第68回フリーワンライ「白鹿」

第68回フリーワンライ「白鹿」


お題:
紅葉と月
白〇〇(白鹿)
嘘つきの日記
日光のひとつ手前→今市市→いまいち
山の上の猫


ジャンル:オリジナル 現代風






「今日、おばあちゃんの家につきました。おばあちゃんの家は、とても広いです。」
「今日は、新しくできた友だちとお話ししました。みんな、なかよくしてくれます。」
「今日はサッカーをしました。なかまに入れてもらえました。楽しかったです。」
「今日は遠足で、山に登りました。ぼくは一番後ろを歩きました。しんがりと言うのだと教えてもらいました。ちょうじょうに一ぴきねこがいました。ねこはさむそうでさびしそうでした。」
 はらり、はらり、綴じられた紙束をめくる度に、当時の記憶が蘇る。
 自分を一目見るなり、顔をしかめた祖母。
 机や教科書にマジックで書かれた言葉。
 教室の隅っこでいつも読んでいた本。
 引率の先生と手をつないで登った山。自分を重ね合わせてしまった、やせっぽちの、山の上の猫。
 胸の奥が苦くなる。嘘つきの日記は、母親の遺品から出てきたもの。遠くで働く母親を心配させたくなくて、毎日メールで送っていたものだ。
 質の悪い安紙に刷られ、包装紙を張った厚紙で綴じられた、ぱっと見ではいまいち内容がつかめない手作りの本。
 文字の上っ面だけ見れば輝かしい少年の日々を、母親はプリントアウトして、大切にとっていたのだろうか。どんな思いで読んでいたのだろうか。気づいていたのだろうか。じん、と目の奥が熱くなった。
 震えはじめた手のひらで、はらり、ともう一枚めくる。次のページに書かれていた言葉に、目が吸い付けられた。
「今日は、山の中で、白いしかを見ました。」
 そのページに書かれていたのは、メール送信者のアドレスと、題名部分に掛かれた日付と、その一文だけだった。たった一行の本文を目にした瞬間、思い出す光景。
 紅葉と月を背景に、凛と立つ雄の白鹿の姿。
 そうだ、あの日は、この一文しか送れなかったのだ。子供用携帯の、メール送受信制限時間が迫っていたから。
 あの日は、確か、放課後にクラスの悪ガキグループから呼び出されて、日が暮れるまでサンドバッグにされていた。家に帰ると、ぼろぼろの服を見て、祖母は不機嫌になった。何着ぼろにすりゃ気が済むんだ。金がかかるったらありゃしない。そんなみすぼらしい格好で家の周りをうろうろしないでくれ、家の格が下がる。ああ、汚らわしい。どこの馬の骨から生まれた餓鬼やら。毎日似たようなことを言われ続けていたから、今でも思い出せる。
 もう限界だった。一人で祖母の家に送り届けられてから数か月、助けを求められる人はどこにもいない。
 待っていてももらえるはずのない夕食の香りを背に、大きな玄関を飛び出した。軒先で一本の太いロープを引っ張り出し、駈け出す。どこか遠くへ、誰もいないところへ。気づけば足は、家から遠く離れた森へと向かっていた。入ってはいけないと学校できつく教えられている、暗い山へと続く深い森。迷いもなく踏み入り、奥を目指す。
 しばらく踏み入ったところで、不意に開けた場所へと出た。紅葉が月光に照らされ、はらりと舞う、幻想的な景色。
 それでも当時の自分は、ロープをかけられそうな太い枝しか、視界に入っていなかった。
 一本の太い樹へ近づいた時、人の声が聞こえた気がした。ぎくりと肩をすくめ振り返っても、誰もいない。気のせいか、と視線を元に戻そうとしたとき、それは、居た。
 月明かりで銀に輝く真っ白な毛並みと、太く強そうな角を持つ、一頭の鹿。
 その美しさに、一瞬目を奪われた。凛とした立ち姿に、息もできないほどに囚われる。ロープを握る手も緩んでいたのだろう。
 白鹿が角を振り上げ、一声、高く鳴いた。その声に身をすくませた刹那、鹿が自分の横を駆け抜ける。その拍子に、持っていたロープが鹿に絡まり、手から離れた。
 ――いや、今思えばあの鹿は、ロープを咥えていたような?
 一陣の風と共に、白い牡鹿は消え去っていた。後に残されたのは、自分の身一つ。やがて我に返った時には、月明かりが静かに自分を照らしていた。それ以上為す術もなく、森を後にした。森を抜けた後、携帯電話で時間を確認し、メール送信制限のタイムリミットに気付いて、慌てて一文を送ったはずだ。
 真夜中に帰った時、家の鍵はかかっていて、軒下で一晩を過ごさなければならなかったし、翌朝は祖母に箒で叩かれて起きたし、学校に行っても、クラスの子たちの態度が変わっていたわけでもなかった。
 けれど、あの白鹿が自分の前に現れてくれたことは、その後の人生で、何度も心の支えになった。一人ではない、と思わせてくれたあの鹿は、何者だったのだろうか。
 日記を閉じると、机の上に置いた。祖母も既に亡く、あの家も取り壊された。あの森はまだあるだろうか。
 久方ぶりに、あの地へ向かってみようか。

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