第99回フリーワンライ『わたつみへ還る』

第99回フリーワンライ『わたつみへ還る』


お題:全部
二人だけの竜宮城
ドッペルゲンガー
運命
紅い空
好きと嫌いは表裏一体

ジャンル:オリジナル 少女 学生 淡い関係





 深く、深く、沈んでいく。
 手をつないだまま、静かな水の底へ。
 貝殻つなぎの小さな手と手は、どこへ行くにもはぐれないように。
 赤いリボンで固く結び合わせた小指は、きっとほどけることはない。肉が朽ちて骨になっても、水底に横たわる私たちを結び付けたままでいる。きっと。


 きっかけは何だったか。
 私は父親に罵倒されていた。あの子は母親に折檻されていた。
 学校から帰る足取りが重いのは、毎日のこと。同じ方向へ帰るあの子が、同じようにうつむいているのを見て、後ろから声をかけたのが出会い。
 高台の団地の近く、おまけ程度に作られた小さな公園で、ブランコを揺らしながら二人だけで語り通した。授業のこと、クラスのこと、互いの家のこと、そして将来のこと。私は素敵なお嫁さんになりたいといって、あの子は素敵な職に就きたいと言っていた。二人で顔を見合わせて笑った。どちらが高くまで漕げるか競走した。小さな子供たちに譲った後は、ベンチや花壇の縁に腰を下ろして語らった。夕焼けが最後の光を残して沈み、紅い空が青を帯び、星をちりばめながら濃紺に染まっていく様子を、二人で眺めて溜息をついた。その溜息を吸いあって、そうしてまた小さく笑った。家に帰れば待っている運命を、ほんのわずかでも忘れられる、かけがえのない時間だった。


 何時のことだったろうか。
 二人で行きたい場所を紙に書きだした。商店街の文具屋さん。隣町のショッピングモール。北海道、イギリス、無人島、宇宙、竜宮城。
 どうして竜宮城なの。私は訊ねた。
 だって、竜宮城で楽しく過ごしている間に、地上の世界は何百年も経っているんでしょう?大嫌いなママも、学校も、みんなみんな無くなるのよ。長袖の上から二の腕をさすりながら、あの子は笑顔で答えた。
 それは素敵ね、私は応じた。
 二人の目的地は、竜宮城に決まった。
 耳に残る父親の罵声も、手を上げる姿も、その時の私には見えなかった。紙の上に踊る可愛らしい文字と、青色のペンでつけられた花丸が、二人の世界だった。
 

 そして、今朝。
 ドッペルゲンガーが、代わりに授業を受けていてくれないかなぁ。私ね、学校を休んだことってないんだ、これが初めて。切れ切れとした息の合間に言葉を紡ぎながら、潮風が吹く中、二人で自転車を漕いだ。住む町から少し離れた海沿いの町。そこにある、地元では名の知れたとある場所。鞄には教科書の代わりに、お菓子をたくさん詰めて、携帯は部屋に置いてきて。
 木々の裏に自転車を隠し、獣道を登る。なんだかお化けが出そう、お化けより熊や蛇が怖いわ。きゃあ、蜘蛛の巣。こっちはつる薔薇よ。明るい声を上げながら、固く手をつないだまま、空いた手で木々をかき分ける。
 木々が途切れ、ようやく開けたそこは、海が見える断崖。ロープと申し訳程度の看板が立っていた。秘密の遠足は一時休憩、地面に腰を下ろして鞄を漁る。
 おなか一杯になるまでお菓子を食べたところで、あの子がもう一度鞄を探った。出てきたのはきれいな、赤いリボン。端にはケーキ屋のシールがついたままだった。
 これね、私が小さいころ、まだ優しかったママに買ってもらった、ケーキのリボンなの。ね、小指につなぎましょ、はぐれないように。
 自分の小指をつなぐというのはなかなか難しくて、二人で悪戦苦闘しながら、何とか固結びをすることができた。私が右側、あのこが左側。
 貝殻つなぎで指を絡め、ロープを乗り越える。左に見えるあの子を見て、海を見て、もう一度あの子を見る。
 あのね、私、海があんまり好きじゃなかったの。
 そっと口を開くと、驚いたような視線が返ってきた。その口が開く前に、続けてもう一言。
 でもね、今この瞬間、好きになったわ。ううん、前からきっと好きだったの。好きと嫌いは表裏一体って言うでしょ。
 嫌いになった理由なんて要らない。好きになった理由なら、いま左手の中にある。
 胸が苦しいほどに大きく鳴っている。耳の奥では、血がざあざあと流れている。けれど左手に伝わるほのかな熱と、小指のリボンは、その怯えを吸い取ってくれるように感じて。
 あなたが選んでくれた場所だもの、なんだって大好きよ。ここはきっと、世界一の場所よ。二人だけの竜宮城に、きっと行けるはず。
 革靴と靴下を脱ぐと、地面の冷たさに二人で声を上げた。足元の海原を眺める。合図をするように、つないだ手に力を込めて。
 いっせーの、せ。
 足が地面を離れる。
 潮風になびくあの子の髪が、真っ白な昼間の日差しを浴びて、とても綺麗だなと思って。
 その瞬間、つま先が、頭が、水を感じて。
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