純銀の王 アフターストーリー

宿語りのシーガル様に、『純銀の王』という作品を寄稿させて頂きました。
今回、スピンアウト可能ということで、もう一度彼の国を、違った視点から語らせていただきました。
かもめ流し翌日の風景から始まる、横糸の物語です。
聞き手はどうぞご自由にご想像ください。
最終日に滑り込み……!






 眼が眩むほど晴れ渡った青空、湿った路地を朝日が照らす。一晩で積もった雪は朝のうちに人々によって掻き分けられ、家々の前に山と積まれている。雲の筋は絶え間なく流れゆき、行く手に広がる海、漕ぎ出さんといきりたつ数多の船、そしてはるか遠くに広がるであろう土地へ、旅人をいざなっているかのようだった。
 こつり、とひとつ石畳を響かせ、ひとつの足音が止まった。港へ向かう、ゆるやかに傾斜のついた大通り。正面からはざわめきが耳に飛び込んでくる。
 足音の主は振り返ると、声の主へと笑顔を浮かべた。
「おや、昨晩はどうも。見事な語り、しかとこの耳に残っております。かの男が提示した品を、あの通り物語に組み込むとは。いやまったく、恐れ入りました」
 黒く重いコートを、昨晩の「かもめ流し」の残党が、悪戯に揺らしていく。片手に大きな黒いトランク、もう片手に漆黒のケースを持つその姿は、朝の賑わいの中にはやや似つかわしくないような印象を与えている。朝日を正面から受けて眩しげに細められた翠の瞳と、明るく輝く金の髪が、ようやくこの男に実体を与えているようだった。
「して、私に何か御用でしょうか。――ああ、貴方も船に乗るのでしたら、ともに港へと向かいませんか」
 体を港へと向け、先導するように歩きだしながら、男は楽しげに声を上げた。


 ああ、この寒い中でも、港のなんと賑やかなことだろうか! この人出では船の案内板が見えません。船頭が行先を叫ぶ声は、まるで不協和音のようで、いささか耳にこたえますね。私はしばし、ここで休むことといたしましょう。
 おや、貴方もここで一息と? ふむ、それも一興。先を急ぐ人々を見送りながらの一服は、さぞ美味なることでしょう。……ああ、いえ、私はお気になさらず。紫煙がくゆる様を、眺めている方が好きでしてね。
 失礼。それで、先ほどのお声がけはいったい何でしたかな。
 ――ふむ、あの純銀に彩られた王の、――続きを。
 賑やかしい酒宴の中で紡がれた、一筋の糸のような物語を、覚えていただけていたのですか。恐悦至極、痛み入ります。
 ふむ……かの物語が縦糸とすれば、糸をつぎ足すことではなく、横糸をわたすことが肝心。そうすれば、やがて一枚のタペストリーが織りあがることでしょう。
 一つの視点ばかりから物事を見ていては、やがて飽きが来ます。それは人の眼とて同じこと。毎日のように同じ高さから見てばかりいるのですから。
 しからば今日は、鳥の目を借りることといたしましょう。
 さて、ここに硬貨が一枚――ああ、もちろん本物ですよ。貴方もこの街で一度は手にした、手垢のついた硬貨です。
 これをぴんと弾けば――さあ、まばゆい朝日を浴びて、硬貨が海鳥へと変身いたしました。おや、見えませんかな? ほら、あそこに一羽、いえ、二羽。どうやらかもめではないようですな、一羽たりとも姿を見かけませんから。
 ぴんと羽を伸ばし、ついと群れから外れ、内陸へとくちばしを向けました。さあ、あの鳥の眼を借りることといたしましょうか。体を宙に舞い上がらせ、いざ一路、彼の国へ。私もご一緒させていただきましょう。
 昨晩の宿が眼下に見え、あっという間に流れ去っていきました。家々から出る竈の煙をゆるりと交わしながら、海鳥はぐんぐんと飛び、やがて――海沿いから陸地へと変わる境界線で、別の鳥と選手交代をいたします。次はどの鳥に身を委ねるとしましょうか。木々を縫い進む小鳥か、大空へ力強く羽ばたく猛禽か。地を走る鳥もまた一興。
 山を越え川を越え、季節も、時さえも大きく越えて、目指すはかの地。純銀の王が治めている小さな国――ああ、まだかの王が治めている!
