第102回フリーワンライ「太陽に憧れる星間移民船」

第102回フリーワンライ「太陽に憧れる星間移民船」


お題:全部
失楽園
蠱毒
太陽に憧れる星(題名に使用)
消えた本の行方
甘い紅茶と苦いコーヒー

ジャンル:オリジナル SF





「ねえ、目を悪くするよ。もっと明かりを強くしたらどう」
 がらんどうの室内に、男の声が響く。蝶番から外れ倒れたままの金属扉をまたぎ、散らばる瓦礫を避けながら、机に向かう人影へと歩を進める。
男の歩む気配に、机の上の光源がゆらりと揺れた。他の光源はなく、闇に押しつぶされそうな広い部屋の中、声をかけられた人影は顔を上げた。淡い光が、まだ年若い柔和な微笑みを浮かび上がらせる。
「大丈夫、このくらいで十分。勿体ないわ」
 手元の本に薄い布のしおりを挟みこみ、女性は細く声を上げる。椅子を動かし体の向きを変えると、片方の太ももに白く浮かびあがる包帯。
「今日はどこに行ってきたの? 何か見つかった?」
 楽しげな声に、男性はショルダーバッグを漁った。中からボロボロになった紙を引っ張り出し、机に広げる。
「今日はこの辺の居住区に行ってきたんだ。ここから、こう行って。こっちは……行けなかった、瓦礫で通行止めになっているんだ」
 手書きの簡素な地図の一帯を、指で円を描くように示すと、男は広い部屋に指を乗せ、動かし始める。赤い×印がつけられた道の上で、指が復唱するように×を描く。
「そう、行けなくなっちゃったの……じゃあ、私の家にも、もう帰れないのね」
「……いや、反対側から回れるかもしれないよ。もっと道を探してみる」
 ため息とともに声を落とす女性に、男の指が止まった。苦い表情で地図から顔を上げると、ショルダーバッグをもう一度漁る。
「それで、とりあえず近場の家に入ってみて……あんまり使えそうなものはなかったけれど、……ああ、これ、お土産」
 男が鞄から引き出したのは、二つの小さな缶。受け取り、弱い明かりで缶のラベルを眺めていた女性の顔が、ぱっと輝いた。
「紅茶と、こっちはブラックコーヒー? しかもこれ、代用品じゃないわ。まあ、嬉しい。こんな贅沢品が居住区にあったの?」
 明るい声を上げながら缶を持ち上げ見せようとする女性に、男は弱く微笑みながら頷く。
「すごいよね。大きな家だったから、どこかの偉い人が住んでいたのかも。早速飲んでみない?」
「ええ、いただきましょう。とっておきの乾パンも出しましょうか」
 言いながら、女性が立ち上がる。瞬間、その細い体がわずかに崩れた。慌てて男が手を差し出そうとする前に、女性が椅子の背にすがって押しとどまる。
「大丈夫? 痛むのかい?」
「平気よ。もう傷口はふさがったみたいだから」
 眉根を寄せながらも、女性は暗がりの中で小さく微笑む。ゆっくりと立ちあがり、足をさする女性に、なおも心配そうな表情を浮かべたままの男が口を開く。
「俺がとってくるよ。どこにあるんだっけ」
「左から三列目の本棚の、上から二段目よ。私の真後ろの列の、目線の位置」
 女性が指をさした方角へ、男は足を向ける。本がまばらに抜き取られ、両隣の列が本や物の隙間から見える。本棚に並べられた段ボールの中から缶を二つ引っ張り出すと、近くにあったペーパーバックを一冊手に取り、机へと戻る。
 女性の感謝の声を聞きながら本を手にし、薄い表紙を開ける。一枚目を男の指が掴んだところで、再び女性の声が飛んだ。
「それ、何の本?」
 一度本を閉じると、背表紙の文字をしげしげと眺める。
「ええと、……『失楽園』、かな」
「駄目よ、それは燃やさないで。もう一度読みたい、大事な本なの」
 鋭い声に、男の目が本から女性へと向いた。懇願するような、真剣なまなざしに、そっと本を手渡す。
「ごめん」
「いいえ、……私も、手元に置いておけばよかったわね。燃やす紙なら、あのあたりにあるわ」
 女性が指さしたあたりへと男が目を凝らすと、暗がりに包まれた机の隅に、確かに白く浮かび上がるものが見えた。歩み寄ってみると、取り外された表紙には、読むことのできない文字列が並んでいる。ぎっちりと文字の詰まった紙を数枚取り上げると、章のタイトルが各国語で書かれている。「蟲毒」という不思議な文字列に首をひねりながらも固くねじり、一本を女性の前の光源へと近づけた。
 火が移る。
 受け皿にたまった煤は、消えた本の行方。それを軽く払って新しい紙こよりを乗せると、二つの光源で、室内がわずかに明るくなった。
「……紙の本って、すごいな。電子書籍は電気のない今じゃ、ただの重い金属の箱だもんな」
 ぽつりと漏らすと、女性の忍び笑いが聞こえた。
「図書館なんて来なかった人?」
「うん、ただの倉庫みたいに思っていた。電子書籍に全データを詰め込めば済むのに、なんでこんな重いものを、しかもこんなに大量に載せるんだって。載せようと思った人はすごいね」
「こういう事態を、想定していたんじゃないかしら」
「まさか」
 冗談を交わしあい、視線が交差するとどちらからともなく笑う。
「甘い紅茶と苦いコーヒー、どちらが良い?」
「じゃあ、コーヒーで」
 ぱきり、と缶を開け、中の液体を喉に流し込む。純正品のコーヒーのすっきりとした苦みが口に広がり、男は深い感嘆のため息をついた。続けて、今度は別のため息を。
「……電気、使えるようにならないかな。そうすりゃ何が起きたのか、調査だってもっと早くできそうなのに」
「…………向かっている先に太陽くらい明るい恒星が見つかって、なおかつソーラーパネルがうまいこと反応してくれない限り、無理じゃないかしらね」
「それはつまり、希望は限りなく薄いってこと?」
 男の声に、女性の反応が一瞬遅れた。
「……昔と同じ生活を望むのはもう無理だと思うけれど、それでも、与えられた運命の中で生きていくしかないんじゃないかしら。……なんてね。この前この本を読んで、そう思ったの」
 女性の手が、先ほど命拾いをしたペーパーバックに被さる。
「さ、食べましょ」
「……そうだね」
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