第92回フリーワンライ「花の蜜は甘いか」 お題:全部 はばたく 目薬 ソーダ水越しの景色 肌寒い夜は 甘い匂いに誘われ蝶となる ジャンル:オリジナル SF 女子高生 「今日、この良き日に学び舎を巣立つ君たちは、今この瞬間、未来へ向かってはばたくのです。卒業、おめでとう」 校長の長い話が終わり、起立、礼の号令がかかる。 あくびを噛み殺しながら、亜衣は固いパイプ椅子に座り直した。隣に腰かける男子にちらり視線を送ると、フレームのがっしりした眼鏡をまっすぐに、ステージの方へと向けていた。真面目だな、と思いながら視線を前に戻そうとして、ふと思い当たる。確か、レンズの内側に映像を映し出す最新型の眼鏡を買ったと言っていなかったか。 号令と共に、もう一度立ち上がる。あとは校歌を歌って、一糸乱れぬように退場して、それで終わりだ。平凡な高校生活は、厳粛な式という非日常で終わりを告げる。巣立つ者たちは一月ほどのモラトリアムを与えられて、そうして新年度からは、それぞれの新たな生活が始まる。 ある者は都市の中にある大学へ。ある者は別の都市の大学へ。またある者は国営の通信教育を用いて自宅で学び、そして自分は――任務に就く。在校生の方を向いて歌いながら、亜衣はぼんやりと思いを馳せる。この体育館の天井の上、はるか高みでこの都市を覆う、ドームの丸みへ。 ピアノが最後の一音を引き終える。着席、の号令がかかった。 「まじ、つっかれたぁ」 ファミリー向けレストランの机に突っ伏した悠が、魂が抜けたような地を這う声を出した。 「いくらなんでも長くない? 校長、1時間だよ。まじありえない」 「でました、『まじ』」 その横に座る春香が茶々を入れる。それにきっと睨みを入れる悠。そのやりとりを正面で眺めながら、亜衣はグラスのオレンジジュースをすすった。人工甘味料の味が、舌にへばりつく。 「お代わりしてくる」 立ち上がろうとしたところで、つい、と近づいてくる物体と目があった。 『ご用件は 何なりと』 人工音声で語り掛け、液晶パネルにエモティコンの笑顔を映し出す。首からは「試運転中」の札が下がっている。人手不足を解消すべく、従業員代替用のロボットが全国的に導入されつつあるとはテレビで放映されていたが、このドームにも導入されたとは。 歩いていける距離にドリンクバーはある。こんなものに貴重な資材と電力を使うくらいなら、もう少しドームへと金をかけてほしい、と思ってしまう。肌寒い夜はもう少し続く。空調管理をしっかり整備してほしいものだ。そんなことはおくびにも出さず、軽く片眉をあげながら、亜衣はロボットにグラスを渡した。 「ドリンクのお代わり、今度はソーダ水で」 『かしこまりました』 くるりと向きを変え去っていくロボットの後姿を眺める。ロボットじゃーん、まじあれイケてるよねー、という、気の抜けた悠の声が、後頭部に飛んできた。 「ねーねー、亜衣、知ってる? 春香、退場の時にぼろっぼろ泣いててさー、化粧が落ちてまじ笑えんの」 「ちょっと、悠」 二人の声に引き戻され、顔を机へと戻す。拗ねたような春香の頬を、悠がマニキュアとデコレーションでたっぷり飾り立てた指先でつついている。 「亜衣は泣いた?」 「泣いてない」 即答。途端に“つまらないやつ”という視線が2つ、飛んできた。 「目薬は持ってたよ」 制服の上着のポケットからクールタイプの目薬を取り出してみせると、悠が吹き出した。えー、亜衣、まじイケてる、といういつの時代の言葉かわからない単語を振り回しながら、腹を抱えて爆笑する悠を、今度は春香がつついている。 『おまたせしました』 柔らかな女性の合成音声が聞こえ、亜衣は首を横に向けた。笑顔のロボットの手には盆、その上にはグラスに入った透明な液体。 受け取ろうと手を伸ばしたところで、突然液晶が切り替わった。一面の花畑に舞い踊る女性、そして画面が切り替わるとシャンプーのボトル。 『甘い匂いに誘われ蝶となる。花の香り、新登場』 CMが終わると、再び「笑顔」が戻ってきた。取りやすい高さまで腕を上げたロボットから、グラスを受け取る。 「ねー、この新しいシャンプーのCMさ、テレビで最近よく見るけど、なーんかイマイチわかんないんだけど」 ロボットが立ち去る前に、悠が口を開いた。『ご用件は』と言い始めるロボットに、手を振って否定を表す。どこかのカメラでそれを認識したのか、『失礼しました』と律儀に頭を下げて去っていくロボットを、三人で黙って見送る。 「で?わからないって?」 春香が問うと、悠は机に肘をついた。 「花の匂いが甘いってのは、たぶんシャンプーを嗅げばわかるんだろうけれどさ。蝶になるー、みたいなこと、言ってるじゃん。なんで蝶になるの?」 悠の言葉に、春香が首をひねる。 「うーん……ほら、機械の蝶が、よく花壇の造花の周りを飛んでいるじゃん。そこから連想した、とか」 「……昔は本物の蝶が、生きている花の蜜を吸っていたから」 言葉を発した瞬間、再び二つの視線が亜衣に集まった。 「え?まじで?花の蜜って何?」 「生きている花って、甘い香りがするの?」 食いつくように問うてくる友人たちを目に、亜衣はなんと説明したものかと惑い、汗をかき始めたグラスを手に取る。ソーダ水越しの景色は、ロボットが行き交う店内と、四つの好奇心に満ちた瞳。 ストローで一口吸い上げると、その細いカラフルな物体を手に取る。 「こうやって、ストローみたいな口で、蜜を飲んでたんだって。辞書に載ってた」 「まじで?」 「すごぉい!亜衣ってやっぱり物知り!」 和気あいあいと自分たちのストローを手に取る二人から視線をそらし、小さく息を吐くと、亜衣は窓の外の景色へと視線を向けた。プラスチック製の桜の薄い花びらが、木の枝からはらりと剥がれ落ちて舞った。 亜衣のシリーズ。 [目次] [小説TOP] 1 |