 おや、今しがた越えた山には、ぽっかりと大きな穴が開いておりますね。白銀に光る馬車が一台、街へと走り出しました。
 森を越え村を越え、ようやく目の前に見えてきたあれこそが、純銀の王の住まう城。なんと眩しいことでしょう。太陽の光を浴び、白い炎が燃え立っているかのようです。手前の丘には、おや、たいそう大きな広葉樹だ。あの木でバイオリンを作ることができれば――いや、失敬。今はその話ではありませんでしたね。
 さて、空から眺めているばかりでは、そろそろ飽きが来ることでしょう。どこかに一度、降り立ってみましょうか。
 では、目指すはあの賑わう城下町にいたしましょう。城下町に居てもさして珍しくない鳥――そうですね、鳩か、鶏か……。人々の頭上を飛び交い、あるいは下から見上げ、様子を伺うことといたしましょう。
 おや、どうしたことだろうか。町の皆が地面に傅いております。――ああ、あの白馬の馬車のためですね。これほど厳かな行進では、我々もつい声を潜めてしまいます。先ほど見かけた馬車とは馬の数が違うので、きっとこれは先発隊でしょう。何と豊かに、銀が取れる国なのでしょうね。しかしそれには……おっと、これは後ほど見に行くことといたしましょうか。
 あの白馬たちの、石畳に蹄鉄を鳴らし、胸を張り、悠々と、堂々と、何も知らず歩くさまをご覧なさい。そして手綱を持つ御者の、なんと気だるげな表情か。町の人々の表情も十人十色、おおよそ陰りの見える色ではありますが。
 さて、馬車を遠く見送り、人々がもとの活気を取り戻しました。何と賑やかなことか、この港町の騒めきに勝るとも劣らない。
 おや、あちらでどうやら井戸端会議。その輪にこっそりと近づいてみましょうか。
 さて、いかに語っているか、耳を澄ませてみましょう――ああ、鳥の耳というのは、存外大きいのですよ。
「いつまでこんな生活が続くのだろうか」
 恰幅の良い女性が語るには、おやおや。
「銀の詰まった馬車に頭を下げるほど、馬鹿馬鹿しいことはない」
「こんな風に毎度毎度仕事の手を止めてちゃ、終わる物も終わらんわ」
 ふむ、続けて聞く限り、どうやら現在の生活への不平不満が続く様子。いやしかし、これはどの世でも普遍的に起こりうる、ありふれた毒でしょう。このように集まっては吐き出すことで、人々は毒に侵されることもなく生をつなぐことができるのです。――それにより、その地がどれほど汚れ、住みづらくなるかはまた別の問題として。
「あれほどの銀を、ほんの小指の爪先だけでもいただけたらねぇ」
「お前さん、そんなことは思っていても、口にしちゃあいけねぇよ。どこで何が耳を澄ましているかわからないご時世さ」
 おや、我々の事が気づかれてしまったのでしょうか。――どうやらそうではなさそうですね。
「先日も、うちの隣の銀職人がしょっ引かれていった。夜にゃあ広場で首が飛んだ。王に献上する銀貨に、ほんのちょっぴり土ぼこりがついていただけだと」
「ああ、嫌な世の中だ」
 ふむ、どうやら溜息は尽きぬよう。場所を変え、別の話題を探しましょう。あちらで洗濯物を干す、ご婦人たちはいかがでしょうか。
「先日の王城公開には行ったかい」
「ああ、行ったさ」
「末の王子様のなんとお可愛らしい事」
「天真爛漫、恐れを知らぬ無邪気さ。『ぎんいろにはあきた』と、畏れ多くも直々に、王にのたまったそうさね」
「あたしたちがそんなことをすりゃあ、不敬罪であっという間に命取りさ」
「それにしても可愛らしい事、うちの息子とは大違い」
 おやおや。こちらは僅かに楽しげな様子。――おっと、ご婦人の一人が踵を返し、こちらに近づいてきました。蹴散らされる前に、さあ、別の場所へと向かいましょう。
 さて、次に向かうにふさわしき場所……王城は如何でしょうか。ああ、いえ、高い塔の部屋で物憂う、王に挨拶をしに行くのではありません。このような物語では、城に仕える者たちの話を聞くのが一番です。
