パチ、 パキ
薪が弾ける音を聴く度、目を瞑って、うっすら開き直す
少年は暖炉の前にわざわざ移動したソファーに、毛布を被って丸まっている
そこは雪山の廃虚の中にあって十分に暖かい部屋だ
心地よさと、目に入る赤い光の熱さに目を閉じる度、ついウトウトと船をこぐ少年の姿はあどけない
ふふっと笑いを誘われたのはドサンコフの妻マトーニャだった
「お疲れなら眠ってもいいのですよ」
「ん…だいじょうぶ…だよ、連れを、待たなきゃ」
「その方とは、はぐれてしまったの?」
「うん…」
少年は浮かない返事だ
それはただ眠気を含んだにすぎないのかもしれないが、マトーニャは深刻に悲しい表情を浮かべていた
この雪山ではぐれてしまった人間が無事であることも、その人間と再会することも、大きい可能性とは言えないからだ
しかし少年は、彼女の機微を察して、引き結んだ口をふにゃりと綻ばせて見せた
安心させる笑顔を作るつもりだったのか、しかしそれは引きつった妙な表情に見える
「大丈夫…、今は…あまり寒くないみたい…ちゃんと生きてる、近くにいる」
「まぁ、どうして…?」
「僕の半身、だから、解るんだ」
「ふふ、それは素敵ですね」
雪だるまのようなふっくらした体を、ふるふる揺らし微笑むマトーニャの安堵は、少年にも伝わる
眠気覚ましに紅茶はどうかと勧めるマトーニャが、少年の斜め後ろのソファーから立ち上がろうとしたのを、少年が飛び起きて止めた
「ぼくがやるよ」
マトーニャはきょとんと目を丸くして、そこを透かさず少年によってソファーに押し戻された
少年はタタタと元気に暖炉部屋の絨毯を走り、隅に追いやられていた小テーブルを暖炉の方まで引き摺り、棚からカップを二つ取り持ってくる
少年らしい健気な様は見ていて飽きないから、マトーニャは終始微笑みを絶やせなかった
暖炉の上で湯気を上げるやかんのお湯を茶葉に通してカップに注いで
淹れた紅茶の出来を、少年は伺うようにマトーニャの円らな瞳を覗き込んだ
母から褒められるのを待つ、文字通りの少年のようだった
「ありがとう…とても美味しそうですわ」
「ほんとう?」
「ええ、でもこのままでは熱すぎるから」
マトーニャは小瓶を持ち出して、スプーンで中の蜜を掬い、二人のカップに垂らす
冷たいメイプルの蜜が、熱湯を徐々に落ち着かせながら溶けていくと、飲みましょう、と彼女が促した
「あたたかい…」
「そうですね」
カップを両手で持った少年の言葉にマトーニャは同意を示す
一口啜るとまた暖かい
飲み込んでみるとじわじわ暖かい
そうして一口一口で飲み干して、数分経ってもまだ暖かい
いつになく穏やかな気持ちを覚えた少年は
この胸の暖かみが少しでもムジュラに伝わればいいのに、と思った
「ねぇ、あなたには、今凄く叶えたい望みがある?」
少年は特に意識することなく、何の含みもなく、目の前の相手に訊いた
「…そうねぇ、…主人と喧嘩してしまったの、早くそれを解消したいわ」
だけど彼の方から謝ってくるまで許さないことに決めてるの
フフッ、とマトーニャは円らな目を細めて、やはり微笑を漏らした
こんな風に笑って話せる余裕があるということは、きっとそれは些細なことで、いつかは解消される望みがあるのだろう
「今は、喧嘩していて苦しい?悲しい?」
「そうですね…少し」
「それなら、もう全部消えちゃえばいいって、思った事はない?」
「貴方はそう思うの?」
「思わないよ…ぼく、…ぼくは…思わない」
でもムジュラはどう思うだろう
少年は自身の欠けた心に今一度問い掛ける
それはいつも、いつも、彼の届かない半身に向け呟いていたこと
ねぇ、ムジュラ、気付いている?
どうして魔力が失われているか
どうして僕達が別れてしまったのか
うんともすんとも、答えは返らない
頭の中に響く無数の声は無く、たった一人、自分の幼い声だけが聞こえる
僕たちはもともと一つじゃなかったと覚えている?
ムジュラ、僕が望んだことを覚えている?
ムジュラの仮面は今やっと一つの何かになろうとしているんだよ
それが何故だかわかる?
応える声はやはりない
それが答えとでもいうのか、少年はもう半身に語りかけるのを止めた
肘掛けに引っ掻けていた毛布を再び引き寄せ、足を折り畳んで体を丸める
お腹の内側から身体がぽかぽかで、眠気覚ましのはずの紅茶は逆効果だったらしい
「やっぱり…ぼく、ねむいや……」
「お休みなさい、良い夢をね」
「うん…おやすみ」
優しく細めた目に見送られ、少年は暗闇に向かう
その時見た夢は、なんだかとても哀しい気持ちにさせる、暖かい物語だった。
誰かが自分を想って泣いていたのだ。
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