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誰も見当たらない、と言えば少し語弊があるのかもしれない
何しろその荒み切った地には、やたらと猫が視界に入るからだ


カカリコ村で主人公と勇者の影が合流した時を少しばかり遡る、黄昏の空の頃
クレは主人公に言われた通り、オルディン地方にひっそりと隠れて在る里に辿り着いていた
しかしそこには明らかに人間が見当たらない
それどころか日々の営みも全く、感じられない
本当に人間が居るのか、否、もしかしたら預かったものを届けるべきは人間ではないのかもしれない
そうクレが思案し始め、それとなく一歩一歩、里の中に踏み入ったその時
勝手気ままにそこら中に寝そべり、散歩し、鳴き声を漏らしていた猫達が
クレの方に振り返り毛を逆立てて攻撃的に唸っては明らかな威嚇を始めた
一斉に雰囲気が変わったことに、彼の足も自然、止まり、そして少々怯む



「…」


「誰だね…?」



細々と萎れたような声に振り向き見てクレは漸くこの地の住人を見つける
大層こじんまりした体躯の老婆が、里の端の貯め井戸の方から控え目に近づいてきた
大きなタライにいっぱいに水を張ったものを抱えていた

クレが素早く挨拶をし頭を下げるより前に、老婆は皺に埋もれたような小さい目を見開き彼を凝視していた


「お前さん…クレ、なのかい?」


老婆は嘆息しながら、言葉を零した
対してクレは体を強張らせるも、彼女が驚愕のため落としてしまったタライを地面スレスレでキャッチするだけの反射能力は最低限働いた

知らない人間に、相手に一方的に名前を知られていること
それは彼の生きてきた文化の習性故か恐ろしく思え
また、知っていたとして双子の見分けをあっさり解く者は珍しいのだ
返答も出来ずタライの中揺らめく水面を見下ろし黙るクレの、その様子を答えとしてインパルは納得を示し、俯くような頷きを見せた


「そうかい…お前さん、本当にザントの…」


「!?…なっ」


再び、驚くべき名前があがり、とうとう質問せざるを得ない心境に迫る
これだけ材料が揃うなら、もはや人違いでは済ませられない
この老婆はクレを知っているのだ
何故、何処まで知っているのか、疑問は浮かべどやはり言葉が、上手く取り出せず
切々にでも声を絞り出すのにかなりの時間を要した

日がかなり傾くなか、猫達の鳴き声が止まない
時々コッコの声も混じった


「何故、その名を、…貴女は…」

「お前はこの里で生まれたんだよ、クレ…お前の母親は、この里の者だったからね」

「……!」


今度はクレがタライを落とす番だった
水がぶちまけられる音と、木製のそれが上げるカコンという音が同時にして、比較的近くで威嚇に勤しんでいた猫が逃げていく

母親が光の世界の人間だったと知ったのもつい最近
表に動揺を表さない分、余計に整理しきれないでいたクレの脳内がショートしたかのようだった

老婆は痛ましいものを見る目でクレを見据え、直ぐに落ちたタライを拾い、頼りないほど小さな手で砂を払いながら、インパルと名を名乗った


「それで、此処に何の用だね」

インパルの声は沈んでいた
クレと視線を合わせようともせず、俯くままだ
タライを落としてしまったための不機嫌などではない
自身が歓迎されてないと知り、クレは義務的に与えられた任をこなすことにした



「主人公様より、これを届けるようにと…」



「これは…これを私に届けるように、あの子は言ったのかい?」



タライを脇に置いてインパルはそれを受け取る
両手の上に載せた小さな記帳を、見下ろし、震える声で何度も訊いた
本当に、主人公から預かったものなのかと

その事実は確かなものであるとクレは自信を持って肯定した



「そうかい…そう…主人公…あの子も…」



何を感極まっているのか、酷く哀しんでいるのか、インパルはとうとう涙を溢してしまう
本を濡らしてしまわないように、それを抱き締めて泣いた

主人公の持ち物を受け取っただけ
それの意味するところを知らず、クレは黙ってインパルのか細い嗚咽を聞いていた



「お前たちは…里に災いばかり、呼ぶようだね」

「え…?」

「どうか、もうこの里には近寄らないでおくれ」



インパルははっきりとそう言い残し、クレに背を向け、うち震える体を引き摺るように里の奥の小屋へと歩いて行ってしまった




「あ、の…一つ、質問してもよろしいでしょうか?」



未だニャーニャー煩くする猫に負けぬようクレが声を張ると、インパルは渋りつつ振り返った




「その方は、…自分の、母は、今…」


「あの娘は、死んでしまったよ…お前を産んだその日に、影に蝕まれて」



パタン、と有無を言わさず小屋の扉が閉じる
そこが彼女の住居なのだろう、閉じ籠り、窓のカーテンまでも閉じきるのが見えた


クレはどうにも胸を苦しめる寂寥に顔をしかめた

この里にはかつてザントがいた
そしてあの老婆の態度から察するに、ザントの来訪により何かが、里の何かが狂わされたのだろう

インパルは、この荒んだ里は、きっと陰りを憎んでいる
光を憎む自身と何も変わり無いと、クレは悟った

大切なものを奪ったその理不尽を不毛に、いつまでも、憎んでいる


それを知ってしまった今、クレの憎悪の矛先は迷い彷徨って、彷徨って、何かにすがりたくなるのに
この場には何も拠り所がなく、立ち尽くすことすら猫が許さない

鳴く彼らの声に追われるように、クレは里を後にした

















主人公から受け取った書、名を真の図書という代物
シーカー族の語り部が、世の真実を書き記していくための記帳である
これの全ての空白を埋め、里に納めた時、一人前のシーカー族として認められる、という大切な書物なのだ

だがそれが里に戻って来る例は極めて少ない
真実を求め旅立った一族の身に大事があったとき、真の図書もしばしば同じ末路を辿る
真実は闇に埋もれるが常、それが自然の形であるとでも言うように

だがそれを良しとしない者は書だけでも逃がし史実を語り継ごうと、別の誰かに託し里に納めるのだ
丁度、今の主人公のように
時にそれは残酷な意味を孕む

図書の持ち主の、先に待ち受ける、朽ち果て得る運命
そしてそれを覚悟してしまった意志


インパルは小屋に戻った後も、暫く主人公の真の図書を抱え泣き崩れていた
我が子のように育ててきた主人公の、遺言に代わるそれが何よりも恐ろしく、また愛しいものであるが故に





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