 おや、丁度良い所に。政をつかさどる、大臣閣下のお出ましだ。近衛兵を数人引きつれ、どうやら尖塔へと向かう様子。
「ああ、硬貨を一枚床に落とした時には、背筋が凍った。銀貨をお届けするという任務から――下手を打てばこの世から、追放されるところだったからな。うまく銀職人の仕業に仕立て上げられたのも、日ごろの愛顧の賜物よ」
 ……ふむ。先ほどどこかで、耳にしたような話。
「王は私の言葉には、一も二もなく首を縦に振ってくださる。それもこれも、純銀が毒を消し去るなどという提言をしたため。他国へ根を回し、他の大臣どもをうち伏し、王へ取り入り、この国の全てを欲しいままにするのも、きっとそう遠くはない」
 なるほど、王城の中にはなかなかに、権謀術数が渦巻いているようですね。しかして城下町に渦巻く悲しみなど、歯牙にもかけぬ様子。
 少々胸焼けがしてまいりました。外の風を浴びに行きましょう。
 ……おや、この窮屈な日々はもう結構と?そんなお顔をなさっておりますね。私も丁度、同じように思っておりました。では、空を飛びながら、少々時間を越えて――そうですね、あの悲しき日から数日後、などは如何でしょう。
 おや、城下町はどこもかしこも沈鬱な面持ち。王と末の息子の死を悼んでいるようです。あそこに見えるのは王宮の兵士たちでしょうか。一軒一軒訪ねては、住民たちを地に伏せさせ、何やら見せびらかしている様子。ふむ、あれは――広葉樹の描かれた、銀貨のようですね。
 銀貨を地面にはじいて投げやった兵士を、罰する者はもう居りますまい。あの大臣はどうなったことやら――二人の兄王子が、きっと手を打つことでしょう。
 おや、一足早く、銀貨を配り終えたらしき馬車が帰ってきましたよ。では、その先にある村へとお邪魔いたしましょう。
 窓が開いている、あの家が良い。――おや、先ほどの広葉樹の銀貨が、額縁に飾られている。言いつけを守り、首を垂れているようです。老婆と、息子夫婦でしょうか。
 おや、老婆の瞳に、なにやら光るものがありますね。息子が心配そうに、背中に手を置きました――
「ああ、哀しい、ああ、惜しい」
 老婆は独り言のように、呟いております。はて何事かと息子が、首を傾げておりますね。王や末の王子を喪ったことが、それほどまでに悲しい事だったのでしょうか?
 ……どうやら、そうではないようですね。
「ああ、悔しい。ああ、痛ましい。お前は実の兄の事すらも、月日と共に忘れちまったのかい。ああ、可哀想なあの子。いくら立派な体を自慢にしていたあの子でも、大きな石の固まりには木屑のようだったろうよ。賢く聡明な子だったのに、岩が落ちてくるのにも気づかなかったなんて。どれほど長い間、ろくに食べもせず、寝る暇もなく銀を掘らされていたんだろうね。ああ、切ない、ああ、むなしい。休暇に帰ってきたときのあの子の顔を覚えているかい。お前を大事にしてくれた、実の兄だよ。それがあんなに、見ているのも痛々しいくらいに痩せこけて。上等な酒も山盛りの肉も、全部上の方のお役人の腹に入っていたと言っていたね。ああ、苦しい、ああ、憎らしい。八つ裂きにしてやりたいよ」
 ――さて、老婆の吐き出す毒が、我々の心に染み渡るうちに、この地を発ちましょうか。痩せこけた老婆が紡ぐ民謡の、哀しい調べに乗って――
 おや、どうなさいましたかな。
 ――どうにもこうにも、とは。
 そうですな、このままではあまりにも、苦々しい幕引き。それでは最後に、あの広葉樹の下で、一息大きく、深呼吸をして戻りましょう。
 鳥の視線は、自由気ままで良いものですね。国中を俯瞰することも、地面すれすれから世界を見上げることもできる。
 さて、木々の間を抜け、立派な広葉樹の丘の、てっぺんにたどり着きました。ああ、何度見ても雄大な広葉樹だろうか。大きく枝を張り、太い根を張り、悠々たる立ち姿。たっぷりとした葉は、今は赤や黄に染まり、はらはらと散り始め、丘に大きな絨毯を敷いております。……おや、あそこに、少女が一人。
