デスマウンテン名物の天然温泉がゴロンの里にはある
観光客が入るときもあるが、やはり大半はゴロン族の者達が楽しむだけとなる
山の麓の村宿にある小さいものでも満足できてしまう上に、険しい山道を登ってまでここを訪れる者は珍しいからだ
しかしこの温泉に、里の者も現在は見当たらない
今にも噴火しそうな山を間近に見上げながらどうして悠長に温泉など入れようか
それでも主人公は入るのだが
「っかぁぁー…あったまるー」
貸しきりも同然の広い湯に、主人公は一人浸かり
沁みるような暖かさに親父くさい溜め息を吐いて極楽極楽と付け足した
時折響く何かの咆哮と地震が容赦なく湯を波立たせ、空はすっかり暗く覆われている
とても極楽とはほど遠いように見えるがクレは何も言わない
否、言えない
「クレくん、どーした?」
「…………い、え」
湯槽の縁の岩に、主人公は寄りかかり
首だけ後ろへ振り返って男の様子を眺める
湯には浸からす主人公に背中を見せて普段通り腕を中で組んで直立
何もおかしいところは無いようにも思えるが、移動時やら戦闘時でもないのに主人に背を見せるのは無礼たりえる、と彼も承知しているはず
別にそれくらいのことで主人公が機嫌を損ねたりはしないが、クレが平生ではないと判断するのには有効な姿だった
「あの…」
「ん?」
「自分は…やはり席を外した方が」
主人公は合点がいって、湯の中でポンと手を打つ動作をした、ユラリと波紋ができた
覗く耳や頬の輪郭は見事に赤く染まっているのだ
要は健全な男の恥じらい
何しろ主人公は衣服を纏っていなかった
体を隠すのは湯煙と揺れる水面の反射のみ
側で待機などと酷な命を言ったかとも反省したが
愉快さを忘れない思考が、クレをからかう方へと大きく反れ、気が付けば満面に笑っていた
嫌な予感を察したクレは恐る恐る振り向く
「一緒に入ろうか、クレくん」
「い、いえ…」
「脱げ、入れ」
たっぷりと慌てさせたところで主人公は強い命令口調に切り換えた
命令を聞けばどうしても逆らえなくなる、不憫な体を持つこの男は、しかし理性か本能か分からないところでそれに反対し体を固まらせる
今までに無いほど頭が錯乱していた、何しろこの生真面目な彼にこうも意地の悪いことを命じた人間はいなかった
それでも丁寧に赤面はしているのは人間故か、男故か
次第に嫌な汗をかき始めてしまったクレを、盛大に笑い飛ばして主人公は先の言葉を取り消した
「うそうそ、あのね、君に残って貰ったのは別件を頼みたかったの」
主人公は笑いながら、自分の積まれた衣服の中を探り、小さい手帳を取り出すと、クレに向けて掲げた
「これを届けて欲しいの、忘れられた里に」
「…は、はい」
「地図も貸してあげる、分かりにくい道だから気を付けてよ」
「畏まりました」
クレは微妙に、残念か安堵か判別し難い溜め息を内心に吐きつつそれを受け取る
主人公が先程のあの場でこの用件を言い渡さず、わざわざ勇者の影やムジュラを追い払ってから頼んだのには訳があるのだろうか
「ま、ちょっと遠いけど、クレならすぐ帰って来れるでしょ、頑張ってね」
にへら、と笑って見上げられて、クレは一瞬、時が止まったような感覚に陥る
主人公のそれが期待の言葉に聞こえたらしく、クレは一度目を見張って、彼なりに生き生きとした声で答えた
「お任せを、七秒で戻ります」
「ちょっ、それは無理でしょーよ、……あのねークレツェア」
今にも出立してしまいそうなクレを腕を伸ばして捕まえて、正面から顔を向き合わせる
真の名前を呼ばれてクレは素直に動きが止まって、主人公と瞳が合った
「何でもかんでも私のこと優先させなくていーんだからね」
「ですが自分は…」
「あんたはもっと自分の声を聞いてやんなさい」
わかったかと問われて、クレは重々しくはいと答えた
そんな台詞はミドナを始め、周りの人間によく言われ慣れていた
本音を吐いてしまえるなら、苦痛
何故、他人が己の部分を気にかけてくるのか、未だクレには分からないことだった
ふと我にかえった時、見えた主人公の姿が惜し気もなく湯から外に出て、クレの両肩を掴み寄せている状況があり
男は哀れに目眩を起こす
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