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命からがら、ヴァルバジアから逃げおおせて、よたよたと宿の廊下を歩いていた勇者の影の耳に、それは届いた



『約束ね』


丁度差し掛かった部屋の扉の向こうからの、主人公の声だった
ゼルダが、約束です、と返すのもまた聞こえた


面倒を見切れず、鎖を手放し、干上がった温泉跡に残してきてしまったヴァルバジアのことなど、すぐに勇者の影の頭から消え去る

「約束…」


約束という言葉が、彼の胸に引っ掛かったようであった







 約束だ、俺が  代わりに



「…奴を……倒す、から………?」


勝手に口から出た己の声に、勇者の影は呆気にとられ首を傾げた


「何だ…?」


グラリ、と頭が揺らぐ心地に気分が悪くなった
何かを忘れてしまっている、と勇者の影は気づく
体内に積もらせてきた、自分のものではない記憶に、埋もれてしまった何かの存在が今、掠めたようであった



― ガチャ


「!?」



突如、目の前の扉か開かれようとして、勇者の影は慌てて隣の部屋の扉を開き、中に飛び込んだ
キィィ、と控え目に、先の扉の開く音がし、続いてブーツが廊下を歩いていくリズム、それを扉越しに聞き、勇者の影は深く息を吐いて安堵した

何をそんなに慌てることがあったのか、と軽く自嘲するも、あんな場所で立ち止まっていては盗み聞きをしたと疑われかねないのだから、咄嗟の自分の判断を誉めてやりたいと勇者の影は思った

勇者の影はそっと廊下に顔を覗かせる
ちょうど階段を降りる主人公の後ろ姿が見えた




村の中とは言え、夜に外へ出歩くなど感心しない
特に主人公など、脆弱の代名詞と言ってもいいような女だ、それを見す見す目の届かない場所へ行かせるわけにもいかず
勇者の影はしばらく考えて後を追い、宿を出た

外はまだ明けそうにない夜
火山から涌き出ていた暗雲も、もうその片鱗も見当たらず、星空を見上げると涼しさが感じられる

しかしさっそく主人公を見失ったようだと、勇者の影が辺りをうろうろと、暫くやり過ごしていると
ベンッ、と滑稽な音がすると同時に主人公の溜め息も聞こえた

岩影を慎重に進み声のする方、オルディンの精霊の泉の方へと近付いてみたが、そんなコソコソとした自身の怪しさに勇者の影は気付き、改め
咳払いをして存在をそれとなくアピールしてみることに

案の定、誰、と脅え混じる高い声がし
そろそろと見える場所に進み出た勇者の影の姿を目に入れた彼女は
目を見開き一瞬の後にもう逃げる準備を整えていた

待て、と声を大にしても待つ訳がない
二人きりの場面では、気まずさしかないのだろうか
思えばあれ以来、満足に話し合えていないと気付く
一歩踏み出し追い掛けそうになっていた足を戒めて、勇者の影は切々に言葉を選ぶ






「嫌なら、触れないようにする、だから…!……逃げないで、くれ」


主人公は逃げ足を止めて耳を傾けた
恐る恐る振り返れば、勇者の影は真っ直ぐに彼女を見据えていた
オルディンの泉が闇夜の中にも輝きを失わず
二人を照らしている


「い、嫌とか、じゃ…ただ、びっくりした、とゆーか」

主人公は言い淀み目を泳がす
逃げる方に足が動いてしまったのは半ば本能のようなものだった、それを、必死に頭で言い聞かせて留まらせた
あまりにも勇者の影の言葉が、優しさと臆病に溢れて聞こえて、どのように接していいものか惑われたのだ
とにもかくにもこんな居心地の悪さを解消するには他の誰でもなく主人公自身が声をかけねばならず
恥ずかしさや気まずさを紛らわすように少し早口に彼女は捲し立てた


