第101回フリーワンライ「生者の慟哭」

第101回フリーワンライ「生者の慟哭」


お題:全部
冷たい方程式
サヨナラと手作り
ご飯は残さず食べなさい
冷めた茶のように
割れたガラスの上



ジャンル:オリジナル SF

※一部、器物損壊等、反社会的な表現や荒い言葉遣いを含みます。















 人類は何処で間違ってしまったのだろう。
 割れたガラスの上に立ちすくみ、男は鈍った頭で考える。じくりとした痛みに、利き手の甲へと目を送る。気づかぬうちに何かの破片で切ったのか、深い傷跡。そこからはとめどなく赤い血が流れだし、握りしめたバールを赤く染めていく。
 痛い。
 温かい。
 生きている。
 ああ、生きている。
 生き延びたのだ。


 たったひとり。


 生気のない瞳で、辺りを見回す。生体感知式の非常照明なのか、手のひらよりも小さなトーチがどこからともなく飛んできた。空いた手で持ち手らしき場所をつかむとエンジンが切れる小さな音と共に、ずしりとした重さが手のひらに伝わる。疲労で握力の落ちた片腕では取り落としそうで、慌ててバールを投げ出し、もう片手を添えた。
 もう一度、正面を見上げる。右を、左を、後ろを、そして高い天井とハッチを、その横に開いた大きな穴を。
 四面の壁すべてを使い、一メートル四方ほどの四角い扉が隙間なく埋め込まれている。下のほうのいくつかは開かれ、中に入っていたものが引き出され、そしてその大半はめちゃくちゃに壊されていた。
 右側の壁には巨大な穴が開き、扉や中身ごと壁をえぐり、裏側の地層をあらわにしている。
「壊れねぇって、言っていたじゃねぇか」
 自分の声だと気づかないほどに掠れしわがれた声が、喉から絞り出される。応答はない。誰も反応しない。解説し説得し自分たちの論を無理やり押し付けるお偉いさんも、そばに寄り添い話を聞いてくれる恋人も、いない。
「壊れねぇって、言ったよなぁ、ああ?」
 声がじわりと、しかし確実に荒げられる。
「お偉いさんはよぉ! 槍が降ろうが隕石が降ろうが壊れねぇって、言ってたじゃねぇかよ! それがこのざまだ! どうだ、これが人類の末路だ!」
 叫びながら飛行型非常電源を放り投げるとバールを拾い上げ、目の前でぽつんと光る赤いボタンを力任せに叩く。小さな人工音声と共にがちゃり、と音が響き、目の前の扉がゆっくりと開いた。
 中に横たえられた「箱」の取っ手をつかみ、全体重を乗せて引き出す。中に眠っていた、人――だったもの、を見た瞬間、男はバールを振りかざした。
 派手な音と共に、「箱」の蓋をしていたガラスが割れる。何度も、何度も、男は両腕を振り上げる。
「何が、冷凍睡眠で小惑星の衝突から逃れる、だ! 何が、地下なら安全、だ! みんな死んじまった! 粉々になっちまった! あるいはどろどろだ! くそっ……!」
 腕を下ろし、荒げた息をそのままに、床に落ちた石の破片を蹴り飛ばす。瓦礫にぶつかる音が反響した。体感で数秒ののちに訪れた静寂は、冷めた茶のように、苦みを残しながらぬるりと肝を冷やしていく。
 生まれた時から、いや、生まれる前から突きつけられていた冷たい方程式。
 この星は、いずれ小惑星が衝突する。規模の計算は、自分が眠る直前まで終わっていなかった。ただ、被害が小規模で済むわけがないことだけは、誰の目にも明らかだった。
 見上げる大人たちのどの笑顔の裏にも、自分は死ぬのだろうという怯えが張り付いていたのは、幼少の記憶として男の脳裏に焼き付いている。
死にたくないと願った人類の一部は、地下に巨大な建造物を作り上げた。かつてどこかの国に存在したという「カプセルホテル」なるものを模し、冷凍睡眠装置を作り、壁にはめ込み、そこで眠る。小惑星の衝突におびえることもなく眠り続け、災害が収まったころに目を覚まし、人類の活動を再開する。
はずだった。
 誰かが壁墓地のようだ、と言った集団冷凍睡眠システムは、その言葉通りになってしまった。
 拙い字で書かれた「サヨナラ」の文字が甦った。少しずつ、ゆっくりと、思考が働きだす。記憶が甦ってくる。体が生へと反応していく。冷凍睡眠参加者だけが招かれたパーティーで、サヨナラと手作りの横断幕を貼り、怒られていた幼子がいた。あの子は正しかった。あれはフェアウェルパーティーだったのだ。
「くそったれが……」
 喉の奥で血の味がする。生の実感が今は無性に悔しくて、唇をかみしめながら、自分の出てきた扉を見上げる。その両脇には両親が眠っているはずだ。――生きているかどうかは、まだ確認していない。
 両親が申し込んだ冷凍睡眠ファミリー枠。高い倍率を潜り抜け、当選をもぎ取った。喜びの涙に濡れる母親と、その肩を支えながら力強く頷く父親の姿が、思い出される。
 ご飯は残さず食べなさい。勉強はきちんとするんだぞ。
 体をしっかり作っておくのよ。知識も蓄えておくんだ。
 生き延びた時のために。
 二人の声が耳の奥で反響する。バールを取り落とし、男は膝から崩れ落ちた。膝に鈍い痛みが走る。
 誰か自分以外にも生き残っている人はいるのか。万が一の時に備え、非常生命維持装置が他よりも強力に設定されている扉がいくつかあり、年齢や性別、身分に関係なくランダムに割り振られると、都市伝説のようにまことしやかに囁かれていた。自分はそれに当たったのだろうか。ならば、他にも誰か。
 あるいは冷凍睡眠を選ばなかった人類は、どうなっているのだろう。
 ぼんやりと考えを回し、頭を振る。喉が焼け付くようだ。この感覚は何だっただろうか。ああ、思い出した、喉が渇いた。
 男は立ち上がると、高い梯子の先、ハッチを見上げた。あの外には、食糧庫や道具があるはずだ。
 いずれは覚悟を決めて、梯子に足をかけなければならない。

 生き延びるために。

 非常照明が再び飛んできた。
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