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鼻から一筋、口隅からも一筋
頭からは二、三
紅い血が垂れて、エレは少し息を荒くしていた


「影の世界の者でも、血は赤いのか」


「俺のは、特別だぜ」



同じくらい負傷しても、勇者の影の呼吸の乱れの方が酷かった
今までの彼にはあり得なかったことだが、怪我を負えば血を流し、戦いが長引けば疲れを感じる勇者の影の様は
もはやただの人間に見える

勇者の影が剣を捨てても、エレがそれに合わせてくるわけではなく
剣と拳で、あろうことかずっと戦っているのだが
斬撃をいくらお見舞いしても立ち上がってくる勇者の影を相手にするのは
エレには大きなプレッシャーだった



(何で立ち上がってきやがる、化け物かコイツは)










(流石に、もう…きつい)




実のところ、当の本人は内心ですっかり音を上げていた

意識を朦朧とさせる勇者の影が足をよろめかせたとき
気付いたエレは余裕を見いだし確信したように笑った
やはりダメージが蓄積されているのだと悟ったらしい

勇者の影が相手のその表情をとらえた時
エレの背後のずっと離れた場所で主人公が戦う姿を見た




(何故、…俺の剣を持って、いる…?)
















《 勇者の影よ 》

















知っているような、知らないような声で勇者の影の名が呼ばれた
その響きはやけに、安心出来る気がして


つい

声に身を任せ勇者の影は考えることを止めた

意識を手離した、というよりも
意識を何かに奪われたようだった











「何だ…?」





エレが不審に思ったのは
急に勇者の影の纏う雰囲気が変わったことだった
フラフラしていた足が定まり
煩かった呼吸も落ち着いている
エレに対して剥き出しの殺気も消えている
まるで別人だった

静止していた勇者の影が急に走り出したかと思えば
目の前の敵を放置して主人公とファントムガノンのいる方向に足を向けていた



「テメェ!」



素早さの上で勇者の影に勝っているエレは
黒服の似非影の前に回り込み行く手を阻む
左胸に剣を突き立てる

数分の戦いで、それは勇者の影の力量では避けられない速さだと分かっていた


やはり勇者の影には避けきれなかった
だが彼の両手が刃を掴み、深く胸を抉ることを許さなかった




「ちぃっ…コイツ、イカれてやがる!」



剣を握る勇者の影の手からは当たり前に血が吹き出し
エレが剣を引けば指を切り落とすのも可能な状態にある
しかしそれがなされる前に勇者の影の頭突きがエレの意識を飛ばし、目に星を散らした
力が抜け気絶するより先に更に倒れいく頭を砕かん勢いで踏みつけられる



「…がッ、…コ、の…俺が」





































主人公が結局普段と同じに、すっかり敵から逃げ回るだけになったころ
颯爽と駆けつけ彼女とファントムガノンの間に立ちはだかる者が現れる


「あ、勇者の影!」

さっさと相手を倒して加勢に来てくれたのだろうと主人公はいつも通りに考えた
しかしファントムガノンの嫌な笑いが止まない



《勇者の影よ、討つべき者はそこにいる》


ファントムガノンが指を伸ばし
勇者の影がその指先を目で追い
指し示されたのは主人公

何の冗談かと主人公が笑い飛ばす隙は無く
すぐに勇者の影の瞳の中の狂気に気付いた





「勇者の影――


勇者の影の名前を、最後まで言い終えていたのか、主人公自身よく分からなかった
そんな刹那に勇者の影の体が突っ込んできて
容赦なく拳が叩き込まれるが
主人公が飛び上がり避けていたので
彼の左腕は大きく空振りした



「な、んで!?」


主人公は高い木の枝に足をつけて
たった今避けたばかりの攻撃を思い返し全身が粟立つのを抑えた
今のは「本気」だった
勇者の影は殺すつもりだった


「あんたでしょっ、…勇者の影に何したの!?」


《この者の名を「記憶」したのだ…我が記憶の影と同化し、身の一部となろうとしている》


「同化って…、何かやばそうじゃん!」



満足に慌てることもさせてもらえないらしい
大きく距離を取り遥か下に置いてきた勇者の影が垂直の木の幹を駆け登りすぐそこまで来ている
剣を持たない勇者の影の実力の程を主人公は知らないのだが


「う、わ―!?!」


― バ、ギ  ッ


避けた彼女の代わりに殴られた太い木の枝が粉々に打ち砕かれたのを見れば
是が非でも回避をしなければならないに決まっている


「勇者の影!勇者の影!!」


分が悪くて仕方がない
ファントムガノンを相手にすることさえ勘弁して欲しく、武器は使い慣れない黒の長剣しかないのだ

ここは一つ、名前を連呼して正気を呼び戻せ作戦を取るべきと主人公は判断した
ちなみにこの作戦の主な効果はハイリア湖でのムジュラに対して実証済み


「勇者の影!」


だが呼べば呼ぶほど、心なしか勇者の影の狂暴性が増している様に感じられた

そしてただでさえ黒い勇者の影の身体にドス黒い霧がどんどん纏わりついていく
暗い森の景色に紛れて姿が霞んで見えた





《名を呼べばより深く、名を聞けばより確かに、我が「記憶」として刻まれるのだ》




ファントムガノンは高らかに笑った



「勇者の影、、どうしよ、…逆効果!?」


主人公が勇者の影の名を呼ぶ度に


《さあ、勇者の影…その女を殺せ》


ファントムガノンが勇者の影の名に命じる度に

魔王の影に従順になり、いつしか意識までも支配されていくのだと

これがアクタに蔓延る『記憶』達の脅威なのだろうか


余分な程に跳び跳ねて回避していた主人公だが
勇者の影の動きが急速に俊敏さを増し
確実に致命傷を与えようと来る腕や足の軌道ギリギリを避けることで精一杯になる


「っちょ、と、…待っ」


元々素早さは勇者の影よりも下で、体力が無く動きのキレも鈍ってきた主人公に
寸分の容赦もなく勇者の影が向かってきた


避けられない
かといって黒剣の先を向けることも

できない










「馬鹿、っ馬鹿勇者の影!!『自分』じゃなくなってもいいの!?」




ただの記憶として刻まれるだけの存在になる
大きな闇の一部として溶ける

自分と言うものを明け渡し
魔王の影に同化してしまうなど


死んだも同然なのに




















「……主人公」














激痛が走ったのは

自身の方だと

主人公が思い違うのは




手に持つ黒剣の持ち手から
痛みが、確かに、伝わってきたからだ









「…勇者の影、――ッ!?」





ゴフッ、と口から吐き出された血がすぐ近くの主人公に浴びせられ
ようやく黒の切っ先が勇者の影の胸を突き刺しているのが分かる

他の誰でもない勇者の影の手が、主人公の握る手の上から、黒剣の向きを自身の方に固定している


「何で、…自分で、」


真っ赤な眼は虚ろなまま
だが確かに主人公を見ているよう

















「溶け、…なら……『ここ』、がいい…――」











勇者の影の両腕が、主人公の肩を包むのは見えた

でも腕の重みは無い






黒い影は、姿を消した




誰かの記憶に溶け入った









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