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聖域の存在を覆い隠す霧は今や無い
それは降り続く雨のせいか
はたまた聖なる空気を作る剣が持ち去られた為か

数時間前にやってきた子供が四人、それをしていた
聖域への道も知らぬ非力な彼らが容易くここに辿り着けた理由は森のみぞ知ること

強く求め思い描く心ならば森は喜んで答え、自ら近付く
しかしそれを森以外に知っているのは妖精の少女
森と共にあり生きていた一族ならば皆、知り得たこと


少女はマスターソードの無い台座の傍
神殿の名残を見せる石段の、苔の蒸す場所を避けて座っている
伏せていた目を開き、小さな口からオカリナを離し指も止める

奏でられていた歌が止み
それに誘われて降り続けていた雨も徐々に静まる
サリアは空を見上げ、木々の間に敷き詰めたような雨雲が薄く散っていくのを送った
覗いた晴れ間には夜明けの色が





















「…、!」


「あ、まだ起きちゃ駄目よ!」



意識を取り戻し半身起き上がらせたクレが、近くからの女の声に制される
それもあまり気にせずに立ち上がろうと動けば、腹部に鋭い痛みが走り気が遠くなった
そこを透かさず、イリアが肩を押して再び寝かせる

クレは腹を抑えながら、激痛の内のほんの僅かを表情に出して辺りを伺う
古く小汚ない木組みの屋根の裏側、清潔さの無い動物臭と山羊の鳴き声、それにざわざわと、村人の声も足される
トアル村で唯一被害の無かった牧場の、山羊の為の畜舎の中に彼らは居たが、クレには覚えの無い景色で、俄然焦りが募る



「主人公、様は…」


「大丈夫、あっちで眠っているわ」


「っ…ありがとうございます」


「あ、駄目よ!貴方の方が怪我が酷いのよ!?」



尚も諦め悪くクレが起き上がる
傷があると解れば痛みを覚悟できたので、今度は本当に立ち上がりかける
イリアは彼の腕を掴み止めた
主人公は眠ってはいるが目立って酷い外傷は無いのだ
それよりもこの男の方を安静にさせないではイリアの気は済まない

だが彼女の暖かい手は、忌々しげにクレに払われる



「触れるな…っ、光の手、が」


「え…?」


言われた言葉の意味も分からず、イリアのエメラルドの目が見張る
クレもそれに気付き動きを止めた
泳いだ目が、自身の服を暴かれた上半身に気付き、そこに施された包帯に留まる
乱雑に、蒼い手は、赤の染みる包帯をむしり取り外してしまった


「あ、だ、駄目だって…―」


「…申し訳ありません」


彼女の手当てを無下にしたことにか、先程の失言に対してか
判別しがたい謝罪をしながらクレは、イリアと目も合わせずに黒衣を着直すと、主人公の方へと向かってしまった














最奥の、干し草の山に埋もれるようにして眠っていたのが
寝返りでもしていたか、主人公はその麓の浅い藁の絨毯の上に横になっていた
黙って横たわっているだけ、にもかかわらず、何故か
脱走上手の山羊達が各々の仕切りを越えて主人公の元に寄り集まって
わさわさと金髪を漁ったり、手や腕を舐めたり、寄り添い干し草を食べたりしていた

主人公は目を瞑りながらぼんやりとそんな山羊たちの熱を感じ、咎めもせずに転がったままでいた
否、そんなことも気にならないほど、主人公の頭は困惑でいっぱいであった


何か必死に動き回って魔王と戦っていたのは何となく記憶にある
雨が降ってからがよく分からない、否、思い出したくなくて、少し頭の中から追い出している節がある



(勇者の影が…死ぬかと思った)


瞼の裏にその場面を浮かべる
それがとてつもなく、今でも喉を締め心臓を握る
恐ろしく思ったのだ


(勇者の影…が……?)



だが恐ろしかったのは寧ろ別のことだったようにも思えて胸に引っ掛かっていた
光に包まれ飲まれる刹那に見た、彼は、その姿は、まるで



「主人公様」


「……」


思考が止み主人公は少し身動ぐ
やってきたクレの声が絶妙にそれを遮ってくれたのが少し煩わしく思い
答えるのも面倒で主人公は依然目を閉じたままを続けた

狸寝入りがバレているのか、分からないがクレならば無理に自分を目覚めさせて会話を通そうとはしないだろう、と主人公は思い、やり過ごすことにした
しかし意外にも、彼はすぐ側まで足音を寄せて、そこに膝をつき主人公を見下ろした
山羊が数頭、はけていく



「申し訳ありませんでした、自分の力が及ばざるが故に、貴女様を危険に晒してしまい…」

「……」

「愚かにも意識を失ったまま生き長らえました…本来ならばこの命に変えても、主人公様を御守りしなければならなかったのに」


「……」


「自分はどのような罰も受ける覚悟です…命で償うことも…――




乾いた音が痛みを送った

主人公の手と、クレの頬に


起き上がった主人公に、山羊もみな逃げていった

森から帰り、持ち逃げてきた品を広げて、普段の調子を取り戻しつつあった村人のざわめきも同時に止む






「馬鹿じゃないの」


主人公の声は冷たく、クレは叩かれて横に向いたままの顔を彼女の方に戻すことも出来ず唖然を取った



「どーしてそんな考えなのあんた達は!?死にたいわけじゃないでしょーが!」


「…ですが、自分は主人公様を」


「そんなことして守られたって私は嬉しくない!!」


怒っている、声を聞けば分かった
主人公が怒っている
クレはそれが腹の傷よりも鼓膜に痛かった
どう繕うにも言葉が見つからず、体が動かない
彼の本心は先程語りつくしたのに、それをばっさり斬り捨てられたので
今のクレの頭は白んでいるばかりだった
そうこうしている間に主人公が立ち上がる





「イリア、悪いけどクレを頼むわ」


「え、ええ…」



「主人公様、どちらに」



ずんずんと大股で家畜小屋を、腰を据える村人の間を抜けて行く主人公が
クレの寝ていた場所でまだ包帯を洗い直しているイリアに軽く頼み、出口に向かう

クレは呆気を振り払い、彼女を追おうと立ち上がるが
主人公は振り向き様、ビシッと彼に指をさした、厳しい表情で



「ついてこないで、怪我が治るまで絶対安静!これ命令!!」



「……は、…畏まりました」




朝を匂わせる外の、牧場へ出ていく眩しい彼女の金髪を見、クレは静かに頭を下げた








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