 小さな瞳を涙で濡らしながら、広葉樹に凭れかかっております。小さな手には、一本の枝。花で編んだ指輪を、枝に引っかけ、ゆらゆらと揺らしております。
 さて、どうしましょうか、――ひと欠片の希望を、この少女に託しましょうか。
 少女を脅かさぬよう、小さな小鳥の姿になりましょう。色鮮やかに、鳴き声も可愛らしく、ちょんちょんと地を蹴るように。
 おや、少女がこちらを向いた。その真っ赤な頬に、小さく笑みが浮かびましましたね。さあ、彼女の語る様に、そっと耳を傾けましょう――
「末の王子さまは、とっても優しい方だったの」
 ――ああ、誤解なきよう、これは少女の言葉をそのまま借りているだけですぞ。
「王様は、大きくて、優しくて、立派で、強くって、自慢のお父上だと、王子さまは言っていたの。王子さまも、大きくて、優しくて、立派で、強くって、格好良かったの。ねえ、鳥さん、どうしてお二人は、いなくなってしまったの」
 おやおや、また涙がぽろぽろと。ひよりとひと鳴き、彼女の問いに答えましょう。
「王子さまは、私にもこの枝をくれたの。一番きれいな枝は王様に、次にきれいな枝を私にって。それから、ずうっと、ずうっと、宝物なの。お母さんは、毛虫がいるから捨てなさいと言っていたけれど、私、全部枝を探したけれど、そんなもの、どこにもいなかったわ。優しくて賢い王子さまが、毛虫がいる枝を渡すなんて、そんなことないもの。毛虫がいるなんて、そんなの、ただの誰かの見間違いよ」
 ――さあ、我々の世界に戻ると致しましょうか。
 翼を広げ、青く澄み渡る空へ。雲は白く、木々は風に遊び、水はさらさらと輝いております。――銀が及ぼす地学的影響? もうそのようなことを考えるのは止しましょう。おや、振り返ってはいけませんよ。真っ直ぐに、我々の今いるこの地を目指すのです。
 さあ、時を越え、村を越え森を越え、川を越え山を越え、ようやく見覚えのある風景が見えてきました。さあ、海鳥へ選手交代いたしましょう。竈の煙をゆるりと避けて、一声鳴いて、そうして物陰に腰かける二人の人影へ――


「さあ、到着いたしましたよ」
 金属がこすれ合うかすかな音が、耳に届いた。
 語り終えた黒いコートの男は二枚の硬貨を手に、口端に笑みを浮かべている。
「さて、タペストリーを織り終えました。浮かび上がった紋様は如何なるものか。……おやおや、長旅でお疲れのご様子。私も語り通しの珍道中、いささか喉が疲れてまいりました。どこかで喉を潤して、船に乗るのはそれからといたしましょう。港もようやく、普段通りの様相を取り戻してきたように思えます」
 男は腰を下ろしていた石垣を離れ、ひとつ大きく伸びをする。昨晩彼が「旧知の友」と呼んだ、漆黒のバイオリンケースを手にしたところで、男はふと振り返った。悪戯っぽい笑みが、その翠の目元に浮かんでいる。
「しかして私も、物語には幸福な終わりを求める性質。またお会いできた暁には、彼の純銀の国がいかに発展を見せたか、一晩かけて語り明かしたいものですな。――願わくば、同じ行先であることを。そうすれば、この縁をあざない直し、堅くしっかとしたもやい綱にすることができるでしょうからね。……それでは、またいつか、どこかで」
 長い語りを共にした相手へ恭しく頭を下げると、男は黒のトランクを手に、こつりと踵を返した。金の髪を結った黒いリボンが、ひらりと揺れる。
 潮騒と海鳥の鳴き声が、騒めく港をゆるりと包み込んでいた。















ちょっとしたおまけ
バイオリン弾きの男は、ロレンツという名にしました。
仲良くしていただけると幸いです。



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