「弓矢の練習、してたの」

「弓?」


怪訝な声を上げる勇者の影の足の傍、散らばる光の矢から練習の跡が伺える
遠くの岩壁に小さくない的が掛けられているが綺麗に無傷を保っていた

暗い地面に光の線として浮いて見える矢に、彼が狼狽えていると、少々の警戒をしながらも主人公が歩み寄って来て矢を拾い集め始めた


「モイさんに教わってたんだけど…やっぱり、そんな上達しなくて」

「モイ…?トアル村のか」

「武器全般扱えるんだって、聞いたから」

「それなら俺に聞けばいいものを…」

「あれ、勇者の影って弓矢できるの?」

「勇者に出来たことは記憶として有るんだ」


へぇ、と主人公は嘆息し、些かの尊敬の眼差しで勇者の影を見上げた
じゃー教えてよ、などと主人公は何気なく口にする
心得やらアドバイスを聞かせて貰えるものと軽く構えていたのだが



「ぉ、…え?」



弓と矢を持つ手に、手が触れる

背後のすぐそこに、勇者の影の胸板があった


「的をよく見ろ、手首は楽に…息を詰めるな」


両手を操られて、構えを作らされる
頭がこの状況を理解せず、主人公は無心に勇者の影の声を聞き、呆けていた

そうだ、と柔らかい音で声が囁く


矢は闇を貫くように走り、粗末な的の、驚くことに中心に刺さった




「ぁ……」


「ただこれだけだ」



主人公は漸く我に返ったように声を漏らすと、途端、重なる手や近すぎる体温に、目眩を起こしたようにその場に踞った

「あ、っわ、悪かった」

そう言えば、触らないなどと宣ったことを早々に破ってしまった、と勇者の影は遅れて気付き、焦り、歯切れ悪く謝るのだが
今の主人公はそれどころではなかった
赤くなってしまった顔の熱を引かせるので忙しいのだ

こんなにも胸が高鳴ってしまうのは何故なのだろうか、片隅で冷静に問う彼女が別にいた
ムジュラやクレならば、こんな甘い空気はできないのだろうとも思う
主人公が冷静な判断で相手の頭でも叩いて終わりだ

主人公は確かめるように、恐々しながら立ち上がり勇者の影に振り返る

赤らんだ頬と、泣きそうに潤んだ紅目の主人公と見合い、勇者の影はハッとして、気付けば彼女の頬に手を添えていた
ビクッ、と華奢な肩は跳ねたがそれだけで、主人公は戸惑い定まらない目を勇者の影の方に寄せながら体を強張らせている
何かの小動物らしさが見え、勇者の影は思わず微笑を溢した



「抵抗しないのか」

「え、…何、で?」

「嫌ではないのか、俺に、触れられて」

「わ、わかんない…」


触れるか触れないかの外側を、フワリと、手の熱が包む
嫌では無い、ただ逃げ出したくはあった
体が妙な感覚に弄ばれているのが分かり、まるで己のものでは無いかのよう


リンクの面影を感じるのだろうか
それがふと彼女の脳裏に過ると不安は波紋して恐怖へ
知らず勇者の影にリンクを重ねていたのかもしれない
そう思うと気が動転して、やはり勇者の影から離れなければ、と頭が命ずるのだ
それが彼の為なのか彼女自身を守る為なのかは判別出来かねるが

主人公は苦しかった
胸が痛かった
逃げ出したかった、その苦痛から
故に口が動く
彼女だけでは抱えきれないから、溢れた言葉は弱音であると同時に、彼を傷付けるそれでもあるというのに







「あのね勇者の影、私は、…リンクが…――








遮ったのは男の人差し指


こちらを見下ろす彼はやはり、微かに笑っていて、主人公は唇に添えられた指の熱さと、同じくらい熱い彼の瞳の紅に呼吸を奪われてしまう



「お前がそうなのは、分かっていた」



何から何までそうだったのかもしれない
主人公の中に勇者の記憶が無いのは、何かの理由で失われたか、神々か何かの力で奪われただけかもしれない
記憶を奪われて尚、トアルの人間はリンクを忘れきれない、それを思い知らされた

そして自身を見た主人公が一瞬、言葉にならない痛切さを浮かべたのも勇者の影は覚えている


何から何までそうだったのかもしれない
最初から、無意識ながらリンクの姿を重ね見られていたのかもしれない







「それでもいいんだ」





勇者の影は間違いなくそう言える
彼女に惹かれたことに偽りはないから






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