの故郷なのじゃ」

「じゃあ…この、土地に、えェーと、……カエるのか?オマエも」

「そなたのお陰ゾラ…じゃが、それもそなたを無事送り届けてからのこと」



以前にも、こんなことがあった
森を故郷とするサリアだ

まるでこれが本来の在るべき形、とでも言うように、否、事実はそうなのだろう
ムジュラが影の世界からその身の内に取り込み引き連れてきた『記憶』、忘れ去られ陰りに捨てられた悲しき魂たちは
元来、各々がその生を刻み続けてきた地に留まり、安らぐべきだったのかもしれない


黙々と、ぼんやりと、あまり得意でない思案を巡らせてムジュラはルト姫の後を歩く
そうして数分、もはや寒さに気を取られることもなく時間が過ぎたところで先導の足が止まった





「さぁ着いたゾラ、これぞ雪の華の異名を冠す、青き炎」




ルト姫は幾分か誇らしげに、それを示して見せた

クラウンの形を成す氷の台座に、揺らめいて呼吸する
雪の華とは、青い炎だった

純粋で清廉な蒼炎は、到底自分が生み出してきた禍々しい炎弾とは違うし、この先どんなに魔力を蓄えようとも作り出せる気がしない、ムジュラにそう思わせた

触れればそれこそ浄化され、燃やされ消されてしまうという予感がヒリヒリと冷たい空気により伝わる

雪の華

ただそれこそが例えようもなく美しいと思わせるようでもあった



「こんなノ…ビンに入るノカ?」

「大丈夫ゾラ」

「……」


ムジュラは然程納得出来ないながらも、空き瓶の蓋を開け、それに近付き、ひらひらと形を変える炎の天辺の方に瓶の口を近付け、掬い、瓶に入れた
火種も何も無い筈の炎は、不思議なことに、瓶の側面や底などに触れずに浮いて青々と燃えている
人魂か何かではないかと疑えば、趣味の悪い笑いを溢すくらいにムジュラの機嫌も回復した

が、それも束の間


「わチッ!バカ!あ、ツイよ!!!」

瓶のガラス越しに炎の熱さがムジュラを襲い、危うく叩き落としかけた



「当然じゃ、それは悪しきを焼き焦がす浄化の炎ゾラ、そなたには熱い」

「見タ目ドオりだったナ!!!イヤだコレヤダ!アツイ!!」

「泣き言を申す前に走るゾラ、早く手放したいのであろう」


ルト姫の言葉は正論だが泣き言は出る、どうしても出る
残念なことにルト姫に代わりに持って貰うことも出来ないので
持つのもままならない熱さのそれを、ムジュラはわたわたしながらも袖の布越しに両手で挟み、急ぎ足で出口へ向かった






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